第293話 人出品子は号泣する

 つぐみを出雲に任せ、惟之は二条で待機する部屋の手配を整える。

 それを終わらせるとすぐさま浜尾へと連絡を取り、あと数分で応接室を退出する旨を伝えておく。

 浜尾からは、その際に使う二条に向かうためのルート指示を受ける。

 指定された道中は人払いをしてあるようで、誰にも会うことなく二条管理地へとたどり着くことが出来た。 

 確保していた部屋に入り、ソファーにつぐみをそっと座らせる。

 傍らにいた出雲が、ガーメントバックを持ち出口へと向かっていく。


「惟之様。私はこちらの服の処分と頂いた指示の準備に入ります。何かあればまたご連絡を」

 

 礼をして彼女が退出してまもなく、品子と明日人が慌ただしいノックと共に部屋へと駆け込んで来た。

 話を聞けば、出雲から彼らに連絡が届いたのだという。

 二人はずっとつぐみの手を握り、ただ待ち続ける。

 品子の発動を使い、起こすのを促してみてはと惟之は提案した。

 だが品子からはそれは無理だと返されてしまう。

 里希により、何か暗示が掛けられているかもしれない。

 そうであれば発動同士がぶつかり合うことになり、つぐみに害が及ぶ可能性があるというのだ。

 眠っている彼女のそばから動こうとしない二人に、惟之は一連の出来事を伝えていく。

 明日人からの返事はあるものの、品子からは全く反応がない。

 ヒイラギの時のように、目を覚まさないのではないかと気が気でないのだろう。


 そうして十分ほど過ぎ、品子のあげた声に目を向ければ、まぶたを開いたつぐみが呆然とした様子で惟之を見上げていた。


「靭さん? ここはいった……」

「わぁぁぁん! ぶゆのぐーん!」


 品子がつぐみの言葉をかき消すように叫ぶと、ひしと彼女に抱きついていく。

 これではいつもと逆の展開ではないか。

 つぐみはわんわんと泣き続ける品子に戸惑いながらも、背中を撫でてやっている。

 事情を求めるように、つぐみは明日人へと視線を向けた。

 その明日人は品子へとハンカチを渡そうとしているのだが、品子はつぐみに抱き着いたまま離れようとしない。


「惟之さん、何とかして下さいよ~。僕じゃどうにもできないです」


 惟之を見る明日人の表情は、言葉とは裏腹にとても嬉しそうだ。


「品子、冬野君にも説明する必要があるだろう。彼女を困らせるのはお前の本意ではあるまい」


 その言葉にようやく品子はゆっくりと顔を上げる。


「……ぐしゅっ、わかった。惟之、しっかり説明しろよ。彼女の横で私も聞いているからな」


 どうやらつぐみの隣を、他の誰にも譲る気はないらしい。

 惟之の口からは大きなため息がもれる。

 だがこの一連の流れに、安心を得たのだろう。

 ようやくつぐみにも、いつもの笑みが浮かびあがった。



◇◇◇◇◇



「むぅ、自分の記憶がないのでなんだか納得できませんが」


 不思議そうに自分の後頭部に触れながら、つぐみは品子へと視線を向ける。

 いや、『向けようとしている』が正しいだろう。

 品子はまるでつぐみに張り付いたかのように、ぴったりと彼女に抱き着いていた。


「品子、そんなにべったりとしていたら冬野君に迷惑がかかる。少し離れろ」


 惟之の言葉に、不機嫌そうな表情を浮かべる品子の態度につぐみが笑っている。


「大丈夫ですよ。幸い、目まいやふらつきといったものもありませんし」

「ほらな、惟之。別に冬野君は迷惑に感じていたり、嫌がってないんだからな!」


 さらに抱き着いて行く品子に、苦笑いを浮かべながらつぐみは惟之を見上げる。


「私は一条の試験には合格できなかった。けれども正式なものではない面接だったので、一条以外の所属先の面接は受けることが出来る。そう理解すればいいのでしょうか?」

「あぁ、その通りだ。所属の希望は三条から変わっていないのかい?」


 惟之の問いかけにつぐみはゆっくりとうなずいた。


「はい、よろしくお願いいたします」

「わかったよ。ただもう一度、清乃様に時間を調整してもらうことになるんだ。前に言ったように、我々の人事考課じんじこうかもあってね。だから面接を受けてもらうのはもう少し先の話になると思う」

「そう、……ですか。でも仕方ありませんね」


 もどかしそうにしているつぐみの様子が、惟之としても気になる所ではある。

 だが彼には、彼女がしばらく本部に来ることを避けておきたい意図いとがあるのだ。

 先程の浜尾との通話において、穏やかではない話を惟之は聞かされている。

 まずはそれを、品子と明日人へと伝えねばならない。

 ドアがノックされ開かれる音に、惟之以外の視線が向けられていく。

 そこには柔らかな笑みを浮かべた出雲が立っていた。


「冬野さん、今日は大変だったみたいね。喉も乾いているでしょう。コーヒーでもどうかしら?」


 出雲の問いかけにつぐみは小さく首を横に振る。


「お気持ちは嬉しいのですが、今はあまりそういう気分では……」

「ちょうどお客様から、サクランボのタルトを頂いたのよ。どちらかと言えば紅茶の方が合いそ……」

「出雲さん! 行きましょう、すぐに参りましょう。タルトが私を呼んでいます!」


 自身にべったりと張り付いていた品子をあっさり引きはがし、つぐみは出雲の元へと駆け出して行く。 

 軽い足取りを見るに、確かに身体には大きな問題はなさそうだ。

 つぐみを廊下の外まで見送り、出雲と共に去って行くのを確認してから惟之は部屋へと戻る。

 そこにはソファーの上で体育座りをしてうつむいている品子と、彼女の頭をなでている明日人の姿があった。


「あ、惟之さん。品子さんが深い悲しみで前が見えないそうです~。困りましたねぇ」


 笑顔を浮かべたまま、明日人の手は品子の頭の上を往復している。


「全く困った雰囲気がお前さんからは感じられないんだがな。さて。お取込み中のところ悪いが、大事な話がある。冬野君のことだ」


 その言葉にがばりと品子が顔を上げる。


「あ、品子さんが前を見た。さすが惟之さん、すご~い」


 いつも通り、のんびりとした口調。

 だが明日人の表情からは笑顔は消えている。

 静かに品子が立ち上がると、惟之へと鋭い視線を投げかけてくる。


「出雲君があの子を連れ出したのはそういうことか。彼女に聞かれるとまずい話があるわけだな」

「まぁ、そういうことだ。二人とも座れ。今から話すのは彼女は知らなくていい話だ」


 二人がソファーに座ったのを確認すると、惟之は再び口を開いた。

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