第170話 冬野つぐみは語る
「ばばばーん! さとみちゃ〜ん、遊びーましょ!」
品子がさとみに話しかけていく姿をつぐみは見守る。
品子の手には紙と色鉛筆が握られており、さとみは品子の遊ぶという言葉にキラキラと目を輝かせている。
『あそぶ? 何してあそぶんだ?』
「じゃじゃーん。お絵かきでーす!」
品子が、リビングの机の上に紙を広げる。
そしてさらさらと鉛筆を走らせ、次々と動物の絵を描いていく。
『おぉ、しなこすごい! 友だちをかいて!』
「いいよー。さとみちゃんも、かきかきしよう! あ、明日人。君も何か描いてよ!」
「わー、絵心が試されちゃいますね。でも面白そう!」
『かきかき! する!』
三人がわいわいと机の上に広げた紙を前に楽しそうにしている姿を、ヒイラギとシヤは微笑みながら見つめている。
そんなにぎやかな様子を眺めながら、つぐみは二人に静かに近づいていく。
「ごめん、二人に話があるの。来てくれるかな?」
二人がうなずいたのを確認し、自分が先頭となって和室へと向かう。
彼らを先に部屋に入れると、静かに襖を閉じる。
そのまま深呼吸を二回行い、心を落ち着かせていく。
(……よし、やるんだ私!)
くるりとつぐみは振り返る。
後ろにいたヒイラギは不思議そうな顔を。
シヤはいつも通りの冷静な表情でこちらを見つめている。
二人に座るように促し、口を開く。
「今から二人に、話をしたいの。私の、……家族の話を」
◇◇◇◇◇
『かきかきって楽しいな! しなこ!』
「それは良かった。さーて。次は何を描こうかなぁ?」
鉛筆をくるくると回しながら、品子はさとみに尋ねていく。
『お花! おいしいやつ!』
「うはー、基準わかんなーい」
「あはは。この時期なら、朝顔やひまわりなんてどうですか? 品子さん」
困った顔をした自分に助け舟をと、明日人がさとみの頭を撫でてから、黄色の色鉛筆でひまわりを描いていく。
「お、いいねぇ! じゃあ私は朝顔を描いてみよう」
『おいしいやつー!』
さとみはバンザイのポーズをして、ぴょんぴょんとジャンプをしている。
嬉しそうな彼女の姿に笑みがこぼれてしまう。
青色の色鉛筆を手に取り、品子は朝顔を描きはじめる。
西洋朝顔の花言葉は、『愛情の絆』だったことを品子は思い出す。
つぐみは今頃、ヒイラギ達に話をしているはずだ。
家族から与えられるはずだった愛情を、受け取れなかった彼女。
心に深い傷と喪失感を、ずっと抱えて生きてきた女の子。
彼女の話を聞き、あの二人がどうするかは品子には分からない。
『どんな結果であろうと、二人の言葉を受け入れます』
そうつぐみは言っていた。
『しなこっ! お花、ちゃんとかいてー!』
さとみが品子の腕を揺すりながら、顔を覗き込んでいるのが目に入る。
つい手を止めてしまっていた自分に苦笑いをしてしまう。
自分はつぐみと約束したのだ。
だから今は、役目をきちんと果たさねばならない。
彼女がヒイラギ達に話をする間、さとみをこのリビングに留まらせるようにと品子はつぐみから頼まれているのだ。
泣いてしまうかもしれない。
そんな姿をこの子に見られたくないからと。
「ごめんねー。どうしたらおいしいやつに見えるかなぁ? って考えてたー」
慌てて答える品子にさとみは、うんうんとうなずく。
『それならしかたないな! おいしいは、すわなければわからないからな』
「そうそう、吸わなければ。……やってみなきゃ分からないからね〜」
そう、どんな結果になるかは。
やってみなければ分からないのだから。
◇◇◇◇◇
和室へと向かう間、シヤの前を歩くつぐみは何も話さない。
とても緊張しているのだろう。
それくらいはシヤにも分かった。
話があると言われた時、ひょっとしたらという思いはあった。
数日前のつぐみがさらわれた事件で、誘拐犯の男に対し話していた言葉。
彼女はずっと兄にわび続けていた。
これに関わることではないのだろうかとシヤは考えている。
品子につぐみの家庭事情を尋ねた際に、言われた言葉。
『彼女が自分から話すまで、もう少し待ってもいいんじゃないか』
今がきっとその時なのだ。
ならば自分は、品子から言われたようにきちんと向きあって聞こう。
先に自分達を部屋に入れ、つぐみは閉じた襖に触れたまま、こちらに背を向け動かない。
心配になったであろう兄が声をかけようとする。
シヤはそっとそれを制し、彼女からの行動を待つ。
くるりと振り返った彼女は、しっかりとした口調で話す。
「今から二人に、話をしたいの。私の、……家族の話を」
◇◇◇◇◇
ヒイラギが案内された部屋の中には、座布団が三つ。
そのうち二つ並んでいる方へと、自分達は座る。
その様子を見届けたつぐみが、向かい合うようにして置いてある残りの一つに座るのをヒイラギは見届けていく。
「私の家は世間で言う、裕福な家庭と呼べるものだったと思う。家族構成は父、母、兄、そして私の四人家族。兄は三つ上だから今は二十一歳、……かな」
正座をして膝の上に両手をきちんと揃え、自分達を見ながらぽつりぽつりと彼女は語り始める。
最初にあったのは違和感だ。
『裕福な家庭と呼べるものだったと思う』
彼女は過去形で話を始めたのだ。
だが続きを聞く限り、家族が亡くなっている訳でもなさそうだ。
ヒイラギは隣りにいるシヤを見る。
真っ直ぐにつぐみを見つめたまま、シヤは彼女が話す言葉に耳を傾けている。
自分達だけを、わざわざ呼び出して話すことだ。
つぐみが何かしら大きな決断を抱え、話しているのだろうとは思う。
だがヒイラギはその内容が何なのか、全く見当がつかない。
ヒイラギもつぐみの家族のことは、以前から気にはなっていた。
自分がこの家に帰って来た日に、ここにいることを家族に言わなくていいのか? と聞いたことがあった。
夏休みなのだし、実家に帰省もしたいだろう。
その思いを抱いたからだ。
その時、つぐみはほんの一瞬だけ怯えた表情を浮かべたのだ。
だがすぐに、彼女は笑いながら答える。
「大丈夫だよ! だから、もう少しだけここに居させて」
にこにこと笑いながら腰に手を当て、彼女は続ける。
その後、品子が突然に会話に乱入してきてその話はうやむやになってしまった。
あまり自分の家族について、触れて欲しくないのだろう。
当時のヒイラギはそう感じたものだ。
更に思い返してみる。
奥戸の事件の際の彼女の資料には、家族の詳細な記述が無かった。
いや、その項目のページだけが抜けていた記憶がある。
品子か惟之が自分達が読む前に、その部分を
そんな家族の話を、彼女は自ら話そうとしている。
なぜ、このタイミングでなのかは分からない。
だが彼女がその決意をしたというのならば、それに対しきちんと向きあうべきだ。
それが今、自分がすべきこと。
シヤと同じように真っ直ぐ彼女を見つめると、言葉を待つことにする。
極度の緊張から彼女の顔は真っ青だ。
先程から所在なさげに、彼女の手が膝と腰を往復している。
口を開きかけては止めてを繰り返す彼女に向かい、ヒイラギは言う。
「冬野の言葉で話せ。それまで俺達は待つ」
その言葉に、シヤが続けていく。
「そうですね、それでいいと思います。どうかつぐみさんのそのままの思いを、私達に」
それを聞いた彼女は驚いた顔をした後、目を閉じておもむろに自分の両頬を両手でばちんと挟み込む。
かなりの痛みがありそうな音だったな。
そう思いながら眺めた彼女は、頬をおさえたまま笑っている。
「痛ーい。でもこれでやっと口が動きそう。私の言葉、私のこと。どうか聞いてもらえますか?」
ヒイラギとシヤはうなずく。
それを見たつぐみは、ゆっくりと話しはじめていく。
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