第14話 帰り道の途中で

「まさか冬野君とヒイラギ達がお友達になってるなんて! 世界は狭いもんだなぁ!」


 つぐみの隣で、品子は機嫌良く運転をしている。


「特にヒイラギなんて、そこそこ顔はいいのに愛想が無いからさー。絶対に女の子と話すことないまま一生を終えると思っていた! いやぁ、びっくりだね!」


 驚いているのは品子だけではなくつぐみも同様だった。

 まさか品子がヒイラギ達の従姉だったとは。

 彼らは『二人だから大丈夫』と言って、そのまま電車で帰っていった。

 何よりヒイラギがこの発言を聞かずにすんだことに、心からつぐみは安堵する。


「あの、先生……」

「何だい? 晩飯なら悪いがもう済ませたから一緒にどうですか~? って誘われてもお断りしちゃうぞ~」

「あ、大丈夫です。家にまだ昨日の残りの肉じゃがありますんで」

「そうか。美味いよな、肉じゃが。冬野君のお手製か?」

「はぁ、まぁ。独り暮らしなので」

「……」

「……」

「……えーと。あまりないですけど、良かったら持っていきます?」

「いいのか? いやー、催促したみたいであれだなぁ!」

「いえ、送っていただいたお礼もしたいですし」


 矢継ぎ早のトークに翻弄ほんろうされながらも、案内を続けようやくつぐみの家に着く。


「容器に入れて持ってきます。少し待っててもらっていいですか?」

「おう、いつまでも待つぞ! だから糸コン多めで頼む!」

「了解です」


 急いで家に戻ると、つぐみは冷蔵庫から鍋を取り出す。


「さて、糸こんにゃくは多めだっけ?」


 要望通りに、肉じゃがを糸こんにゃくを多めに容器に入れていく。


 容器を抱え外に出ると、車の中にいる品子へ声を掛けようとつぐみは覗き込む。

 品子はスマホで誰かと会話中のようだ。

 少し待った方がよさそうだと考え、その様子をつぐみはぼんやりと見つめる。

 電話をしている品子の綺麗な横顔に、シヤの様子を思い出してしまう。

 駅で彼女は耳に手を当てていた。

 今の品子と同じように。

 だがシヤは、電話などは持っていなかったのだ。


 そう思い返しているつぐみに、品子は気づいたようで慌てて電話を切っている。


「すまない。声を掛けてくれてもよかったんだぞ? 待たせてしまったようで悪かったね」


 品子が窓を開けてくれたので容器を渡す。

 嬉しそうに助手席に容器を置く品子に、つぐみは問いかける。


「あの、シヤちゃんなんですが。先生と仲良しなんですか?」

「ふふっ、シヤは可愛いよな。私はシヤのことが大好きなんだ。でも最近は反抗期でなかなか相手にしてくれなくてね。あいつらの家に週五で通っているんだが、先日もそんなに来なくていいって言われてしまったよ。……最近、本当に寂しい限りだよ」


 しょんぼりした様子で品子は語る。


「……いや、あの先生。従姉とはいえ、いくら何でも週五って通いすぎでは……?」

「いや! これでも我慢してるんだぞ。あと二日は窓からこっそりのぞいて、顔を見たら帰るってところまで妥協してっ! 我慢しているんだよ! こっちは!」


(うわー、変態ですよ。人はそれを変態と呼ぶのですよ)


 つぐみの心の声を知らない品子は言葉を続けていく。


「愛って辛いよな。一方通行ってさ。でも燃える思いは留まるどころか燃え盛る一方で……」

「先生、それだけ仲良しなんですね?」

「おう、お互いに分かり合っているぞ! 私達は!」


『満面の笑みで答えてくれていますが、先程の一方通行の発言はなかったことになっていませんか?』


 そう言いたいのをぐっとこらえ、つぐみは次の話題へと移る。


「あの、そういえば先生はピアスとか着けないですよね?」

「あぁ、そうだな。……いや、……ところで冬野君」

「はい?」

「……過ぎた好奇心には、気を付けた方がいいかもしれないね」


 そう言ってつぐみを見つめる品子の顔は。

 さきほどまで、にこやかだったはずのその顔に笑みはない。


「……じゃ、帰るわ。肉じゃがありがとな。容器は明日には返すからな~」


 それは数秒の間だった。

 再び笑みを浮かべると品子は窓から手を出し、ヒラヒラと振ると車を発進させ去っていく。

 角を曲がり車が見えなくなるまで見送ると、つぐみはぽつりと呟く。


「……好奇心、か」

 


◇◇◇◇◇



 十分ほど車を走らせた後、品子はコンビニの駐車場に車を停めた。

 改めてスマホを取り出す。

 つぐみの家からはかなり離れている。

 ましてや、聞かれているわけではない。

 だがなんとなく、離れたところで電話をと思ってしまうのだ。

 電話をかけた相手が出るまでの間、品子は考える。


 冬野つぐみ。

 あの子の勘はかなり鋭い。

 うかつな返答をすれば、たちまち追い込まれてしまいそうだ。


 品子と彼女との接点は講義でしかなかった。

 引っ込み思案な子なので、品子に話しかけてくることもなく、淡々と授業を受けていた。

 それもありつぐみの印象はとても薄い。


「従順で人の顔色ばかりうかがい、こちらの言うことを聞くだけのような存在。そう勝手に思っていた、こちらが油断したということか」


 ぽつりと呟きながら、つぐみとの会話を品子は思い返す。

 つぐみからの鋭い言葉に対応できず、そこに出来た少しのほころびに更に手を伸ばされた。

 ある意味では負け戦と言っていい状況に、品子は自嘲じちょうの笑みを浮かべる。

 何度目かの呼び出し音の後、「もしもし」と不機嫌そうな少年の声が聞こえてきた。


「何だよ。ヒイラギかよ~。せっかく自宅の電話にかけたんだからシヤ出せよ」

「うっせ。シヤなら今は風呂だよ。って言ったらお前すごい勢いで家に来そうだな。嘘だよ。あいつ今、宿題やってるから俺が出たんだよ」

「……ちっ!」


 舌打ちをして、品子はギアを再びドライブからパーキングへ戻す。


「どうせ今お前は風呂上がりのシヤに会おうとして、エンジン掛けたけど切っただろ」

「ばーか、ばーか。エンジン切ったらこんな真夏に死んでしまうわ! ちょっとパーキングに戻しただけだ」

「何にせよ、こっちに向かってくる気満々だったんじゃねーか!」

「いーきーまーせーん。わたくしは今日はこのまま肉じゃが食って寝ます~」

「肉じゃがの報告のために、電話してきたわけじゃないだろ。どうだったんだよ?」


 一連の出来事を思い返しながら品子は続ける。


「とりあえず無事にお姫様は送り届けたぞ」

「ふん、それだけでいいじゃねぇか。なんだよ肉じゃがって」

「冬野君に貰った。お手製の肉じゃが。私の今日のおつまみ及び明日の朝飯。あ、お前にはやらんぞ」

「別に要らねぇよ。それで?」

「あの子は鋭いな。シヤの二つ目の嘘を見切った上に、私に鎌まで掛けてきたぞ」

「ふーん。で、どうなった?」

「うっかり誘導されちゃいました~。ちょっとあの子、私を疑っちゃったかもね~。まいったね、こりゃ」

「いや、全然まいったって感じがしないんだが」

「……とにかくさ」


 品子はエアコンの風量を少し上げる。

 汗が引かないのは、暑さのせいだけではなさそうだ。


「しばらくあの子には会わない方がいい。君達すぐボロが出そうだから」

「すぐボロを出したお前に言われても説得力ねーよ」

「いやーん、ヒイラギちゃんの意地悪ぅ」

「気持ち悪い上に棒読みで言われても、何にも響かねーからな」


 汗で額についた自身の髪をそっとかき上げながら品子は問う。


「……シヤの『リード』は?」

「大丈夫。あの二人にちゃんと付けたって言ってた」

「なら鉢合わせの心配は無いな。というわけだから、しばらくシヤと一緒に行動してくれ」

「ん、分かった。おい、シヤ! ちゃんと髪は乾かしてからリビングに来いよ」

「な! ヒイラギ! お前まさか宿題って嘘っ……」

「じゃあな~。肉じゃが食って元気出せよ~。おやすみ~」

「ちょっ! ならせめて最後にシヤと話くらいさせ……」


 ガチャリという音の後にツーツーと響く電子音。


「くっ、ヒイラギめ!……覚えておけよ」


 思わずそう呟き、ハンドルにもたれかかると品子は目を閉じる。


「……ヒイラギも、あんな風に冗談が言えるようになってきたんだよな」


 品子の頭の中によぎるのは、十年前の兄妹の姿。

 子供とは思えない、しかばねの瞳かと見間違えてしまうような淀んだ目。

 そんな小さな二人の子供に、周りの大人達が与えたのは優しさでなく、むしろ圧力や悪意を含んだ言葉ばかりだった。


 あの当時に自分がしっかりと、彼らの状況を知ることが出来ていたなら。

 もう少し自分に力があって、あの子達の庇護ひごを許される立場に立てていたなら。

 その思いはずっと品子の心の中に残り続けている。

 だからこそ彼女は思う。

 今、自分にできることをしなくてはならないと。


「元気出せよ、か。笑って言っていたよな、あいつ」


 彼の発言を思い出し、品子に自然に笑みがこぼれる。

 ハンドルを握ると、ゆっくりと車を発進させていく。


 さて、家に着くまでに状況整理をするとしよう。

 品子はゆっくりとこれからの行動を考える。


「えーと。第一に、なるべく冬野君との接触はさけ千堂君に集中することかな?」


 そう呟き、ちらりと助手席にある容器を品子は見る。


「だっ、第二にこの鼻をくすぐり、私の胃の中にこの瞬間にもダイブしたがっている肉じゃがちゃんを、一刻も早く食べてあげる必要があるよね!」


 つぐみには食べたと言ったが、実は品子は昼から何も食べてない。

 ヒイラギ達とつぐみを引き離すのと、彼女に色々と聞かれるよりはこちらから話しかけてごまかそうと、とっさに嘘をついていたからだ。


「そしてこの容器を洗って明日、冬野君に返さなければならないな。明日には返すって言っちゃったし。ってあれ?」


 ……この二つの両立は無理だな。

 自分の腹が鳴るのを聞きながら、品子は乾いた笑いを漏らしていくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る