第166話 朧にて

「つぐみ、起きて」


 誰かが自分を呼んでいる。


「聞こえているでしょう? 起きなさい」


 起きたくない。

 自分は何かよくないことをしてしまったのだ。

 つぐみは相手にその思いを伝える。


「でも眠らされた私は、もう起きていけないのかもしれない」


 悲しくてやりきれない思い。

 それをつぐみは目を閉じたまま呟く。


「はぁ? そんなこと知らないわよ! いい加減に起きろって言ってんのよ!」

「え、痛い痛い! 耳っ、耳引っ張らないでー!」


 少し前に同じ経験をしたような。

 つぐみはそう思いながら目を開ける。

 どうしたことか、そこには沙十美がいるではないか。


「え、沙十美? 何で?」


 先程の出来事と全く関係ない、沙十美の登場につぐみの頭は混乱する。

 ヒリヒリと痛む両耳をなでながら、そっと体を起こす。

 ここは一体、どこなのだろう。

 

 自分がいる場所はどうやら和室のようだ。

 青々とした畳から、い草のいい匂いがする。

 立ち上がりつぐみは周りを見渡す。

 外に誘われるように、縁側に続く格子戸を開けてみる。

 目の前の景色に、思わず「わぁ」と声を上げ、前へ進み出た。

 空には三日月に雲が優しく重なっている。

 縁側には雛人形、お神酒、筍、菜の花といった春の味覚が供えられていた。


「これは、春の室礼しつらい?」


 まだ和室にいる沙十美を振り返りながら、つぐみは尋ねる。


「沙十美、ここはひょっとして。……あ、おはよう!」

「おはようって。……相変わらずあなたは動揺すると、訳のわからないことを言うわね」


 呆れた様子で、彼女はつぐみの元へとやってくる。

 そのまま自分の横を通り抜け、沙十美は縁側に座った。

 自分の隣のスペースをぽんぽんと軽く叩きつぐみを見上げてくる。

 隣に座れということなのだろう。


「すっ、座っていいの?」


 嬉しくて遊んで欲しい子犬のように、つぐみは彼女の隣に飛び込むように座る。

 そんな自分を見て、沙十美はふわりと笑った。 

 彼女に笑顔を返すと、二人で月を見上げる。

 ぷかりと空に浮かぶ月。

 それはぼんやりとした優しい光と、静かに流れていく時間を。

 そして自然と柔らかく穏やかになっていく気持ちを、二人に与えてくれていた。


 そんな中、つぐみはこっそりと上を向いたままの沙十美の横顔を見る。

 緩やかに吹く風を受け、うっとりとした表情を浮かべ、目を閉じている彼女の姿。


(あぁ、とても綺麗だ。瞬きすら惜しいな)


 つぐみはその姿を心に留めようと、ひたすらに彼女を見つめる。

 その邪な念が、届いてしまったのだろうか。

 ふいに沙十美が、つぐみへと顔を向けた。

 視線が合い、彼女はその大きな目を見開き呟く。


「つぐみ、あなた……」

「ちっ、違うよ! 何で手元にスマホ無いんだろう。こんなシャッターチャンス、滅多にないのに! 位しか考えてなかったよ!」

「……蝶道ちょうどう

「え、それって相手の自由を奪う沙十美さんの発動能力ですよね? ……それを私に発動ですか?」


 途端につぐみの体は自由を失い、足が勝手に和室の方へ戻っていく。

 そして操られた体は、そのまま正座の姿勢へと変わり、思わずつぐみは叫んでしまう。


「さ、沙十美さん! 私たち親友ですよね?」

「残念。親友『だった』が正解よ」

「ごっ、ごめんなさい! 今日さとみちゃんに約束した、『理性をしっかり保ちます宣言』を沙十美にもします。だからどうか許してください!」

「何よその宣言は。しかも今日って。あの子に、何をしようとしたのよ?」


 沙十美は呆れ返っている。

 まずい。

 これ以上彼女にがっかりされる前に、何とかしなければ。

 何とか話題を変えようとつぐみは問いかける。


「えっと。ところで沙十美。ここはおぼろと思っていいのかな?」


 つぐみの発言に、沙十美は驚いている。


「その通りよ、なぜ分かったの?」

「ここはきっと、私の夢のはざまなのでしょう?」


 今から沙十美に話そうとしている話。

 その元となった自分の考えの稚拙ちせつさに、苦笑いを浮かべつぐみは続ける。


「最初にあなたから朧の話を聞いた時。私の頭に浮かんだのが朧月夜おぼろづきよという言葉だった。その時の言葉のイメージそのままの風景が、ここにあるから」


 自分の浅い考えから出来ているとはいえ、足元の感触、畳の香り、頬に触れた風。

 全て幻だとは思えない現実感がある。

 改めて胡蝶の夢の力。

 ひいては沙十美の力の凄さに、つぐみは驚いていた。


「あなたが私をここに連れてきた。つまり他の人に聞かれてはいけない話がある。そういう判断でいいのかな?」


 つぐみは沙十美を見つめた。

 ふっと体が軽くなる。

 どうやら蝶道から解放されたようだ。

 立ち上がり再び縁側に戻ると、沙十美の隣に座る。

 

「本当に勘の鋭い子ね。その通りよ。あなたに話があってここに呼んだの。でも……」


 戸惑いや、ためらいといった感情が沙十美からは見受けられる。 

 心配になりのぞき込めば、沙十美は辛そうに目を伏せて話を続けていく。


「あまり、というかいい話ではないの。でもあなたにしか出来ないから。どうかとりあえず話だけでも聞いてほしい。……って、え? 何? あはははは!」


 つぐみは、沙十美の脇の下をくすぐっていく。


「ちょ、ちょっとつぐみ! 私は今から大事な話が」

「もう忘れたの? あなたは私を助けてくれた。だから私はあなたに必要とされたら力を貸す。必ず助けるって約束したでしょう?」


 親友が困っているなら、助けるのは当たり前ではないか。

 沙十美には、いつも笑顔でいてほしいのだ。

 つぐみはそのまま彼女に抱きついていく。


「さぁ、親友。あなたは笑顔で言えばいい。私にしか出来ないというのならなおさら。何でもどーんと私に任せなさい!」


 そっと沙十美の手が、つぐみの背中に回る。

 見上げた彼女の顔には戸惑い気味の、でも優しい笑顔が浮かんでいる。


「ありがとう、つぐみ。お願い、どうか私に力を貸してちょうだい」




―――――――――――――

お読み頂きありがとうございます。


さて、今回出てきた室礼しつらいですが……。

季節や人生の節目にあわせた書、花、物などを飾ることだそうです。

十五夜のイメージでお月見団子、ススキって出て来ませんか?

これは秋の室礼なんだそうですよ。

今回は春の夜の月である朧月にあわせ、春の室礼をなぞらってみました。

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