第22話 冬野つぐみと人出品子の場合 2回目

 部屋の前に着き、つぐみは急き立てられるようにノックする。


「はーい。どうぞー」


 昨日と全く変わらない様子の返事を聞きドアを開ける。

 品子は自分の席に座ったまま、部屋の中央にある椅子をてのひらで指し示してきた。

 ここに座れということなのだろう。

 一礼してからつぐみは椅子に腰掛ける。


「君は昨日、あまり眠れていないはずなんだが、思ったより元気そうだね?」

「そうですね。答えが決まったからでしょうか」

「ならば結論を聞こう、君はどうするんだい?」


 つぐみは一度、大きく深呼吸をしてから品子に話し始める。


「昨日の話の続きを聞かせてください。そのために私はここに来ました」

「まぁ、そう言った答えが来るとは思っていたが。私としては、忘れるという選択肢を選んでほしいんだがねぇ」


 机に頬杖ほおづえをつき、困った様子で品子は言う。


「……そもそも私から、話を聞けと言っていたな。それなのに、断ってくれというのは実に矛盾している訳だが」


 自嘲じちょうの笑みを浮かべながら、品子は机から数枚の紙を取り出す。

 その紙をちらりと見たあと、つぐみへと向き合う。


「ところで冬野君。君は料理がとても上手だね。先日の料理はとても美味かったよ」


 突然の会話の流れに、つぐみは戸惑いながらも答える。


「え? あ、ありがとうございます。そう言ってもらえると凄く嬉しいです」

「その料理の腕は一人暮らしの賜物たまものなのかね? それともお母様が得意だったのかな?」

「……いえ、私は一人暮らしになる前までは、祖母と一緒に住んでいたので。料理は祖母から学びました」

「なるほど。でも君の家はお父さんとお母さん、あとお兄さんの四人家族らしいんだが」

「……っ」


 つぐみは品子が手にした紙が自分の資料なのだと悟る。

 学生個票の記載を、品子が読んでいてもおかしくはない。

 体に力が入り、膝にのせていた手が脇腹の方にずれる。

 動揺して何も言えなくなったつぐみに、さらに品子は続ける。


「さらに言えばだ。君は中学の頃から他の家族と離れて、お祖母様の所にいるようだね。そして高校二年の時にお祖母様が亡くなられた。それから一人暮らしをしている」


(……おかしい。ここまでの事を、学校が知っているはずがない)


 つぐみの家庭環境の話は誰にも、沙十美にすら話したことがないのだ。

 驚いて品子を見ると、彼女は持っていた紙をヒラヒラとさせる。


「第一の断って欲しいと思う理由。こんな人が知られたくない話すら容易たやすく知りうる所に私は居る。それはつまり……」

「そんな情報をも手に入れられるということは、それ相応のリスクを抱えている場所でもあると考えるべきだと」

「はい、ご名答。話が早くて助かるね」


 パチパチと手を叩きながら、つぐみを見る品子の目は全く笑っていない。


「第二の理由。私が持ちうる情報すべてを君に渡したとしよう。きっと君はその中から千堂君のことも含め、私達に新しい気付きを教えるだろう。だがそれによって、背負わなくてもいいものを君が負う可能性もある。それは優しい君に耐えられないかもしれないよ?」


 品子の問いかけにつぐみは答えていく。


「……先生が私に、この話をしたのは。私を必要としてくれた。そういうことではないのですか?」

「そうだね、でも同時に恐れているよ。無関係の君を果たして、こちらに連れて行ってしまってもいいのかと」

「関係はありますね。まず私は何より沙十美を捜したい。そして先生は私を必要としてくれた。自分の大切な人達が迷ったり困っている。そんなことは嫌なんです。……それに忘れてと先生は言いますが」


 言葉を一度とめて、つぐみは品子を見つめる。

 まっすぐに、きちんと伝わるように。

 伝えられるようにと。


 今の言葉でも、品子が自分を巻き込まないようにと考えてくれていることがわかる。

 本当に優しいのは品子の方なのだ。


「先生が大変な思いをしているのを、私は知りました。そのそばで忘れていられるほど、私は器用な人間ではありません」


 品子は全く目を逸らすことなく、こちらを真正面から見ている。

 つぐみは続けようとするが、ここに来て先程の自分の発言に羞恥しゅうちを覚える。


(……あれ、ちょっと待て。今、私は『先生は私を必要としてくれた』だの、『自分の大切な人』だの言ってしまったよね。こ、こんな大胆な発言をして、よかったのだろうか)


 一瞬にしてつぐみ顔の熱が上がる。

 これ以上、品子の顔を見つめながら話すのは無理だ。

 自分の消極性を恨み恥じながら、つぐみは下を向き話を続けていく。


「せ、先生が私の普通を願うように。わたっ、私も先生の普通をっ!」


(――いやいや。どうやら先生は、もう充分に普通ではないみたいだけれど)


「先生が少しでも、普通でいられるように。手伝いたいと思っていますっ! 理由は以上です!」


 途中で目を逸らし、きちんと気持ちを伝えられなかった。

 自分自身のふがいなさで、つぐみは上を向くことが出来ない。

 品子は何も言わない。

 沈黙に耐えられず、ちらりとうかがうようにつぐみは顔を上げる。

 見上げた品子は、目を見開き固まっていた。


 心なしか、顔が赤い。

 ……怒らせてしまったのだろうか。

 目が合うと、品子は我に返ったような顔をして「あぁ」と小さく呟く。

 がたりと音を立て、品子は席から立ち上がるとくるりとつぐみに背を向け、小さくため息をついた。

 そうしておもむろに、結んでいる髪をほどくとつぐみの方へと向かってきた。


「なぁ、冬野君。私は思うんだが」


 いつも結わえている髪が広がっていく。

 品子の歩みと共に、髪もさらさらと揺れる。

 つぐみの元へと来る姿。

 それはとても綺麗で。


「人っていうのは、本当に我儘わがままなものだと思うんだ」


 いつも快活に笑っている品子の顔が。

 髪をかきあげながら見つめる笑顔は、とても艶やかで。


「私を、大切な人って言ってくれたね」


 綺麗だな、綺麗だな。

 綺麗すぎて目が離せない。

 いや、違う。

 これは綺麗ではない。

 ……これは。

 『妖艶』だ。


 そう考えていたつぐみは、気がつけば目の前に品子の顔があることに驚く。

 椅子に座って茫然ぼうぜんと見ている自分の両頬へと、そっと品子が両手を添えてきた。


「第三の理由を。……でもその前に」


 さらさらとした長い髪がつぐみの頬に触れた。

 少し低めの声が、耳元で聞こえる。


「君を、私だけのものにしたくなるねぇ」


 耳に響く、その声の意味を認識した瞬間。

 先程の比ではないほどに、顔が熱くなるのをつぐみは感じる。

 今なら顔の熱で、万年雪さえ一瞬で蒸発させてしまいそうだ。


「え? はへぇ? 先生、先生は何を言っているのですか! 大丈夫ですよ。傷は浅いはずです!」


 大丈夫だ。

 自分は冷静だ。

 嬉しいけど冷静なのだ。

 だからまずおかしなことを言っている品子を、落ち着けるのが先なのだ。

 そんな思いを抱え、つぐみは顔を上げる。

 

「先生! 私はっ!」


 つぐみが見上げたその時、額に品子の指が当たった。

 次の瞬間、つぐみの顔に柔らかな風が流れていく。


「君は昨日あまり寝ていない。少し眠った方がいいだろうね」


 品子からの優しい声を聞いたつぐみに、突然の睡魔が襲って来る。

 

(本当だ。何だか眠い。でもどうしよう、こんなところで)


 そう思うつぐみの体が傾いていく。

 このままでは床にぶつかってしまう。

 だが体は睡魔に抗えず、そのまま倒れこんでいく。

 まぶたが重くて、開けることが出来ない。


 そのままとさりと、床ではない柔らかな衝撃を受け、つぐみの体はそこで止まる。

 品子が、つぐみを抱きとめているのだ。

 背中に触れている品子の手のひらの温もりが。

 じわりじわりとあたたまる、自分の背中が心地よい。


「……おやすみ。良い夢を」


 その声を最後に、つぐみの意識は途絶えた。

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