第292話 靭惟之は驚く

 足早に、だが動揺を知られることの無いように、惟之は淡々とした表情のまま足を進めていく。

 惟之に一条の松永まつながから電話が入ったのが五分程前のこと。


うつぼ様。突然になり申し訳ありません。冬野つぐみさんを引き渡したいのです。事情はどうか聞かないでください。ですが皆様にとって悪い展開にはなっていないはずです。お一人で今から伝える部屋にて待機をお願いします」


 松永は一条の管理地内の一室を指定すると、惟之の返事を待たず電話を切ってしまった。

 惟之としても完全に彼を信頼しているわけではない。

 なにせ彼は里希の忠実なる部下だ。

 その相手からの突然の呼び出しに警戒心はある。

 だが今日の面接のことであると分かっている以上、動かないという選択肢は無い。

 松永が内密にと言わなかったことを幸いに、出雲へと事情を説明しておく。

 同時に自分に何かあった際には、品子と明日人に連絡をするようにと伝え、指定の場所へと向かう。


 惟之の所属が解析班であること。

 それもあり報告に来たと思われているようで、一条の敷地内ながら引き留められることもない。

 自分を指定したのも、そういった理由からであろう。

 恐ろしいくらいすんなりと、松永の指定してきた部屋へとたどり着く。

 一条内においても奥まった場所にあるこの部屋は、その立地条件もあり辺りに人がいる様子がない。

 ノックをして数秒待つ。

 返事がないのでそのまま入室するが、やはり彼の姿はない。


 松永の様子を、鷹の目で確認しようかという考えがよぎる。

 だが里希から言われていた、『余計な介入等が無いように』との言葉もある。

 もどかしいが、今は待つしかないようだ。


 さほど時間が経たぬうちに、ノックもなしに扉が突然に開く。

 現れたのは松永ではなく、全身に怪我を負っている浜尾ではないか。

 彼が抱きかかえたつぐみを見て惟之は言葉を失う。

 意識もなく、服は泥だらけの姿。

 血の気のない彼女の顔を見て、こみ上げる感情のまま強い口調で惟之は問うてしまう。


「浜尾さん、これはいったい? 彼女に何を! いや、……申し訳ない」


 当初に言われていた『事情を聞かないでほしい』。

 電話での言葉を思い出し、なんとか心を落ち着かせる。

 それが出来たのは浜尾と目が合った時だ。

 何よりも彼の表情が、詫びたくてもそれが出来ないのだと語っているのだから。

 

「いえ、冷静なご判断に感謝を。あまり時間がありません。私はこのまま退出いたします」


 浜尾はつぐみをソファーに座らせ、そのまま背面側へと回り込む。

 事前に準備してあったのだろう。

 ガーメントバックを持ってくると惟之に手渡してくる。 


「このバックの中に、冬野さんが今、着用している服と同じものが入っています。この周辺にしばらく、一条の者が入らないように私は手配を行います。どなたか女性を呼んで頂いて、彼女の着替えをお願いしたいです。それが終わられたら、速やかにここからの退出をお願いします。……説明は後日になるでしょうが、可能な限り私か松永から、……お話しできればと」


 言葉を続けようとする浜尾に軽く手を上げ、惟之はそれ以上の発言を制する。

 途切れ気味に語る言葉から、浜尾が一条としての範疇はんちゅうを超えてこちらに協力しようとしているのが十分に伝わってくる。

 これ以上、彼に負担をかけるわけにはいかない。

 そう考えた惟之は口を開く。


「ここまで来るのにも、相当な無理をなさったことでしょう。一つだけ教えて頂ければ結構です。……彼女の記憶は?」

「大丈夫です。今回おこなった試験の内容は里希様により消されておりますが、これまでの記憶は残っているはずです。一条としては不合格ですが、今回の面接は正式なものではありません。したがって他の所属になることについては問題ないかと」

「そうですか、ありがとうございます。松永さんにもよろしくお伝えください」


 語れるだけの範囲でと、当時の状況をかいつまんで話をすると、浜尾は足早に部屋から出て行った。

 その背中を見送りながら、惟之はつぐみの着替えを任せる相手のことを考えていく。


「……やはり、ここは出雲だろうな」


 そう呟き彼女へと連絡を取る。

 品子を呼ぶという考えもよぎったが、今のつぐみの姿を目にしたら。

 ここが一条ということも忘れ、品子が何をしでかすか分かったものではない。


 すぐに向かうと出雲からの返事を受け、惟之はつぐみの様子を確認していく。

 呼吸も脈拍も問題はなさそうだ。

 背中に血液の付着があるものの、浜尾の説明によれば彼女の怪我ではないらしい。

 後頭部に打撲があるということなので、このまま一度、病院に向かうことも考えていく。

 本来ならば明日人に治療を任せたいところではある。

 だがつぐみはまだ白日に、正式な所属が認められていない。

 彼女が部外者とみなされるリスクもある。

 今回は明日人の力を借りない方がいいと判断をし、出雲の到着を待つ。

 数分の後、ノックの音と共に「出雲です」と廊下から声が届く。

 扉を開き、彼女を迎え入れると簡潔に状況を説明する。

 ちらりとつぐみを見て出雲は口を開く。


「五分、時間を頂きます。その間に惟之様は浜尾さんへの連絡と二条での部屋の確保を」

「わかった。すまないが頼む」


 互いにうなずき、それぞれの目的を達するべく二人は動き出した。

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