第90話 木津家の甘味品 その2
「成長してるね、冬野君。前だったら『ずーん。あぁ、私のせいだ!』って、めっちゃ落ち込んでいただろうに」
隣で話す品子に、惟之はうなずく。
「冬野君に限らずシヤもだ。たった数日で、ここまで人は変われるものなのかと思うよ」
惟之の言葉に、品子は満足そうに笑うと続ける。
「冬野君はね。記憶を消そうとしたあの時に、私に言ったんだ。『もし、記憶を失くした明日からの私が、先生達に相応しい成長をしていたら。その時は、私を連れていって下さいね』って」
台所の二人の様子を見つめる品子の姿。
それがとても嬉しそうに惟之の目には映るのだ。
品子からは、記憶消去の発動が上手くいかなかったと聞いている。
惟之はこれに疑問を抱いていた。
実際に効かなかったのか、それとも品子が故意に失敗と言っているのか。
そんな惟之の心など知らぬとばかりに、品子は台所を見つめ再び口を開く。
「あの子は約束を一所懸命、守ろうとしている。本当にいい子だよねぇ。それにさ。あの子には発動なんか無くても、皆を元気にさせる力がある」
皿の上に綺麗に並べられたチョコレートを持って、つぐみとシヤがリビングへと戻ってきた。
「冬野君! 何個? 一人で何個、食べていいの?」
飛びつかんばかりに明日人が、つぐみに尋ねている。
「そうですね。取りあえずこちらの赤いお皿の方は、井出さんと先生で好きなだけ食べてもらって大丈夫ですよ」
「よし、明日人! 他の奴らに奪われないように、私達は皆から離れてこちらの方で食べるぞ! 半分ずつだぞ!」
「もちろんですよ! 品子さん。あっちの隅でいっちょ密談でもしながら、共に血糖値を上げて行きましょう!」
品子と明日人は、弾むような足取りで部屋の隅へ向かって行った。
二人で皿を囲み、口の中に次々とチョコレートを放り込んでいる。
満面の笑みが咲き誇る部屋の隅の光景を、惟之は半ば呆れながら見つめていた。
そんな中、カタリと小さな音が惟之の耳に届く。
音の元を辿るべく下を見ると、自分の机の前にも青い皿が置かれていた。
そこには同じようなチョコレートが五個ほど、これまた綺麗に並べられている。
「先生達のお皿と違って、こちらはビターチョコで作った生チョコなんですよ。靭さんが甘いものが嫌いでなければ、食べてくれると嬉しいです」
つぐみが、はにかみながら、惟之へと話しかけてくる。
「ありがとう。あいつらほどではないが、俺も好きだよ」
「でしたら、生チョコってコーヒーが合うらしいのです。よかったらお持ちしましょうか? あ、そうだ。だったらカフェオレの方が合いそうですね。いかがですか?」
「ありがとう。では、お願いしようかな」
「はい! では少しお待ちくださいね。あ、シヤちゃん。洗い物は私がするから、チョコ食べてみて!」
再び台所へ戻っていくつぐみを、惟之は温かな気持ちで見つめる。
そんな自分の頭に重みと痛みを感じ、惟之は顔をしかめていく。
「実に気の利くいい子だろう? だが、お前に娘はやらんぞ」
わざわざ人の頭の上に肘をつきながら、品子が自分へと話しかけてくる。
明日人はどうしたのかと周りを見渡せば、ちょうど食べ終わったばかりのようだ。
ソファーに座り、満足そうに自分の頬を撫でながら笑みをこぼしている。
「品子さーん。もうお腹いっぱいだー! 眠いから僕、今日はここに泊まってもいーい?」
満ち足りた表情のまま、明日人が品子に尋ねている。
「駄目だ、明日人。お前は俺が送っていくよ」
「ちぇー、眠いのにぃ。わかりましたよー」
「さすがに女性だけの家に、泊まらせるわけにはいかないだろう。……それにしてもだ」
惟之は、自身の頭上を陣取る品子へと声をかけた。
「お前の
「へいへーい。わかりましたよー」
「あと、その皿のチョコを狙っているのかもしらんが、やらんぞ」
「……」
「やはり、それ狙いだったのか」
品子へと言い終わると同時に、つぐみがカフェオレを惟之へと運んできた。
「あ、先生。よかったら何か飲み物のおかわ……」
「冬野君っ! 私もっ! 私も、これ食べたーい!」
「はい、大丈夫ですよ。ビターの味の方も、先生と井出さんの分は別に準備してありますから。だからそれは、靭さんに食べてもらって下さいね」
「冬野君、気が利きすぎー! もう私のお嫁さんになろーよ! もうそれしかないよー!」
ここまでくると『お母さん』だな、彼女は。
品子と共に笑っているつぐみを見ながら、惟之は思う。
この優しさに、皆が癒されている。
間違いなく今の自分は、ここに居られるという満足感と安らぎを得ていることを改めて自覚するのだ。
この気持ちを、あと一人も一緒に。
ヒイラギが帰って来てくれれば。
……それは明日の、自分と品子にかかっているのだ。
『上手く行くか行かないかなんて関係ないんだよ。上手く行かせるんだよ』
惟之の頭に浮かぶのは、ヒイラギの言葉。
「そうだな、上手く行かせようじゃないか」
惟之はそう呟くと、カフェオレを口へと運んだ。
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