第146話 十年前の昔話 その2

「品子先輩が君達のせいで酷いことを言われているよ。かわいそうだねぇ」


 妹のシヤと遊んでいたヒイラギは、その声に顔を上げる。


「誰? どうしてしなお姉ちゃんがかわいそうなの? しなお姉ちゃん、そんなことは言ってなかったよ」

「僕は里希というんだ。品子先輩は君達が大好きなんだ。だから他の人から酷いことを言われても黙っているんだよ。だから僕が君達に教えてあげる。自分達の立ち位置をよく知るためにもね」


 里希と名乗る少年をヒイラギは見つめる。

 話が難しくて分からない上に、笑っているのに彼の顔はとても怖いのだ。

 その表情を見て、世話になっている品子の家の和室の小面をヒイラギは思い出す。

 思わずヒイラギは隣にいたシヤの手を握る。

 自分は兄。

 だからシヤを、この人から守らなければならない。

 反対の手に収まる、品子からもらった猫も居る。

 だから自分は怖がってはいけない。

 そう思い見上げた先の男は、笑顔のまま話を続けていく。


「この話を品子先輩に話したらだめだよ。そうしたらきっと、先輩は君達のことが大嫌いになるよ。いいのかい? 品子先輩が君達の前からいなくなっても?」


 いなくなる?

 品子も父や母のように消えてしまうのだろうか?

 ヒイラギの心に焦りが生まれる。


「やっ、やだっ! しなお姉ちゃんが居ないのいやだ!」

「……そう、だったら『僕とお話ししたことは内緒にしなきゃ駄目だよ』わかったかい?」


 そういって里希は、ヒイラギとシヤの額に触れてきた。

 なぜか顔だけに吹き付ける風。

 思わずヒイラギは表情をゆがめる。

 風を浴びたヒイラギに、生まれたのは恐怖の感情。


 ――助けて、しなお姉ちゃん。

 心の中でヒイラギは叫ぶ。


「あら、里希? どうしたの? こんなところに居るなんて珍しいね?」


 聞こえてくるのは、求めていた相手の声。

 安堵から、ヒイラギは思わずその場にしゃがみこんでしまう。

 品子が自分のそばに来てくれるのを待とうと声がした方へと顔を向ける。

 だが里希が品子の声を聞き、彼女の方へと向かっていくではないか。


 今度は品子がひどい目にあるのだろうか?

 ならば助けなければならない。

 そう思うのに体は全く動こうとしない。

 里希のあの言葉と笑みが、ヒイラギの足をその場に留めさせるのだ。


 恐ろしさに思わず目を閉じる。

 ヒイラギの心に浮かび上がるのは惟之これゆきの姿。

 彼を呼びに行けば助けてくれるだろうか?

 だがヒイラギは、その思いをすぐさま否定する。


「……だめ。こーちゃんに僕は、すごくいっぱいひどいことを言っちゃった。目が痛くて見えなくなって大変なのに、いっぱい叩いた。お母さんが死んだのもこーちゃんのせいだって言っちゃったもの」


 ひどいことをした自分を、惟之は助けてくれないだろう。

 ならば自分でなんとかしなければ。


 勇気を出し品子の方を見れば、二人は楽しそうに話をしているではないか。

 里希は品子には危害を加える気はないのだろうか?


 その里希は、品子からチョコレートを貰い嬉しそうにしている。


 なぜ、自分達にはひどい言葉を言うのだろう?

 そしてそれを品子に秘密にするのだろう?


 考え込んでいたヒイラギの肩に、誰かの手が触れる。

 驚き顔を上げた先、同じような顔をしている品子と目が合う。

 そんな彼女は笑いながら、自分達にここで待てというではないか。

 その瞬間、里希からの言葉が唐突にヒイラギの頭に響く。


『いいのかい? 品子先輩が君達の前からいなくなっても?』

 

 いなくなるのは嫌だ。

 ならば一緒に離れないようにいればいい。

 それに今、離れてまた彼が来たら?

 その思いと共に、ヒイラギの胸に押し寄せるのは不安。

 彼は言っていたのだ。


『僕とお話したことは、内緒にしなきゃだめだよ』


(だめなんだ、内緒にしなきゃだめなんだ! でも……、何で?)


 答えの出ない気持ち悪さに、ヒイラギは黙り込んでしまう。

 いつもと違う様子に、心配した品子が彼の額に触れる。

 里希に触られた時とは全く違う感覚。

 それに安心をしながら、ヒイラギは一緒にいたいという思いを品子へと口にする。

 

 その言葉を聞き、品子は笑って手を差し出してくる。

 あわてて猫をポケットにしまい、手を握るとヒイラギは一緒に歩き出す。

 温かくて柔らかい手。

 品子に大きく手を振られ、ヒイラギもシヤも揺れる。

 皆がとても嬉しそうに笑っている。

 そんな中、ヒイラギは思うのだ。


(楽しいな。だからあの人は、……あの人はもう来ないよね?)



◇◇◇◇◇


 

 品子からもらったチョコレート。

 自室に戻ると、里希はすぐにゴミ箱へと投げ入れる。


『私のお気に入りのチョコレート最後の一個、里希にあげるね』


 最後の一個という言葉に、里希は苛立ちを覚える。


「それってすでに誰かに同じものをあげたってことですよね? じゃあいらないです、二番目だもの」


『また美味しいもの見つけたら里希にもあげるからね!』


「……違います。『にも』ならいらないんです。僕が一番じゃないなら」


 思い浮かぶのは彼女の周りの存在。



 あぁ、あなたの周りの奴ら。

 従兄妹だから?

 怪我をして大変だから?

 たったそれだけの理由で、のうのうと傍に居られる奴ら。

 すごく邪魔ですよ。

 すごく不快です。

 でもそれを許して笑っている今のあなたも、なんだか最近は不快に思えるのはなぜでしょうか?

 不快なものは、……早く片付けた方がいいですかね?

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