第148話 十年前の昔話 その4

「……品子が、彼女がどうかしたのですか?」


 惟之は静かに問いかける。

 毎日、来ていた品子が今日は来なかった。

 そして三条の人間が品子を探しに来ている。

 胸の奥の方がざわざわして、気持ち悪い。

 惟之の問いに女性は答える。


「実は今日、品子様が研修で少々問題を起こしてしまいまして。それで上の方々に状況説明をして、本部を出て帰ると三十分ほど前に連絡が来ていたのです。それなのにまだご自宅の方に戻っていないと連絡が来まして。ひょっとしたらこちらにいるのではないかと思い伺いました」


 本部から品子の家までは十分じゅっぷん程度だ。

 確かに家に着いていなければおかしい時間ではある。


「研修での問題とは何があったのですか?」

「それが、品子様が突然ある男性に暴力を振るってしまったらしくって……」

「突然ですか? 品子はそんなことをするような人間ではないと思うのですが」


 惟之からしたら考えにくい話だ。

 品子は頭も良く要領がいい。

 視野も広く何事もそつなくこなすあの優等生が、自分の周りに迷惑を掛けるような行動をするとは思えない。


「えぇ、あの。……ヒイラギ君達がどうやら関係しているようで……」


 なるほど、それは確かに納得のいく話だ。

 いずれにしても今日はこの部屋に品子は来ていない。

 まずはそれを伝えて、他の場所も探しに行ってもらうべきだろう。


「品子は今日、この部屋には来ませんでした。もしここに来たら、すぐに連絡を入れるようにします」


 こんな時間に来るとは考えにくいが、惟之はとりあえずそう答える。


「ありがとうございます。では失礼致します」


 慌ただしく女性は部屋から出ていった。

 部屋の前から次第に遠のいていく足音を聞きながら、惟之はベッドから降りる。

 そのまま引き出しのある棚へと向かっていく。

 大きく息を吐き出した後、引き出しを開くと、中にあったサングラスを手に取り見つめる。


 月明かりを浴びた二つの黒いガラスは、惟之の顔をぼんやりと映し出している。


 引き出しを戻し、しんと静まりかえった部屋でサングラスを握ったまま、惟之は再びベッドに戻り腰掛けた。

 一度だけ、深呼吸をして目を閉じる。

 ……額から汗が流れ落ちていく。

 いや、額どころか全身から汗は吹き出ていることだろう。

 もはや自分というものが無くなりそうな長いような短いような時が渡り、再び惟之は目を開く。


 自分がすべきこと、いや、行くべきであろう場所は分かった。

 だがそこに向かうことを、他の人間に知られることは少々まずいことになりそうだ。


 ……三条の人達に伝えるべきだろうか。

 惟之の頭の中に何人かの顔が浮かぶ。

 だが自分の予想が違っていた場合。

 あるいはこちらに悪意を持った人間に介入された場合に、彼らに迷惑が掛かってしまう。

 やはりここは、自分一人で向かうべきだ。

 決断を下した惟之は、部屋着を脱ぎ着替えに手を伸ばす。

 ベッドの上にぽつりと置かれたサングラスが、月明りを浴びて小さな影を作り出しているのがふと目に入った。


(一応、これも持っていくか)


 手持ちの服にあった動きやすく広めのポケットのあるワイドシルエットのジーンズを穿くと、再びサングラスを手に取り眺める。

 

 月明かりを浴びた二つの黒いガラスは、惟之の顔を映し出している。

 ガラスに映る自分に向けて彼は独りごちる。


「さぁ、責任を取りに行こうか」

 

 

◇◇◇◇◇



 無様ぶざま

 自分を一言で言うならば、この言葉以外に品子は思いつかない。

 今の品子は口に猿轡さるぐつわをかまされ、完全に誘拐されましたという姿で小屋の中で横たわるという実に哀れで惨めな状態。

 そんな姿を、少し前に品子が殴った男が嬉しそうに見ている。

 

 ここは本部の敷地内にある小屋なのだろう。

 見渡したところ、六畳ほどの広さで段ボールが雑多に置かれ、それらに埃がたまっている。

 この様子から見ても、普段から使われている場所ではないようだ。

 ここにいるのを誰かに気付かれると困るためであろうか。 

 小屋の中の照明を使わずにいるため部屋は薄暗い。

 今日の月の明るさと、暗さに目が慣れてきたこともあるのだろう。

 周りの様子は見ることは出来ている。


 あの後、別室でこの男と一緒に上の人達への状況説明、そして長くてありがたい説教を受けた。

 ようやくその説教から解放された品子は、この後に自宅にて始まるであろう二回目の母からの説教に怯えながら、家路につく途中で再びこの男に声を掛けられたのだ。

 相手をしたくはなかったのだが、ヒイラギ達に対する謝罪をしたいと言われ、立ち止まってしまったのが失敗だった。

 振り返った途端に掴まれた両手首に痛みが走り、握られた場所から徐々に体の自由が利かなくなっていく。

  

「人出さんは、手が使えないと発動も使えなくなるって本当だったんだ」


 悪意しか含まれていない笑顔。

 嬉しそうに話しているこの男と、自分の行動の甘さに品子はただうなだれることしかできない。

 そうして運ばれたのがこの小屋だった。

 さらに不運だったのが、ここに来る途中で誰にも会わなかったことだ。

 遅い時間帯とはいえ、本部にはそれなりに人が居る。

 誰かしらすれ違ってもいいものなのに、全くそれがなかったのだ。

 

 品子の姿を眺め、男がにやにやと笑っている。

 この顔はもう充分過ぎるほどに堪能したので、自分はもう見たくないし帰りたいのだ。

 目的は、今日の復讐であろう。

 さすがにそれくらいは理解ができた。


 しかしタオル一枚を口にぐるりと咥えるように巻かれるだけなのに、話せなくなるものだとは。

 何を喋っても「ぐむむ」としか言えない自分。

 更に品子の体は、自分の意志で動かすことが出来なくなっている。

 この男に触れられてから、力が全く入らないのだ。

 同じ組織の人間に発動するのは服務規程違反ではないだろうか。

 とりとめのない思考を繰り返しながら、ただ時間が過ぎていくのを待つしかない自身に歯がゆさを覚える。


「そろそろ完全に動けなくなったかなぁ? 俺さぁ、不意打ちでしか使えない発動なんだけど、こうやって相手を掴むと動きを封じることが出来るんだ」


 男は品子の口を塞いでいたタオルを外すと、そのまま振りかぶった。

 品子がその行動に本能的に目を閉じてすぐ、頬に鋭い痛みが走る。


「悪い。手が、いやタオルがすべっちゃったよ。あははっ」


 先程のお返しといったところだろう。

 だがそれを理解したところで、品子にはこの男を喜ばせる必要はないのだ。


「いえいえ。お陰であなたといる、とてつもなく退屈な時間が少々まぎれましたから」


 体の自由は利かないが、話すことは出来るようだ。

 ついでに、にやりと笑ってやる。

 案の定、男は立腹したようで今度は自分の手を振り上げてきた。

 だが、途中でぴたりと手を止める。


「まぁいいや。あまり時間をかけられないし。あ、大声出してもいいよ。誰も来ないけどね。……さて、人出さんに聞きたいことがあってさ。あぁ、自己紹介しておくね。俺はね、仁部にべって言うんだ。よろしく。ほらこのあいだ受けた中級発動者の試験あったでしょう?」


 確かに少し前に、品子は下級から中級になるための選抜試験を受けている。

 

「俺も受けてたんたよね、その選抜。だけどね、駄目だったんだ」

「それは残念でしたね。それと私になんの関係が?」

「お前がっ、お前が上官に進言したんだろ。俺が合格できないように!」


 品子には彼の言葉が理解できない。

 そもそも仁部が試験を受けたことすら、自分は知らなかったというのに。


「何か勘違いをしていませんか? 下級だった私が何か言ったところで、人の合否を決められる訳などないでしょうに」

「お前の親は三条のお偉いさんじゃないか! そして叔母があのマキエだ。その権力を使ったんだろう! 俺はお前より間違いなく優秀なんだ。現にお前はあっさりこうやって俺に負けてるじゃないか」


 叫ぶように話す男に、品子は冷ややかな目を向けた。

 彼はそれに気づかず、顔を真っ赤にさせわめき続ける。

 

「それなのにお前がどうして中級者になれるんだよ? 俺よりも劣った、しかも女の癖に」


 実に迷惑な逆恨み。

 それにより品子に生まれたのは怒りの感情。


「こんなことをして、何になると? 別に男女平等を唱えるつもりもありませんけど、こういったあなたの言動も含めての資質で不適格とされたのではないのですか?」


 品子の話に、彼は頬をヒクヒクとさせながら睨んでくる。


「そもそも今、私が家に戻らないことで恐らくは騒ぎになっているはず。どうやってこの状況を収めるつもりなんですか? 当然ですが私はこの出来事を報告しますし、あなたを庇うなんてしませんよ」

「あぁ、それなら心配しなくても大丈夫さ。ここってさ、とても便利なことに発動しても感知されない場所なんだ。だから君がここに居るのも誰にも気づかれないって訳。そしてね」


 気持ち悪い笑みを浮かべながら彼は続ける。


「君は今日、何も悪くない男を殴ってしまった行動に絶望するんだ。優等生の人出品子さんは人を傷つけたという今日の出来事に耐えきれずに、衝動的に命を絶ってしまうんだよ。可哀そうだねぇ」


 なるほど。

 だからここで品子が完全に動けなくなるまで待っていたという訳か。

 あとはどこかの山にでも行って、品子を突き落とせば完了なのだろう。


「あとは君から、選抜の際の不当な権力を使ったことの謝罪を受ければお終いなんだ。俺は心が広いから、今日の殴られた件は許してあげるよ」

「そもそも謝罪というのは相手に許しをうものでしょう? してもいない行為に対し謝罪をする必要などありません」


 自分が不利な状況だとは分かっている。

 今の言葉で、状況が悪化するであろうことも。

 だが、してもいない不正を許せるほど品子の心は広くない。


「そんな命乞いをするかのような、あさましい謝罪をするくらいなら、……ここで死んでしまった方がましだわ」


 睨みつけながら品子がそう言うと、予想外の答えだったのか、彼はたじろいだようで言葉に詰まっている。


「……あんた、本当にしていないのか?」

「さっきから言っているでしょう。私は人を陥れるなんて卑怯なことをしてまで中級になりたいなんて思わない」

「そんな、……でも聞いたのに」


 彼は下を向きぶつぶつと呟き出す。

 その呟き声に交じり外から物音がする。

 ここには誰もこないはず。

 二人とも思わず扉を見つめる。

 わずかの間をおいて扉がゆっくりと開かれていく。


「……楽しそうだな。俺も入れてもらえるだろうか?」


 聞き覚えのある声に、信じられない思いで品子が見つめる先。

 そこには彼女の中でありえない人物が。

 靭惟之がそこには立っていた。

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