第168話 千堂沙十美と観測者
前話のつぐみたちから一転。
今回は、沙十美と室のコンビへと話はうつります。
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沙十美はゆっくりと眠りから覚めていく。
いつも通りの室の部屋、耳に入ってくるのはいつもの心地良い本のページをめくる音。
眠る前と違うのは、自分にブランケットが掛けられていること。
沙十美は立ち上がり、室へと視線を向けた。
彼は自分を見ることもなく、本を読み続けている。
確か、観測者は呼べと言っていた。
それを思い出し、沙十美は声を出す。
「かっ、観測者っ! 話があるの!」
沙十美の声に、返事はない。
何だか恥ずかしくなり、「もう、何なのよ」と呟いてしまう。
「すみません。少し様子を見てみたくなって。……ふふ」
前回と同じように、突然に沙十美の耳へ声が届く。
さらにいえばこれは、前回よりも意地の悪い含みのある言葉と口調だ。
「ちょっと、ひどいじゃないの! 呼べって言ったから呼んでいるのだから、きちんと返事しなさいよ! あと、室っ! うるさいって言わなくても分かってるから。いちいち言わなくていいわ!」
沙十美は恥ずかしさもあり、室を指差しながら思わず大声で叫ぶ。
室はちらりと沙十美を見ただけで、すぐに本へと目を戻していた。
「すみません。ふくくっ。千堂さん。あなた、本当に楽しい人だ。室さん、楽しくて何よりですね。……っと、そうだ室さん。ここで三時間程でしたら、私が『見て』いましょう。千堂さんと話もしたいですから。少し隣で休んでいただいても?」
観測者の言葉に、室は何も言わずに隣の部屋へと向かっていく。
あの室が大人しく言うことを聞くなどと、珍しいこともあるものだ。
そう考えながら沙十美は彼を見送る。
その一方で先程の観測者の、『三時間程なら見ている』という言葉が妙に引っかかるのだ。
「さて、千堂さん。私と少しばかりお話をしましょうか?」
「え? そ、そうね。もちろんいいわよ」
沙十美は観測者に答えようと気持ちを切り替えていく。
「では千堂さん。私にお話を聞かせてください。こちらから質問するので、答えて下さいね」
「えぇ、分かったわ」
それから観測者は、沙十美に次々と質問を投げかけてくる。
今までのこと、室の中で覚醒した時の状況など。
その時に何を思い、どう行動したのか。
沙十美がそれらに答えると、観測者はとても嬉しそうに聞き返してくる。
まるで子供が、はじめてのおもちゃを与えられた時のような反応だ。
少し前までの冷静だった口調との違いに、沙十美は思わず苦笑いをしてしまう。
そうだ、つぐみの話をしなければならない。
沙十美はそれを思い出すと観測者へと呼びかける。
「ねぇ、観測者。つぐみはあなたと話をすることを受け入れたわ」
「本当ですか? 嬉しいなぁ! また、楽しみが一つ増えました」
「ただ、どこでどうやって話をするか。あとは白日の人に知られないように会う方法。これがまだ思いつかないの」
「まぁ、お話が出来ると分かったのです。今はそれで充分でしょう。場所や方法ですか。こちらから場所は指定させて頂こうかなぁ? うん。もう少し互いに、話を詰める必要がありそうですね」
「えぇ。私としても、まだしっかりと彼女と話をする時間が無かったから。とりあえずあなたには、話が出来るということだけ伝えておこうと思ったの」
子供のように喜ぶ観測者と話をしながら、沙十美の中で次第にもやもやとした思いが増していく。
理由はわかっている。
先程の観測者の言葉と室の行動の直後から、この感情が芽生えているのだから。
それもあり、室がいる隣の部屋へと何度も視線が向かってしまう。
「おや? 千堂さん、いまひとつ歯切れが悪いですね。……あぁ、私が室さんに言った話が気になりますか?」
相手の問いに沙十美は即座に答える。
「ええ、そうよ。気になるわ。だってあいつ、私に何も言わないんだもの」
その答えに、観測者は驚いたようだ。
「あれ? てっきり『そんなもの気にならないわよ! 興味なんかないわ!』とか言われるかと思ったのですが。ちょっと意外です」
今までと違い、観測者が珍しく驚いた調子になったのに沙十美は気付く。
「……だって当然でしょう? 私はあいつのパートナーだし。ついでに言えば、少しでもあいつのこと知っておいた方がいいもの。あわよくばそれで弱みを握ったら、あいつに一泡吹かせられるじゃない」
「わぁ、そんな考え方もあるのですか。へぇ、面白いなぁ。ふふふ。うんうん! これはなかなか興味深い」
観測者は、楽しそうな口調で続けていく。
「いいですね。新鮮な驚きをくれたお礼に、こちらからもお話しましょう。先程の私と室さんの会話の理由をね。あぁ、その前に確認を。……うん、室さん眠ってますね。いやいや、お疲れですよねぇ」
「疲れている? どうしてなの?」
「室さんは最近、公に出る仕事を断っているんです。その代わりにここ数日は、『対象者』という仕事をされています」
「対象者? 何なのそれは?」
そんな言葉や話を、沙十美は彼からは聞いていない。
「簡単に言ってしまえば、組織の人間全員から命を狙われる仕事です。今、室さんを殺害、あるいは致命傷を与えた方は、もれなく上級、中級に昇格出来ますよ。更にそれが成功した人間には、副賞もあります。一部の上級者にしか配布されなかった、特別な薬も与えられますよ。というものでして」
特別な薬、それはつまり。
「ねぇ、それって?」
「はい、あなたから作られたお薬です。下級でも挑戦できるように複数人でも、いつ襲ってきてもいい。そして室さんは相手を撃退はしてもいい。ですが、致命傷を与えてはならない。殺してもいけないというルールになっています。あ、あとは一日につき三十分ですが、もちろん室さんにも休憩時間がありますよ」
「一日で、たったの三十分だけしか休めないですって!」
それを数日、彼は過ごしてきたというのか。
「なっ、何なのよ! その仕事は」
「これはお互いにメリットがあるから存在するんです。室さんとしてはこの仕事をこなせば、しばらくは仕事が免除されます。組織としてはこれにより、内部の力の底上げと戦力の発掘が出来る。そしてこの様子を見て楽しむ一部の人達にとっては、退屈しのぎやちょっとしたガス抜きにもなります。様々な人間が一度に恩恵を得られるという、なかなかに楽しいイベントになっているんですよ」
この人物は何を言っているのだ。
沙十美は信じられない思いで彼からの言葉を聞く。
「つまり今こうしている間にも、誰かが襲ってくるかもしれないと?」
「いえ。今は、といいますかしばらくは誰も来ません。この周りには今、私が作った壁があります。ですから落月の人は、誰もこの中に入ることが出来ません」
「壁がある? そんなことして、あなたが大丈夫なの? それこそあなたが組織から、
「相変わらず私の心配をしてくれるのですね。面白いなぁ。それについては心配ありません。だって私、
観測者の言葉にぞわり、と沙十美の肌が粟立つ。
少し遅れて襲ってきたのは、恐怖心かそれとも。
「あ、いけない。今ので室さんを起こしちゃいました。でもいいですよね。この辺りにいた人達も、私の今の言葉で全員が帰ろうとしているみたいですし。それにそろそろ、約束していた三時間になりましたね」
言葉に促されるように、沙十美は部屋の掛け時計を見る。
確かにこの人がここに現れてから、すでに三時間は経過しているようだ。
「いやぁ、楽しかったなぁ。冬野つぐみさんの時も、こんな楽しい時間になるといいのですが」
「ねぇ、本当につぐみには危害を加えないのよね?」
「はい、今日みたいな感じでお話をして終わるつもりです。あ、室さんが来ましたね。では、私は失礼します」
その声がぷつりと消えてから少しして、室が部屋に戻って来た。
沙十美が彼の顔を見れば、確かにその顔色は良いとは言えない。
「ねえ。対象者って仕事は、あと何日しなきゃいけないの?」
沙十美の問いかけに、室は不機嫌そうな表情を見せる。
「観測者か。また余計なことを」
「この仕事を受けたのは、公の仕事に行かないのは。……私の存在を隠すため?」
「長めの休みが欲しくなった。それだけだ」
沙十美は数日前から室に、声を掛けられるまでは外に出てくるなと言われていた。
小さな自分を導くのにちょうどよかったので、何も考えずにそれを受け入れてしまっていたのだ。
更には
思い返せば確かにここしばらくは、この男が眠っているのを見たことが無い。
気づかなかった、気づけなかった事実に。
思いが、後悔が、様々な感情が混じり合い、沙十美の胸の奥から溢れてしまいそうだ。
「何でよ。何で私に何にも言わないのよ。どうして私のことであんたが痛かったり、嫌な思いをしなきゃいけないのよ」
「……何か勘違いをしていないか?」
沙十美は室の正面に立つと彼の両手首を掴み、真っ直ぐに彼を見据える。
それでこの男の考えが、少しでも汲み取れるような気がして。
なのに室は、先程の言葉を最後に何も言わない。
ならばと沙十美は口を開く。
「ねえ、私はあんたのパートナー。あんたの一番近くにいるのが私なの。あんたの調子が悪いと、私にまで影響が来るわ」
室の手を掴み強引にソファーに座らせ、先程まで自分に掛けられていたブランケットを、室の頭にばさりとかけてやる。
「……何のつもりだ?」
「寝ろ! それだけよ。あんたが寝ている間は、私が起きている。変な奴が来たら
「……二日だ」
「ふん、なんだ。全く余裕じゃない! さくっと終わらせるわよ。私、つぐみに聞いたお店のタルト食べに行きたいんだから。だ、だからあんたは付き合いなさいよ!」
「気が向いた……」
「向かなくてもあんたは行くのよ! だからとっとと寝てちょうだい!」
沙十美の叫びに、室は何も言わなくなる。
不安になり振り向くと、もう眠っているではないか。
切り替えの早さは大したものだ。
「さて。あと二日だっけ? 来たい奴は来ればいいわ」
ささやかながら、自分が出来る最高のもてなしをもって歓迎しようではないか。
自分の周りに、いくつもの黒い蝶が飛び交い始めるのを見つめ沙十美は思う。
――乱暴なお客様達に、気に入って頂けるといいわねぇ。
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