第172話 絵心は魔を誘う

「私はここに居ても、……いいの?」 


 つぐみの言葉にヒイラギはにやりと笑い、シヤはため息をついている。

 ぱくぱくと金魚のように口を開くことしかできないつぐみを見つめ、ヒイラギがシヤに話しかける。


「ほら、やっぱりこうなるだろう?」

「まぁ、まぎらわしい行動ではありましたから。こうなる可能性もありましたね。というか、兄さん確信犯ですか? つぐみさんも可哀想に」


 驚きと嬉しいが混じりあい、喉から先に言葉が進もうとしない。

 そんなつぐみへと、シヤは話を始める。


「私達は先程、品子姉さんと惟之さんにつぐみさんと一緒に住んでいいか、確認を取りに行っていました。私たち兄妹としては、全く問題はありません」


 欲しかった言葉をかけられ、心が嬉しさで満たされていく。


「この家の管理と契約をしてくれたのは、大人である二人です。ですからまず、つぐみさんを迎え入れて大丈夫なのか。それを聞く必要がありました」


 嬉しそうに笑みを浮かべたヒイラギが続ける。


「そうそう。俺の独断でいいと言えないだろう? だからさっきは無理って言ったんだよ。二人から、許可はもらったぞ。品子さ、明日の引っ越しを手伝う気満々なんだ。何がいるか今のうちに、考えておいた方がいいぞ」

「そういえば井出さんも、品子姉さんの隣で話を聞いていたので、手伝おうかと言っていましたよ。それで、……あぁ。やっぱりつぐみさんは、こうなりますよね。ティッシュを持って来て正解でした」


 目の前のシヤとヒイラギがぐにゃりと歪んでいく。


「……ああぁ! ヒイラギぐん、シヤじゃん。わだじはぁ!」

「うわぁ、鼻水! シヤ! 早くティッシュ渡せっ!」

「あでぃがとう、ふぎゅしゅ!」


 大きな音を立てて鼻をかんだつぐみの頭を、そっとシヤがなでる。


「まずは、落ち着いてください。その後にリビングに戻りましょうね」

「ありがどう、シヤちゃん。私、嬉しいよ! 幸せだよ! 大好きだよ!」

「単純だな、お前。とはいえまたリビング行ったら、大騒ぎ始まりそうだな」


 泣いているつぐみには、二人の顔はあまり見えない。

 だが優しい声は、きちんと聞こえてくるのだ。

 その幸せに浸り、つぐみの涙が止まったのを機に三人でリビングへと戻っていく。

 和室に向かう時と違って、足取りはとても軽やかだ。

 なぜならば明日もまた、今日のような「いつも」が来るのを彼らが教えてくれたのだから。



◇◇◇◇◇



「先生達はまだ絵を描いているのかな?」

「う~ん、でもリビングがすごく静かじゃないか?」

「さとみちゃんが、疲れて眠ってしまったのかもしれませんね」


 それぞれに話をしながらリビングへと入る。


 さとみは起きていた。

 だがどうも様子がおかしい。

 絵を描いていたであろうリビングの机の前で、彼女は震えて明日人に抱きついている。

 その明日人は黙って、さとみの頭をなで続けていた。

 同じく机の前にいる品子も惟之も、無言で机を見つめている。

 明らかに異様な様子のリビングの雰囲気にのまれながら、つぐみは声をかけていく。


「皆さん、どうされたの……」

『冬野! 大変だ! 大変なんだ!』


 ぶつかるような勢いで、さとみがつぐみへと抱き着いてきた。

 こちらを見上げる表情には、あきらかな怯えがみてとれる。


 「先生? 一体、何が?」


 品子はつぐみと目が合うと、黙ったままうつむき首を横に振る。

 その肩は少しだけ、震えているようだ。

 隣の惟之は微動だにしない。

 自分が席を外すまで、リビングは穏やかだったのだ。

 それを消し去るほどの出来事が、ここで起こったということになる。


「絵をね、皆で絵を描いていたんだ……」


 ぽつりと明日人が呟く。


「打ち合わせで外で電話をしていた惟之さんが帰ってきて、ヒイラギ君達と話をしてからリビングの机に来た。そこでさとみちゃんが、惟之さんに絵を描いてと言ったんだ」


 明日人の声が、だんだん震え声になる。


「惟之さんは戸惑いながらも、さとみちゃんの希望通り絵を描こうとした。何を描こうか悩んでいたから、品子さんが言ったんだ。『子供だし、何がキャラクターものがいいんじゃないか』って。それでとある青色の機関車を描き始めたんだ」

「あぁ、あの青くて顔の付いた有名な機関車ですね?」

 

 つぐみの言葉に明日人はうなずいた。


「機関車を知らないさとみちゃんは、途中までは嬉しそうに見ていたよ。でも……」


 明日人は、それ以上は何も言わない。

 好奇心にかられたヒイラギとシヤが、机に向かいその絵を覗き込んでいく。

 ヒイラギは小さく「うっ」と呟くと、目をそらす。

 並んで一緒にいたシヤは、固まってしまっている。

 

 自分も見てみよう。

 そう思い、恐る恐る机を覗き込む。

 つぐみの口から勝手に「ひっ」という声が出た。


 そこには、『ナニカ』が。

 いや、正式には『青いナニカ』がいた。

 つぐみの脳内で理解をしようとする動きが始まっていく。



 えっと。

 ……これは、どこの世界から召喚されたんだろう?

 まず、目の焦点が合ってないよね?

 口から出ているものは一体、何なの?

 そもそもその口からの物体の色は、何で紫色をチョイスしたの?

 というか、機関車って口から何か出すっけ?



 次から次へとあふれ出る疑問に、言葉と情報が追い付かない。


 いや、違う。

 これは頭が、自分の本能が。

 ……追いつくのを拒んでいるのだ。


 これは創造主……。

 いや違う、描いた本人に聞いた方がいいのだろう。

 そう思いつぐみは言葉を出す。


「靭さん、こ……」


 だがそこから先の言葉を、つぐみは胸にしまい込むことにした。

 

(やめておこう。多分だけど。靭さんは今、とても傷ついている)


 なぜだろう。

 天井しか見えないというのに、つぐみは空を仰ぎ思うのだ。



 うん、そうだよね。

 完璧すぎる人間なんていない。

 あまりにも意外な。

 いや、意外過ぎる靭さんの一面を知ることが出来て良かった。

 このあたりで終らせた方がいいのだろう。

 私達の為にも。


 ――そして何より、靭さんの為にも。 

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