第15話 兄妹の会話

「おい、シヤ。この電話の件だけど」


 ヒイラギは受話器を置くと、妹へ目を向ける。

 彼女はソファーに座り、タオルで髪を乾かしていた。

 だがその手つきは、どこかたどたどしい。


「……お前、突き飛ばされたとき、手を怪我したのか?」


 兄の言葉にシヤは、自分の手のひらをほんの少しの間みつめる。


「少しすりむきました。大したことではないので続けてください」

「わかった。品子からの電話だ。あのつぐみって人と接触を持つなってさ。なんかすげぇ勘が鋭いから気を付けろだってよ」

「あぁ、確かにそうですね。……私もちょっと動揺してしまいました」

「え、お前が?」


 普段は感情の起伏の薄い妹の意外な言葉に、ヒイラギは目を見開いた。


「お前から動揺という単語が出てくることに、まず俺がかなり驚いてるよ。あのつぐみって人にか? それこそ、その動揺のしすぎでお前の筆箱、ぶっ壊したあの人に?」

「いえ。正式には壊れかけていたのを壊した、ですね。そして変な挨拶をしたかと思えば、自分が怪我しているのに『大丈夫?』とか聞いている、とても残念な人でしたね」

 

 シヤの様子がいつもと違うことにヒイラギは戸惑う。


「……お、お前、いつも以上に容赦ようしゃなくない?」

「そうですか? さらに一度ならず二度までも同じ場所を怪我して半泣きになっていた、『残念オブザイヤー』冬野つぐみさんに近づくなという事ですね」


 辛辣とも言えるシヤの口調に、ヒイラギは違和感を覚える。

 彼女はお世辞にも人当たりがいいタイプではない。

 だが決して、こんな悪口のようなことを言う人間ではないのだ。


「……そ、それでお前の『リード』が必要だから、お前と一緒に行動するように言われてる。しばらくお前の学校に迎えに行くから勝手に帰んなよ」

「わかりました。ですが別につぐみさんが近くにいるなら、私が兄さんにスマホで連絡すれば一緒にいる必要ないのでは?」

「あ、そうじゃん。品子、抜けてんなぁ」

「それに気づかなかった兄さんも、抜けているという事になりますね」


 シヤがヒイラギに対して冷たいのは今日に限った話ではないが、まるで突っかかるような言い方には戸惑いを隠せない。


「さっきから何故か、すごくとげがある言い方ばかりなんだが……」


 ヒイラギはシヤに近づくと、彼女が頭にかけていたタオルを取る。

 露わになったのは、いつも通りのこちらを見上げる顔。

 目が合うとヒイラギは叫ぶ。


「……うりゃっ! 兄を舐めるな、妹よ! お前、何か隠しているな!」


 タオルを再びシヤの頭に被せると、ヒイラギはゴシゴシと彼女の頭を拭き始める。


「え、え? 何? ちょっと兄さん、痛いです」

「お前、怪我しているからな。手伝ってやるよ~」

「ちょ、いいです。これくらい自分で出来ま……」

「ハイハイ、倍速モード入りまーす。口閉じとけよ~」

「人の話をきちんと聞かないのは、兄さんの悪ひとふぉっ」

「ひとふぉって何だよ。よーし、そのまま歯ぁ食いしばっとけよ」


 しばらく拭いてからヒイラギはタオルを外す。

 そこにはボサボサになった頭と文字通り歯を食いしばり、その口の中にでも力いっぱい不満をため込んだであろう、への字口をしたシヤの顔がある。

 

「ははは、なんかエサ溜め込んだリスみたいだな」

「……人の話を聞かないのは、兄さんの悪いところです」

「だってお前、何か隠してるのに言わないんだもん」


 そう話すヒイラギの手からシヤはタオルを奪い返し、首にかけると窓の方に向かう。

 窓ガラスに映る自分の顔をまっすぐに見つめ、てぐしで髪を整えながら彼女はぽつりと呟く。


「……でも。でも、私がおかしいのに気づいてくれるのも。兄さんのいいところだと思います」

「まあな~。なんせ『お兄様』だからな~、俺」

「そしてすぐに調子に乗るのは、兄さんの悪いところです」


 声に柔らかさが戻ってきている。

 ……よかった、いつものシヤに戻ってるみたいだ。

 ほっとした思いを抱えヒイラギは尋ねる。


「それで? 何をそんなに溜めこんじゃってんの?」


 シヤは持っていたタオルを、もぞもぞとさせながらうつむく。

 そう長くはない沈黙の後、言葉を選びながらシヤは話し始める。


「いいえ、溜め込んでいるというわけでは。……いえ、どう言ったらいいんでしょう? 何だかあのつぐみさんを見てると。どうしても思い出してしまうんです。……全然、違うのに」


 同意したことを示すように、ヒイラギは小さくため息をつく。


「そうだよな、実は俺も少しだけそう思ってた。あの無駄にお人好しそうな所とか」

「無駄に人の心配ばかりしてくる事とか」

「……そう、少しだけだが似てるんだ。だから嫌なんだ」


 もしこのつぐみって人が、あの時みたいになったら。

 ヒイラギは無意識に唇を噛みしめて目を閉じると、十年前のことを思い出す。


 ヒイラギの閉じたまぶたの中で、一人の女性が消えていく。

 赤い霧を体から吹きだしながら。

 その時のヒイラギは見てることしか出来なかった。

 いや、違う。

 見たくないと目を閉じ下を向いたのに。

 そばにいた大人に無理やりに顔を上げ見ろと言われたのだ。

 そんなヒイラギの横でシヤが、同じように無理やりに顔をあげられている。

 隣からシヤの悲鳴が聞こえる。

 

「なんで? なんで? やだぁ!」

 

 その時の時間はとても長くて苦しくて。

 ヒイラギの記憶が浮かび上がる。

 それはとてもとても嫌な苦しい記憶だというのに。



 ◇◇◇◇◇



 もう十年も前のことになる。

 当時ヒイラギは六歳、シヤは四歳だった。


 頭が痛い。

 誰かの声がする。

 目を開けたヒイラギの前には品子がいる。

 家に帰らずにそのままここに駆けつけたのだろう。

 セーラー服を着た彼女は、体中に怒りをみなぎらせている。

 三つ編みを揺らしながら、大声で目の前にいる大人達にくってかかっていた。


「どういうおつもりなのですか? この子達はまだこんなに幼い子供なのに! 見せる必要なんてどこにあったのですか?」


 ぼんやりとした頭で品子が怒っているのをヒイラギは見つめる。


「必要だろう? この二人はマキエ様の子供だ。母親の最期くらい見ておいた方がいいと思ったんでな。それにこちらも本当に困っているのだよ。後継者もまだなのに、亡くなられてしまったのだから」


 対する相手は、彼女の怒りに全く動じていない。

 その言葉にヒイラギはさきほど見せられた母親の最期を思い出す。


「……あ、あああっ! おかあさん、おかあさんが」

「っ、ヒイラギっ!」


 品子が声を聞き、傍に駆け寄ってくると自分を抱きしめてくる。


「しなお姉ちゃん、どうしよう、おかあさんがきえちゃう。ねぇ、しなお姉ちゃん、たすけて」

「ごめん、ヒイラギごめん」


 品子はただ謝ってくるだけだ。

 そのことにヒイラギは悲しみを覚える。


「ねぇ、どうして? あやまらなくていいから。しなお姉ちゃんもぼくをたすけてくれないの? おかあさんをたすけてくれないの?」


 ヒイラギの口からは言葉が止まらない。


「ねぇ、じゃあだれがたすけてくれるの? ねぇ? おねえちゃん!」


 そう叫ぶヒイラギの目は、品子の背中越しにいるシヤを捉える。

 先に目を覚ましていたであろうシヤは、ただこちらを見ていた。

 だが、何も言わない。

 目は開いているのに。

 まばたきだけをただ繰り返し。

 ただ、いきをしてるだけ。

 ただ、生きてるだけ。

 泣きながら自分を抱きしめる品子のしゃくりあげる声を聞きながら、ヒイラギも同じようにシヤの姿をただ見つめ続けていた。

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