第196話 番外編 タルトは甘い恋の様になりうるか その一
「えっ? 一人で行動してもいいんですか?」
予想外の品子の言葉に、つぐみはすっとんきょうな声を上げてしまう。
「うん。ここしばらくの様子を見ても、落月からの君への追及はないだろうと判断が出来たからね。何よりいつも誰かが君を見張っているというのは、やはり気分のいいものではないだろう」
「見張っているですか……。自分ではそう意識していませんでしたから」
両手を頬に当てて、つぐみは答える。
ここ数日の環境は、いつも誰かがそばにいてくれているという風にしか捉えていなかった。
しんとした部屋に、一人で居続けなければいけない。
その日にあった出来事を、分かち合える人がいない。
アルバイトをしているわけでもなかったので、家に帰ったら自分がするのは勉強とご飯を作ることだけ。
そんな日々からつぐみはここにいる皆と出会い、新しい世界を知ることが出来た。
見張られているなどと、一度たりとも思ったことはない。
むしろ一人ではない時間を過ごせているという点では喜んでいた位だ。
「だからね、明日からは別に私達に『今日はこうしますー、どこどこへ行きたいですー』とか言わなくても大丈夫だよ。そうだ! 明日あたり、なんなら一人で買い物とかに行ってみてもいいよ」
「そう、……ですね。そうさせてもらおうかなぁ」
「うんうん。せっかくなら、外でご飯を食べてきてもいいよ。たまにはいつもと違う行動をするのも楽しいと思うよ」
いつもと違うことをやってみる。
そう言われつぐみは、何だかワクワクしてきてしまう。
せっかくの機会だ。
それならばとつぐみは考える。
「では明日、私は出掛けてきますね。夕飯までに帰らないようでしたら、きちんと早めに連絡も入れるようにします」
つぐみの心に、一つの考えが浮かぶ。
一人で行動が出来るようになったから、この計画を実行するという訳ではない。
けれども、なぜだか他の人には言いづらいのだ。
自室に戻ったつぐみは、スマホでその明日の計画の準備を始める。
相手の都合次第であるし、突然このような話をしたら迷惑だとはわかっている。
断られたのであれば、一人でのんびりすればいい。
そう考えているうちに返信が届く。
相手からの「喜んで」という返事につぐみは思わず微笑む。
相手は場所の選択は任せてくれると言っている。
ならばタルトのお店一択ではないか。
さて、どの店にするべきかとつぐみはうなりながら考えていく。
タルトといえばあれから全く連絡ないが、沙十美は室と一緒に黒金町の店に行けたのだろうか。
思い出した途端に、その店のタルトが食べたくなってくるではないか。
店は決定だ。
機嫌よくつぐみは連絡をしていく。
まずは本来の誘いの目的である物を、住んでいた部屋に取りに行かなければならない。
つぐみはいつもよりも早めに、目覚ましのタイマーをセットしたのを確認すると眠りについた。
◇◇◇◇◇
翌日、黒金町のバスターミナルで、きょろきょろとつぐみは辺りを見回す。
「あ、いた! ふふ、早いなぁ」
待ち合わせのビルの前で、相手が立っているのをつぐみは目にする。
小走りで向かっていく自分の姿に、相手も気付いたようだ。
ボーダーのサマーニットに、黒のクロップドパンツという夏らしく涼しげな装い。
そんな彼はこちらに向かってふわりと、とろけるような笑顔を向けてくる。
「おまたせっ! ごめんね、クラム君。私の方が着くの遅かったね」
つぐみの声かけに、クラムはにこりと優しく微笑みを返す。
「ううん。約束の時間より、僕が早めに来てしまっただけだよ。つぐみちゃん、久しぶりだね!」
「うん! あ、それでね。これがその資料だよ。役に立つといいんだけど」
つぐみは鞄から、自分が去年まで使っていた参考書を取り出すとクラムに渡す。
「ありがとう、つぐみちゃん。いつも電話やSNSで勉強も教えてもらってるのに、更に参考書まで貰っちゃって」
しばらくは安全を優先するため、つぐみは一人では出かけられなかった。
受験生であるクラムとは主に電話やネットを使い、話をしたりささやかながら勉強の手伝いをしていたのだ。
参考書を持って嬉しそうにしている彼を見つめるつぐみの心に温かな気持ちが生まれていく。
しかしながら参考書を両手でしっかりと抱え、つぐみを笑顔で見てくるクラムの姿。
つぐみにとっては目を合わせづらいものがある。
明日人と同様に、男の人なのに可愛いを彼は持ち合わせているのだ。
本人に知られたら怒られてしまいそうなやましい考えを悟られないように。
つぐみはつい、いつもより大きな声で出してしまう。
「いいよ! 来年、受験かぁ。一緒の学校に通えたらいいなぁ。楽しみに待っているね!」
そう言ってからはたと気づいて、慌てて言い直す。
「あ、ごめん! まだ
「ふふふ、鳥海大学は候補の一つではあるから。こういったものがもらえるのはとても助かるよ。ありがとうね、つぐみちゃん。今日のお礼に今から行くお店は僕がご馳走させてね」
「わぁ、いいの? 嬉しいな。ありがとう!」
「……」
言葉が途切れ、思わずつぐみはクラムの顔を眺めてしまう。
クラムは何も言わず、戸惑った様子で自分を見つめるのみだ。
「クラム君、どうしたの? 何かあった? 私でよかったら、相談にのるよ?」
つぐみの言葉に、彼はあわてて首を横に振る。
「ごめんね、違うんだ。なんだかつぐみちゃんが、前に会った時よりも何というか……。成長? したみたいな? うーん」
クラムは自分の言葉に、困ったようにうなっている。
「前までの君だったら『ダメだよ、そんな。申し訳ないよ!』とか言って断っていたと思うんだ。でも今、君はきっと僕の気持ちの為にもご馳走になるって言ってくれていたでしょう? 前までの君はもちろん相手のことを考えて行動していたけどさ」
語りながらつぐみの方へ一歩、クラムは近づく。
一歩分。
近づいてきた分、つぐみに映る彼の顔はとても近く、そして一歩深く心を見ている。
柔らかな栗色の髪に、透き通るような白い肌。
濃茶色の瞳と中性的で繊細な顔立ち。
そんな彼に見つめられているという恥ずかしさが襲い、つぐみは顔が熱くなるのを感じる。
それでも目は逸らさずに彼の話を聞こうと思い、同じように彼を見つめ返す。
とても大切な事を言っているようにつぐみには感じられるからだ。
「今の君からは相手を思い、それにそっと寄り添ってくれるような優しさを感じるよ。何か大きな出来事があったのかな? 年上の人に言う言葉じゃないけど、つぐみちゃんはとてもいい成長をしていると思う」
そういって彼はつぐみの手を取ると、歩き出す。
手を繋いでもらっている、その恥ずかしさはある。
けれども何より、そう思ってくれた彼の気持ちがつぐみには嬉しいのだ。
「ありがとう、クラム君。私、もっともっと成長したい。皆とも、クラム君とも一緒に歩いて行けるように」
つぐみが手を強く握り返すと、彼は振り返り笑う。
「いいよ、つぐみちゃん。会えば会うほど成長する姿、僕に見せて。楽しみにしているよ」
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