第165話 人出品子は悩む

 品子はがくりと倒れ込んでくるつぐみの体を支える。

 彼女の目を覆っていた、自分の右手にあるのは彼女の流した涙。


(我ながらよくもまぁ、こんなひどいことが出来たものだ)


 彼女に残酷な悲しみを与えた右手。

 じっと見つめた後、品子はそのまま強く握りしめていく。

 てのひらに当たる爪の痛みが罪悪感を多少は薄めてくれるかと思ったが、この程度では無理なようだ。

 近くのソファーに彼女を座らせ、顔を見てからそっと髪を撫でる。

 よかった、『いつも』の彼女だ。

 その状態を確認し、後ろを振り返る。

 皆、黙ったままソファの彼女を見つめるのみだ。

 

「どういうことなんですか?」


 最初に、口を開いたのは明日人だった。


「先程のつぐみさんは、あれはまるで……」

「だからだよ。俺が品子に頼んで眠らせた。もしかしたら、という予想が当たってしまったからな」


 惟之はそう言うと、手に持っていたサングラスを着ける。

 静かに品子の横を通りすぎ、ソファーに向かうと、つぐみの顔を覗き込む。


「さとみちゃん。聞こえるかい? もし聞こえるなら、出てきてくれるかい?」


 その声に反応するように、白い光がつぐみの前へと現れる。

 光は蝶の形になり、そのまま大きくなっていく。

 やがてそれは人の形となり、そこからさとみが静かに降り立つのを品子は目にする。


『しなこ。なんで。……なんで冬野を泣かせた』


 さとみは怒っている。

 大事な人を泣かされて、傷つけられたのだから。

 

「さとみちゃん、お願いしたのは俺だ。品子は悪くない」

「いいや、泣かせたのは私。その事実に変わりはない」


 品子はさとみの前に進むと、彼女の両肩に手を置きしゃがみ込む。


「君の大事な人を悲しませてしまった。……ごめんなさい」


 顔を伏せたくなる気持ちを抑え込み、さとみの目を見つめて謝る。

 今の彼女に自分ができることはこれ位しかない。

 さとみはしばらく考え込んでいる様子だったが、やがて品子を真っ直ぐに見つめると口を開く。


『しなこが困っているのと、かなしいをしてるのもわかった。でも後で、冬野にきちんとごめんなさいを言うんだ』


 そう言って、品子の頭を撫でる。

 予想をしていなかった行動に、品子は大きく目を見開く。

 唇をぐっと噛みしめ、胸の奥からくる感情を出さないようにと必死にこらえる。


「大丈夫だよ、さとみちゃん。冬野君はすぐに目を覚ますし、もう困らせることはしない」


 品子の動きで様子を察した惟之が、さとみを後ろから抱き上げそのまま肩車をする。


『おおお、これゆき。びっくりした』

「そうかい。じゃあこれは? よっと!」


 その場で惟之が深くかがんでから、ぐっと立ち上がる。

 それを繰り返しながら、台所の方へ移動して行く。

 さとみはその動きに、きゃあきゃあと歓声を上げる。

 声が遠ざかっていくのを聞き、品子は心を落ち着けていく。

 小さく息をついてから、品子は顔を上げた。

 

(さて、私が次にすべきことだが)


「明日人、さっきの件だけど……」

「はいはい、分かってますよ。僕は何も見ていない。今日はお寿司とお吸い物が美味しかった。……そういうことですよね?」

「ありがとう。恩に着る」 

「でもきちんとつぐみさんには、説明してあげて下さいね。泣かせっぱなしは絶対にだめですよ」

「あぁ、それも分かってる」

「じゃあ僕は、惟之さんとさとみちゃんと遊んできますね〜」


 明日人はそう言って、惟之達の方に向かっていくのを品子は見届ける。


「……さて、次はシヤか」


 リビングに彼女の姿はない。

 おそらくはヒイラギの所だろう。

 きっと何も知らない兄に、先程の出来事を話にいったのだ。

 疲れたわけでもないのに重い足を引きずり、ヒイラギの部屋へと向かう。

 ノックをしてから扉を開ける。

 そこには不安気な顔のシヤ。

 その隣には話を聞いたであろう、戸惑いの表情を見せているヒイラギがいた。


「品子、シヤの話は本当なのか?」

「あぁ、本当だよ。だが、こちらもそれなりに対策を打たせてもらった。だからお前達は、何も心配しなくていい」

「冬野は……?」

「まだ眠っているんだ。起こしたら私から説明するよ」

「品子姉さん。私達はこれからどうしたらいいのですか?」


 シヤは不安に心が塞がれた様子で品子を見る。

 にっこりと笑いかけると品子は口を開いた。


「どうか『いつも通り』を彼女に。私達がこれからも、彼女と変わらず一緒に居たいと思っているのを見てもらう。これがきっと一番いいと思うんだ」

「分かりました。兄さんはなかなか苦手そうですが、大丈夫ですか?」

「うっ! で、出来るよ俺だって! ……多分」

「大丈夫かねぇ? そんな不器用なヒイラギに優しい従姉からアドバイスしてやろう。今後、冬野君との会話に困った時。こう言えばいいんだよ。『さあ、俺の胸に飛び込んでおいで。抱きしめてやるよ』、はいっ! りぴーと、あふたみー」

「なっ! だっ、誰がやるかよ!」


 そう言っているヒイラギの顔が赤い。

 実はやってみようと思ったのではないか。

 品子はついにんまりとしてしまう。


「いえ、案外いいかもしれませんね。つぐみさんは単じゅ、……いえ、純粋ですから。そういった言葉に、あっさりと感動しそうです」

「……シヤ、何気なく冬野君のことをディスってないか? まぁでもこれなら、お前達も大丈夫かな」


 ほっと息をつき、品子は二人を見つめる。


「んじゃ、私はそろそろ冬野君を起こしに行ってくるよ。二人はどうする?」

「私は、……品子姉さんと一緒にリビングに戻ります。眠る前にいた私が、起きた時にいないとおかしいですから。そうなったら、つぐみさんはきっと私に気を遣おうとするでしょう」

「その理論でいったら、俺はこの部屋にいたほうがいいのかなぁ? ……いや、俺も行くよ。俺もあいつに必要以上に、気を遣われたくないからな」


 二人はこの部屋にいると言うだろうと思っていた品子は驚く。

 ましてやつぐみを思うからこそ、一緒に行くという考えを持ってくれるとは。

 彼らの成長に品子は喜びを感じずにはいられない。

 思わず二人に両腕をまわすとぐっと抱きしめた。

 そのまま両手で彼らの頭をわしわしと撫でてやる。


「え? ちょ、品子っ! 何やってんだよ! お前は!」

「品子姉さん、私はさとみちゃんではないですが」


 それぞれの言葉を聞きながら、それでも品子は頭を撫で続ける。

 

「んふふ。二人共大好きだ〜!」

「はぁ? 品子、酒でも飲んだのか?」

「兄さん、ここは諦めて大人しくしていましょう」

「そうそう、大人しくしていなさい。さぁ、皆で冬野君を起こしに行くとしようかね」

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