第219話 井出明日人は赤面する

「やあやあ、惟之じゃないか。こんな所にお前がいるなんて、どうし……。ん? 明日人、どうしたんだい?」


 最初は自分へと話しかけてきた品子だったが、惟之の隣の明日人の視線に気づくと彼に向けてにこりと微笑む。

 たったそれだけのことで、明日人はかなり動揺してしまっている。


「にゃ、ええっと、しなこしゃん……」


 顔を真っ赤に染めた明日人は、しどろもどろになり惟之の背中へと隠れるように下がっていく。


「おい、明日人。お前、大丈夫か? 話し方がネコみたいになっているぞ……」


 いつもと違う明日人の様子に、思わず惟之は背後にいる彼へと問いかける。

 その声かけに明日人は、惟之の背中の服の部分を掴みながらそっと品子の方へと顔を覗かせた。

 そうしてもじもじとした表情で品子の前に立つと、上ずった声で話を始めていく。


「し、品子さん。実は僕、あなたの様子をですね。ええっと、少し前まで遠隔で観察をしていたのです。そうしたら突然に……」


 言葉が浮かばない様子でいる明日人の姿を、品子は黙って見ている。

 沈黙に耐えられなくなった惟之は口を開く。


「おい、品子。取りあえずは、……おい? 具合が悪いのか?」


 おもむろに彼女はその場にしゃがみこんでしまう。

 吸い寄せられるように、惟之と明日人の視線はその姿を追いかけていく。

 品子は、にいっと笑いながらそんな自分達を見上げてくる。

 次の瞬間。


「品子ぉ~タックル~!」


 叫びながら、明日人の腹辺りにまるでカエルが飛び跳ねるかの様に突然に体当たりをかけていった。

 どん! と強くぶつかられながらも、明日人はこらえる。

 一歩うしろに下がりはしたものの、大きく体勢を崩すことなく品子の体を明日人は受け止めた。


「し、品子さん? 一体、何を……!」


 かなり戸惑った声で、明日人が品子に問うている。

 その声かけと同時に今度は彼に抱き着いている体勢を利用し、品子は両腕にぐっと力を込める。

 自身の上半身を明日人にゆだね、体を安定させる。

 そうして、たん! と小さくはね、両足を揃え直すと巻きつけていた腕を明日人から離し、そのまま真っ直ぐに品子は立ち上がった。

 近づいた互いの顔の距離は、わずか数センチ。

 その状況に、明日人の顔が一瞬にして赤く染まるのを惟之は見届ける。


「かーらーのー! 品子でこぴーん!」


 ぱちん、と軽い音がして品子の人差し指が明日人の額をはじいた。


「ふえっ? な? な? ……ってあれ?」


 明日人がきょとんとした顔で自分の額を両手で押さえて、惟之と品子の顔を交互に見つめてくる。


「悪い、明日人。……今、解除したからもう大丈夫」


 前髪をかき上げながら、曖昧な笑みを浮かべ品子は続ける。


「多分ね。君が一番、というか直接に発動に触れてしまったというべきなのかな。でも、今はもう私に対して、何も感じるものはないだろう?」


 品子が話す言葉に、彼はこくりとうなずいている。


「……はい、その通りです。さっきまでは何と言いますか。品子さんに対しての感情が、上手く抑えられずにいたのですが、確かに今はいつも通りに接することが出来そうです。って、うわわっ……!」


 自身の発言に明日人は、再び顔を赤くすると額に当てていた手を頬に持っていく。

 擦れば紅潮した顔色が消えるのではないか。

 そういわんばかりに、自身の頬を両手でごしごしと擦っている。

 楽しそうにその様子を品子はしばらく眺めていたが、真顔になると惟之に向き直る。


「お前にも、見られていたんだろう? ……迷惑を掛けた」


 十年前の里希との件を、自分に知られてしまったという気まずさ。

 あるいは、自由の利かなくなった自身の体に対する未熟さをうれいているのか。

 いずれにせよ、こんなしおらしい態度は彼女らしくない。

 そう考えた惟之は、軽い調子で品子へと言葉をかける。


「何だ? お前のことだから、『勝手に覗いてんじゃないよ。見学料をきちんと払えよ』くらい言って来るもんだと思っていたが」


 いつもの品子であれば、『うるさいんだよ、垂れ目の癖に!』などと言ってくるはずなのだ。

 しかし今は、惟之の言葉に気まずそうにうつむくのみ。


「らしくないのは調子が狂うんだよ。お前はな。がつがつチョコ食って、大人しく血糖値でも上げとけばそれでいいんだよ」

「そうですよ! それこそ僕が、これほどまでに弄ばれたんだから! むしろ僕に見学料を払って下さいよ!」


 惟之に続いて明日人が叫ぶ。

 ――なぜか自分に向けてだ。


「いや、明日人。おかしいよな? それは俺にではなく品こ……」

「おかしくないですよ! 少し前に僕がいなかったら、惟之さん大変なことになっていたんですよ! ファイルで風を送ってクールダウンさせたのは、誰だと思ってるんですか!」

「あぁ、里希と話をした時か。確かにあの時、明日人がいなかったら。おそらくはまずい展開になっていただろうな」


 惟之の言葉に明日人は深くうなずいている。


「あのファイルはね! 僕の大切な『この周辺の美味いタルトリスト』なんですよぅ! それをあんなふうに使うことになるなんて。『かぜ』だけにねっ。……ううっ」

「あぁ、あの冬野君が危うく四条に買収されそうになった、あの黒いファイルの。……っておい」


 惟之の視線の先で明日人は両手で顔を覆い、うつむいて肩を揺らしている。


「……おい、泣いた振りだよな? まさかこんなことで、二十歳を超えた人間が泣かないよな?」


 動揺を隠し切れずに、惟之は明日人に向けて手を伸ばしていく。


「ひどい! 明日人はただ惟之の為に、なんか知らないけどファイルをなんやかんやしたというのに!」


 明日人の様子を見た品子が、惟之へとびしりと指を突きつけてくる。


「そうですよ! 僕はただ惟之さんに、見学料と言ってまた美味しいお寿司をご馳走になろう! って純粋に、思っているだけなんですから!」


 なぜだか明日人までが、品子と同じように惟之へと指をさしてくる。

 中途半端に上げた手を、惟之はそっと下ろしていく。


「明日人。……やっぱりお前、嘘泣きだったんだな」


 そんな惟之の発言は、自分の前でぎゃんぎゃんとうるさく喚いている二人の声にかき消されていく。


 その様子になんだかほっとしている自分に気付き、惟之は小さく笑んでしまう。

 とはいえ、このままでは埒が明かない。

 ありったけの理性をもって惟之は二人へと告げる。


「待て、お前ら。さすがにおかしいから突っ込むぞ。まず品子。『なんか知らない』の時点で、お前に発言権は無い。そして明日人。お前は人に寿司をたかる時点で、純粋さなどもはや無いと気付け」


 惟之の言葉に二人は、明らかな不満顔を揃って見せてきた。

 唇をつんと尖らせた、同じ表情。


「お前らは姉弟か」


 惟之は思わず二人に突っ込みを入れながら、理性をもう一度かき集めていく。

 冷静さを取り戻すように目を閉じ、深くため息をつく。

 吸い込んだ息と共に、口元に再び生まれたのは笑み。


「分かったよ、俺の負けだ。品子。冬野君に今日の夕食は寿司だと連絡してくれ。明日人。急だが今晩、空いているか?」


 惟之の言葉に二人は、ぱあっと笑顔に変わっていく。

 そのまま二人は手を高々と上げ、ハイタッチをして喜んでいる。

 これではまるで、子供ではないか。

 二人揃って、上級発動者とは思えない姿だ。

 それと眺めながら惟之は品子へと声を掛けて行く。


「品子。お前、発動能力に変化があったことを、報告しに行った方がいいんじゃないのか?」

「あぁ、そうだね。今から私は三条の管理室に行くよ。お前達もそれぞれ用件が済んだら、木津家に集合な! 事前に冬野君にいつ頃に家に着くか、連絡を入れてくれると助かる」


 品子の言葉に、明日人が嬉しそうに答える。


「了解ですっ! 仕事はすぐ終わらせて、さとみちゃんと遊ぼうっと」

「うわ。ずるいぞ、明日人! 私もすぐに報告して帰るからな!」


 そう言うと品子は小走りで、三条の管理地へと向かって行く。


「そういうことですのでっ! 惟之さん。僕は四条に戻って仕事を片付けてきます! またのちほど!」


 同じくいそいそと去っていく明日人の姿を惟之は見送る。


 では自分も、なすべきこと済ませるか。

 この後に再び会う彼らの顔を浮かべ、つい頬が緩んでしまう。

 心なしかいつもより前に早く進む自分の足の動きに戸惑いながらも、惟之は二条の管理地へと歩みだした。

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