第218話 人出品子は髪を結う

 今までの自分は逃げていた。

 品子は改めてそれを自覚する。


 辛かった、忘れてしまいたい出来事を見ないように。

 全部、心の奥に押し込んで、隠して来た。


 抱えた記憶はとても苦しい、だから見ない振りをした。

 その結果が、今のこの動かない体。

 震えて、髪を結うことすら出来ない頼りなく弱い姿だ。

 

 だが、品子は思う。

 弱いとは、駄目な事ばかりだろうかと。


「そう、今は出来なくても……」


『私は頼りない存在です。でも私は何度でも自分の足で立ち上がり、前へ歩いて行きます!』


 つぐみはそう言って、品子達と共に歩む道を選んでくれた。


 頼りない存在、弱い自分と向き合う。

 そこから知り、生まれて来るものもあるではないか。


『俺は逃げ兎じゃない。俺の名前は木津ヒイラギだ。おぼえておけよ』


 心無い言葉に対し、初めて自分からヒイラギは立ち向かった。

 自分の発動は、弱さからではなく守るもの。

 それに気付き、歩き出してくれた。


 あの子達は自分自身と真剣に向き合い、もがき、進みだしている。


「じゃあ、今度は私の番だよね。……受け入れよう。弱い私も、情けない私も」


 品子は手を開く。

 くしゃりと曲がっていたヘアゴムは、その姿を元の丸い形に戻していく。

 これと一緒だ。

 受け入れ、認め、そのつど変えていく形に寄り添っていけばいい。


 両手を後ろに流すように持っていきながら、髪を一つに束ねる。

 片手で束ねた髪をまとめ直し、空いた手にヘアゴムを持つ。

 ゆっくりと髪を通し、結んでいく。


 ――震えは、止まっていた。

 

 結ぶ手を進めながら、そばにいる人達のことを思う。

 それにより自分の心には、小さなあかりが灯っていくのだ。

 とても小さい、なのにとても強くて優しい温かさを持った光。


 皆が大好きだから。

 だから皆がいつまでも、そばで笑っていてくれるような自分であり続けよう。

 強くなる、ではない。

 自分の全てを認め、受け入れよう。

 それが私の答えだ。

 

 今までずっと使うことにためらいを感じ、嫌い、向き合わなかったこの力。 

 右の手のひらを上に掲げ大きく息を吸い、力を発動させる。

 足元から風が吹き上がるような感覚に身を委ねていく。

 その力を宿した風が、掲げた手のひらに集まるのを感じる。


 品子の口元に笑みが浮かぶ。

 受け容れたことによる自分の中の媒体が。

 ――悦びに、体を震わせている。

 

 髪は結んでいるのだ。

 効果はせいぜいが十数メートル程度だろうと推測をする。

 あとは二条が解析をしてくれるはずだ。


「では、はじめようか? ……頼むぜぇ、解析班惟之さんよぉ」


『妖艶』は、本来の発動名ではない。

 本来のあるべき発動名は……。



◇◇◇◇◇



「わわっ! な? 何これっ?」


 明日人の動揺した声に、惟之は彼の方を見やる。

 彼は、席から立ち上がったまま動こうとしない。


「明日人? 一体、どうしたんだ?」

「こっ、惟之さん。すみませんが、僕も品子さんの観察を中止させてもらいます。……えっと、ですね」


 明日人は再び椅子に座ると片手を胸に、もう片方で目を覆い黙り込む。


「おい、明日人。大丈夫か? 体調が優れないなら治療をって、ん? お前は、誰に治してもらえばいいんだ?」

「……大丈夫です。治療の必要はありません」


 見上げてくる明日人の頬は真っ赤に染まっている。

 苦しいのだろうか。

 困ったように眉を寄せ、とろりと目を潤ませながら惟之を見上げてくる。


「明日人、ひょっとしてお前……?」


 その答えをすぐさま、惟之は知ることとなる。

 

 ――風が、走った。

 体に感じるものではなく、直接、心にだ。

 ざあっと惟之の皮膚が粟立つ。

 だが、それは決して不快から来たものではない。

 それは心地よい、まるで滑らかなビロードのような。

 柔らかな手触りでするりと、何かが惟之の心を撫で、一瞬にして去っていった。

 たちまちに体が弛緩しかんし、思わず惟之はその場に膝をつく。

 隣では明日人が「ひゃっ」と裏返った声を上げている。

 

「……そうか、これは」


 答えを出し、惟之は隣にいる明日人に尋ねる。


「明日人、体は動くか?」

「ふぇっ? あ、は、はい! 大丈夫、……みたいです」


 明日人は両腕を屈伸させ、動けるのを確認すると、椅子から立ち上がった。

 惟之も座り込んだ床から立つと、部屋の出口へと向かう。

 自分に続き、部屋を出ようとする明日人に先に声を掛けておく。


「多分、ここを出たら驚くことになるぞ」


 言葉と共に、惟之は扉を開いた。

 後ろで明日人が、「うわぁ」と小さく呟くのが聞こえる。

 部屋の外では、予想通りの光景が広がっていた。

 廊下にいた人はしゃがんでいたり、壁にもたれかかったりしている。

 皆、身動きが取れず動揺した様子だ。

 互いに声を掛け合って動けるのかを確認している。

 その中を、なるべく大きな声を出しながら惟之は歩いていった。


「大丈夫です! じきに体は動くようになります。どうか無理に動こうとせずに、そのままの状態でいて下さい」


 彼女も遠慮なくやってくれたものだ。

 何ら知らせもなく行動を起こしたのは、事前情報がある事により正しいデータが取れなくなるのを懸念したためだろう。

 この騒動の主がいる場所に向かいながら、その中でも少しずつだが動けるようになっている人々の様子を確認し惟之は考える。

 おそらく回復の速さは、当人達の能力と……。


 一条の管理区の手前。

 そこでこちらに向かい、悠然と歩いてくる人物に惟之は声をかける。


「よう、派手にやってくれたもんだな。……品子さんよぉ」


 その人物。

 人出品子は惟之を見ると、にいっと唇を横に広げてみせた。

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