第370話 彼女は宣言する

人出ひとで、自分が何を言ったか分かっているのか!」


 怒鳴りつける吉晴きはるの態度にも、彼女は動じる様子もない。


「娘の行方不明で、動揺しているのは理解できる。だが……」

「動揺している? むしろそれはあなたの方では」


 視線は冷ややかに。

 けれども、口元には小さく笑みを残したまま自分を見る姿に、吉晴は焦燥感を覚える。


 おかしい。

 こいつは本当にあの女なのか。

 いつもの卑屈な話し方や態度は、どこへいったのだ。


「私が偽りを述べている。吉晴さんはそう言いたいのですか?」

「当然だ。一条いちじょうの長である私に対し、許される発言ではない。今のお前は、その判断力すら失っているのだからな」

「ならば問いましょう。あなたは正真正銘の『蛯名えびな吉晴きはる』である。そう誓えますか」

「何度も言わせるな。十鳥とどりの名が出てくる意味が分からない」


 眼光鋭く相手を睨みながら、吉晴は言い放つ。


「お前こそ本物なのか? いつもの態度とは、全く違うではないか!」

「そうですか。吉晴さんが、そこまでおっしゃるのでしたら」


 所持していた鞄から、人出は高さ十センチほどのプラスチック製のボトルを取り出す。

 

「なんだ? そんなものを、何に使うというのだ」

「必要ですよ。にとってはね」


 ふたを開け、自身の手のひらへと彼女はボトルを傾けていく。

 とろりとこぼれ落ちてくるのは、まるで血のような赤い水。

 それを指で広げ、赤く染まった手を吉晴へと差し出してくる。


「では、この水に触れてからもう一度、お答えくださいな。『自分は蛯名吉晴である。十鳥ではない』とね」

「おい、……まさか、その水は」

「えぇ、四条しじょうのお嬢さんから分けてもらった『井守いもりしるし』です」

「なっ! どうして、……そんなものを」

 

 この水に触れて、正しいことを言えばそのまま。

 嘘を言えば赤色が消え失せるという、四条所属の緋山ひやま晴沙はるさによる発動能力。

 これに触れてしまったら自分は……。


「あぁ。そう言えば、私を本物かとお疑いでしたね」


 挑戦的なまなざし。

 そして手のひらを吉晴へとかざしながら、宣言のように彼女は告げる。


「私の名は人出ひとで清乃きよの三条さんじょうの長であり、白日はくじつ内において……」


 この状況から抜け出さねば。

 彼女の言葉をとどめねばならぬ。

 その焦りが、吉晴に発動を込めた右腕を振り上げさせた。


 ひゅんという風切り音に、清乃が上半身を反り返らせる。

 わずかに引きが遅れた彼女の腕へ、吉晴の発動による四本の赤い線が鋭く描かれていく。


 浅い。

 こちらの動きに気づかれたことで、大した傷を与えられなかった。


「4つの爪。これは吉晴さんの発動、……よね?」


 自分の腕に刻まれた傷へと視線を向け、清乃は淡々と呟いている。


 まずいことになった。

 一刻も早く、この女を部屋から退出させねば。

 さらに、もう一つ。

 すぐにあるじである高辺たかべにこの出来事を報告せねばならない。

 だが、間の悪いことに、本来の自分の肉体は。

 ――『十鳥とどりたくみ』の体は今は本部ここに存在しないのだ。


 十年の間、自分は高辺の命に従い『蛯名吉晴』の体を乗っ取り、操ってきた。

『吉晴』が公の場に出ることを減らし、表舞台からは遠のくように。

 一方で高辺と共に一条の長の仕事を代行し、他者に吉晴の傍へと踏み込ませない環境を作り上げていく。

 こうして他の長達にも気取られることなく、今日まで自分は吉晴になりかわってきたのだ。


 だがさすがに、吉晴の息子である里希さときには気づかれてしまうのではないか。

 当初はその懸念を抱いていたが、高辺に抜かりはなかった。

 元来の吉晴による父子を超えた厳しい関係を利用し、里希には『感情を抱かせない』指導の強化をすることで、他者への興味を失わせていく。

 それに加え、里希がひそかに恋慕れんぼしていた人出ひとで品子しなことの婚約破棄。

 さらには陣原じんばらあまねの事件を誘発させ、品子の心を壊し、里希がより彼女から目を離せぬように。

 吉晴に対し、関心や疑念を抱く余裕などないようにと誘導していく。

 実に手の込んだ謀略を用いて、高辺はそれをやってのけたのだ。


 高辺がいる限り、正体が暴かれることなどない。

 このままずっと、何も知らないやつらを見下し、あざ笑いながら自分は過ごしていくのだ。

 その計画が崩れかねない状況に、十鳥は唇をかみしめる。


 そもそも清乃の相手は、本来は高辺が対応するはずだったのだ。

 人出品子との電話を、高辺へ繋いだこと。

 この行動が、まさかここまで仇になってしまうとは。


 品子との通話は、高辺の心を想定以上に揺さぶってしまった。

 電話や画像越しでは、とうてい物足りない。

 彼女らの感情を、嘆きを、直に見届けたいのだ。


 高辺はそう言って、十鳥の体がある場所へと。

 品子達を捕えている施設へと、本部を離れ向かってきてしまったのだ。


 それだけではない。

 その移動中に来たという案件を、あろうことか十鳥へと丸投げしてくるではないか。


『三条が急遽きゅうきょ、話をしたいと言っている。今すぐ吉晴様の体に戻って、適当に対処をしておいてちょうだい。動きを封じた彼らには、どうせ何も出来やしないのだから』


 品子達の苦悩を、これから楽しむ。

 その喜びしか頭にない様子で、高辺は十鳥へとそう命じてきた。


 今、十鳥自身の体は、本部から離れた場所にある。

 吉晴の体へと、『十鳥の自我』を移動させればいいので、物理的な距離はたいした問題ではない。

 とはいえ、その移動には十鳥自身に大変な負担を強いるものでもある。

 相手吉晴の物言わぬ反抗か、あるいは自分が『異物』として彼の体から拒まれているのか。

 吉晴の体に入った直後は、すさまじい激痛に耐えねばならないのだ。

 それを知りながら己の欲求を優先し、軽々しく頼んでくる高辺の態度には怒りがわくが、逆らうなど恐ろしくてできない。


 せめて憂さ晴らしに、あの三条の弱気女に、嫌味でも言ってやろう。

 それがまさか、こんなことになろうとは。


 だが、まだ猶予ゆうよはある。

 この体の持ち主、『蛯名吉晴』の発動を使い、彼女へと攻撃したこと。

 それが幸いし、相手はまだこちらの正体を判断しかねているのだ。

 娘の探索を許可するという餌を見せれば、慌てて帰るに違いない。

 相手が冷静になる前に行動をと、扉を指さし声を張り上げる。

 

「私の発動を受けた。これで誤解は解けただろう。お前の暴言は、その傷で相殺しておいてやる。それでも足りんということであれば、娘を探すことも許可してやってもいい。さっさとこの部屋から出て行くんだ」


 こちらの言葉に、清乃は目を閉じて「う~ん」とのんきな声を出している。


「そうですねぇ、手当もしなきゃいけないですし。私としても、品子ちゃんを早く探しに行きたいですね」


 ひとまずは切り抜けた。

 早く自分十鳥の体へ戻り報告を。

 清乃を置いて一足先に部屋を出ようとするも、その足は止まる。


 ――いや、止まらざるを得ない。


 耳障りな音と共に、自分が向かおうとした扉へと、まるで獣が爪で抉ったような傷が刻まれていくのだから。


 振り返れば、清乃が扉へと手をかざしたまま笑っているのが目に入る。

 腕に受けた傷などないかのように、まるで日常の会話でもするかのように。

 かすかな動揺すら見せることなく、彼女は自分へと言ってくるのだ。


「だから今日の所は、あなたの正体だけ確認してから帰ることにいたしましょう」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


お読みいただきありがとうございます。


今回、投稿期間がかなりあいてしまいましたので、こちらにて品子母についての補足を。

品子の母親は、今までにも何度か登場しております。

その際にはあわあわとしていたり、号泣していたりとのんびり口調での行動している姿を、皆さまには見ていただいておりました。


同じくその姿をみていた吉晴(を操っていた十鳥)は、彼女を権力だけを持った役立たずと判断し、見下した態度で今までは接していたのです。


そんな彼女が普段とは違う行動をとり、自身を『人出清乃』であると名乗りました。

ここまで読んでいただいた方には見覚えがあると思いますが、『清乃』はさばさばとした口調で品子や惟之たちに助言や指導を行ってきた存在。

のんびりな『品子の母』が、男勝りな行動をみせる『清乃』を名乗った理由とは。

引き続き彼らの『話し合い』を、見届けていただきたく思います。


こちらの補足は一定期間掲載後に削除予定ですが、あった方がいいかも、ということであればこちらの文章は残しておきたいので、ご意見を教えていただけたらありがたいです。


せっかくですのでこちらにて次話タイトル予告を。

次話タイトルは『人出清乃は答え合わせをする』です。

お楽しみいただけますように。

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