第131話 胡蝶の夢

「ちょっと待ってくれ、千堂君。その心の中に行くというのは、その、……私達、生身の人間が出来ることなのかい?」


 品子の問いに、つぐみは沙十美へと目を向ける。


「それを行うことで、冬野君に何か危険が起こるという可能性はあるのだろうか? もしそうであれば、この話は無かったことにしてほしい。あるいは彼女ではなく、私が代わりに一緒に行くことは出来ないのかい?」


 興奮のためだろう。

 早口になっている品子の問いに、沙十美は申し訳なさそうに続ける。


「すみません。人出先生ではつぐみが行く時よりもさらに危険だと思います。私がつぐみを選んだ理由は二つあります。一つ目はその変化した毒がもともとは、この子から来ているものだから。彼女といることでその毒と対面した際に、警戒をさせにくくすることが出来ると私は考えています」


 沙十美はつぐみとヒイラギを交互に見つめ言葉を続ける。


「そして二つ目。彼の心の中へ入り毒を辿たどる際に、案内をするのは私です。私にとってもヒイラギ君の心の中という未知の場所を案内をするという、不安定な状態になります。そんな中で、どうしても連れて行く相手を守りたいという気持ちや互いの繋がりや絆。いわば相手に対する「念い」が必要不可欠になってきます。その条件を満たすのは、……私との繋がりが一番に深いのは、この中ではつぐみしか考えられません」


 沙十美の言葉に、惟之が戸惑い気味に問いかける。


「ええと。千堂君、と俺も呼ばせてもらっていいだろうか? つまり今、ここでヒイラギを目覚めさせることが出来る人物。それはこのメンバーの中では、冬野君しか考えられないということなのだね?」


 沙十美は静かに頷くと、つぐみの方を向き口を開く。


「ヒイラギ君の心の中への入り方は、私が室の体に戻るのと同じ要領でいけばいいのだと思う。でもこの行動に、つぐみにも私にも全く危険が無いという保証もない。だからつぐみ。あなたがどうしたいのかなの……。でも、あなたはどれだけ危険でも行くというのでしょう?」

「……うん! 私は、ヒイラギ君に目を覚まして欲しくてここに居るのだから」


 自分でも驚く位、力の入った声でつぐみは沙十美へと答える。


「お願い沙十美。どうか私を一緒に連れて行って!」

「……ということですけど、よろしいですか? 人出先生」

「いや、ちっともよろしくは無いのだけれど。起こせる可能性があるのが、冬野君だけとなると仕方がない。だが、今一度ききたい。千堂君、どうやって冬野君をヒイラギの心の中に連れて行くのだろうか?」

「今の私は蝶の発動者です。だから蝶の力「胡蝶こちょうの夢」の発動でつぐみを夢と現実のおぼろな場所に連れて行きます。つぐみの体はここに残ったまま、心だけ私と一緒にヒイラギ君の中へ入って行くことになります」

「胡蝶の夢? あの荘子そうしの思想か……。なるほど、それにしても千堂君の能力は凄いな」


 惟之が感心しながら、沙十美をまじまじと見つめている。


「となると、ここは品子の出番か? 一度、冬野君を眠らせる必要があるよな?」

「そうですね、って、え? 人出先生は催眠能力があるのですか?」


 沙十美が驚いた様子で品子に聞いている。


「あ、私の話? うん、冬野君を超快眠状態にしてあげられるけどさ。……それで胡蝶の夢って何? 全く話が分からないんだけど。惟之、ちゃんと説明してくれよ」

「まぁ、平たく言えば夢と現実のあいまいな場所に連れて行くと言った所かな? そんな解釈でいいかい? 千堂君」

「はい、それで問題ありません」


 惟之の博識に尊敬の念を抱きつつ、つぐみはこっそりとスマホで胡蝶の夢を調べる。

 画面には『現実と夢の区別がつかない状況の事』という説明が現れる。

 そこに一旦、自分が連れていかれる。

 惟之の言う通り、凄い力だ。

 この短期間でたくさんの発動を使いこなしている沙十美の念いの力。

 それは一体どれほどのものなのだろう。


「さぁ、つぐみ。今の話で状況は理解出来たわね? 改めて言うけれど、危険が全くないわけではない。上手くいくという保証もないわ。少しでも怖いと感じるのならば、この話は人出先生の言う通り無かったことにしてもいい。私はそう思っている」


 沙十美はつぐみを見つめたまま続ける。


「これが最後の確認よ。どうするの、つぐみ」


 つぐみは自身に問いかける。


(……怖い、とても怖い)


 だがそれと同時に今、つぐみの中にある願い。

 ヒイラギに起きて欲しい。 

 つぐみがこの中で一番、彼を目覚めさせる可能性を持っているというのなら。

 発動と言う特別な力が無い自分にも、出来ることがあるというのならば。

 そのために力を尽くしたい。

 沙十美は自分にも危険が及ぶ可能性があることは分かっているであろうに。

 それでもこうして、つぐみ達に力を貸してくれているのだ。


 ベッドで眠るヒイラギを見つめる。 

 この数日で彼の周りの環境が、目覚めたくないと思わせるものが多いとつぐみは改めて知った。

 だが同時にここに居る皆は、彼の目覚めを心から待っているということも理解している。

 何よりつぐみは、彼に助けてもらったことを。

 こうして前向きに進めているのを、まだ伝えていないのだ。

 

 彼らに会うまでは知ることの無かった感情。

 それがつぐみの中に、こうしている今もたくさん溢れてくる。

 自分に出来ることを、後悔の無いように行いたい。

 品子はつぐみに強い念いの力があると言ってくれた。

 この念いで彼の元へ行き、起きてもらうのだ。


 きっと大丈夫だ。

 自分は一人ではない。

 大切な、心から信頼できる親友が隣にいてくれる。

 沙十美を信じるように、つぐみも自分自身を信じてみよう。

 自分を大切に思えるように変われたこと。

 それを彼に伝えるためにも。

 答えが出たつぐみは口を開く。


「……怖くないかと言われたらもちろん怖い。でも沙十美、私を一緒に連れて行って欲しいの。私は沙十美と一緒なら、きっとヒイラギ君を目覚めさせることが出来ると思う。一人なら駄目だけど、二人でならきっと!」


 その言葉に、沙十美はつぐみへと手を伸ばして来た。


「そこまで言われたらもう私、頑張るしかないじゃない。あなたは私にしっかりついて来て。離れちゃ駄目よ」


 そういって目を細め、つぐみの頭を優しく撫でる。

 その笑顔はとても綺麗につぐみには映るのだった。

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