第132話 白い場所で
「えっと、千堂君。今から私は冬野君を眠らせればいいのだね?」
「はい、お願いします」
「では冬野君、失礼するよ」
二人の会話を惟之は静かに見守る。
品子がつぐみの前に立ち、彼女の額に指先でそっと触れる。
「……おやすみ。君に任せてばかりですまない。どうか、ヒイラギを頼む」
品子の言葉につぐみはこくりと頷き、目を閉じる。
そのまま彼女は、ゆっくりと前へ倒れこんでいく。
品子がそっと優しくつぐみを抱きかかえ、沙十美の方を見る。
「こんな感じだけど……。千堂君、彼女をどうしたらいいのかな?」
沙十美は品子の発動を見て少し動揺したようだ。
やや慌てぎみに話し始める。
「あっ、……ええと、はい。彼女をヒイラギ君のそばに座らせてもらっていいですか?」
「わかった。惟之、ちょっと手伝って。……惟之?」
品子に声を掛けられ、沙十美と同じように動揺しながら惟之はベッドへと向かう。
今から目の前で行われるであろう出来事。
話は聞いたものの、どうも頭がついていかない。
ベッドのそばに椅子を置き、そこにつぐみをもたれかかる体勢にして座らせる。
すうすうと寝息が聞こえてきそうな寝顔で眠る彼女は今、何を思っているのだろう。
そんな彼女の隣に千堂君がやって来る。
静かに眠る親友の髪を優しく一度だけ撫でた後、惟之の方へと振り返る。
「では私は、つぐみを迎えに行きます。驚かせないように先に言っておきます。今から私の姿は突然に消えると思います」
品子と惟之の顔を交互に見据えると、沙十美は話を続ける。
「そしてお二人にお願いがあります。つぐみの体に何か異常が起こっても、私がここに戻ってくるまでは、決して起こさないで欲しいのです。見ているだけというのは心苦しいでしょう。ですが、どうか私を。……いえ、私達を信じて待っていてもらえますか?」
彼女の真剣な表情に二人して頷くと、ほっとした表情を浮かべ彼女は目を閉じる。
そして次の瞬間、本当に彼女は目の前から
分かってはいたのだが、つい周りを見渡してしまう。
「おいおい惟之、さっき彼女が言ってたじゃん。消えますよーって」
「いや、分かってはいるんだ。ただ頭がついていけてないというか」
「まぁね。お前が私以上に驚いてくれたから、こちらは冷静でいられたというべきかな」
ヒイラギとつぐみを見つめながら品子は呟く。
「私達に出来るのは信じて待つこと、だよな? 惟之」
「あぁ、今回は俺達は欠席だ。あとは彼女達に任せよう」
もどかしい思いはある。
「なぁ、品子。千堂君は待っていて欲しいと言った。だから帰ってきたら、二人をきちんと褒めてやれるように。頑張ったなと言ってやれるように。俺達はここで待っているとしよう」
◇◇◇◇◇
「つーぐーみー。おーきーてーよ」
(……あぁ、沙十美が呼んでる。授業中に寝ちゃったっけ? 私)
「つーぐーみー。……っていい加減に起きろって言ってんのよ!」
「え、痛い痛い! 耳っ、耳を引っ張らないで―!」
つぐみは、ヒリヒリと痛む耳を押さえながら、がばりと起き上がる。
目に映るのは一面の白色。
足元の感触はコンクリートとは違う土のような少し柔らかめの固さの地面だ。
地面に触れてみるが、指には何もつかない。
まるで粗目の紙の表面を撫でているような、少しざらざらとした感触があるのみだ。
木や建物といったものも無く、ただ白い空間だけが二人の周りに存在している。
「え、何? ここは一体」
「やっと起きたわね。ちょっと寝過ぎよ」
呆れながら話す沙十美を見つめ、ようやく自分の状況を思い出す。
つまりここは……。
「ここがヒイラギ君の心の中?」
「そうよ、あまりのんびりするつもりもないわ。探しに行くわよ」
沙十美がしばし目を閉じた後、再び目を開くとつぐみの後ろの方向を見つめる。
「……こっちね。行くわよ、つぐみ」
「うん。あ、あのね沙十美。迷うと困るから。……手を繋いでもいいかな?」
「……確かに、ここでは何があるか分からないわね。いいわよ」
すっと差し出された手を握る。
そっと触れた沙十美の手は、とてもひんやりしている。
何となく、自分の熱が彼女の中に届くようにと思い、少し強く握ってみる。
「怖いかもしれないけど、私のそばにいれば大丈夫だから」
力を入れた理由を彼女は違う意味で捉えたようだ。
その言葉で自分の事を思う彼女の心の内を知る。
こんな状況にありながら、いけないと思いつつ、つぐみは少し幸せを感じてしまう。
もう二度と触れることが出来ないと思っていた彼女。
自分のことを最期まで大切に思っていてくれた大切な友達。
普段は室の体の中にいると聞いているが、これからもこうやって会うことは叶うのだろうか?
「沙十美。気分が落ち込まないように、話をしていてもいいかな?」
「……いいわよ。例の毒の気配を今のところは感じられないから。少しくらいは付き合ってあげる」
「あのね、
「……そう、チョコタルトはあるのかしら?」
「うん、あったよ。そこのお店のタルトは種類がいっぱいあるから、一緒に行っていろんな味のものを食べたいんだ。だから……」
そこでつぐみの言葉は止める。
目の前に、目の前に見えるのは。
ただしろいしろい場所で、ぽつりと一人で眠っている男の子。
「沙十美っ! 居た、見つけた! ヒイラギ君がいる!」
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