第259話 冬野つぐみは緊張する

「あのね、冬野君。そこまで緊張しなくても大丈夫だから。私も一緒に面接の部屋に居るのだからね」


 野小納やこな市にある白日はくじつ本部。

 敷地内の駐車場で車を降りたつぐみに、品子が声をかけてくる。


「はい、もちろんそれは分かっています」

「うーん、表情が少し硬いかな。ちょっと深呼吸してみようか? リラックスは大事だからね」

「すーはー。はい、もちろんそれは分かっています」

「……。君の今日の仕事は、惟之の目を更に垂れさせることだよ」

「はい、もちろんそれは分かっていま、……って、ええっ! 今、ものすごく変なこと言いませんでしたか?」


 慌てて問いかけるつぐみを眺め、品子はとても楽しそうだ。


「あははっ、もう君は本当に可愛いねぇ! まぁ、緊張するなっていう方が無理だよねぇ。ふふっ、でもねぇ、冬野君」


 見つめてくる品子の顔は、とても穏やかだ。


「惟之が言っていた通り、どうか君は君のままで。その素直な姿がきっと清乃様の心には響くと思うから」

「は、はい! 分かりました。いつもの私を見てもらえるようにいつも以上にいつもを頑張りま……!」

「ぷぷっ! これはこれで面白くていいなぁ。明日人がここにいたらすごく喜んでいそうだねぇ。まぁ、今日は君の顔を見るために、間違いなくどこかで待っているとは思うけど」


 品子が愉快そうに話をしながら、本部の正面玄関へと向かっていく。


 緊張をしながらも、つぐみは改めて周りの景色をぐるりと見渡す。

 先日の筆記試験の時にも思ったはいたが、本部ここは広い。

 自分の通う大学以上の広さはあるだろう。

 以前に勝手なイメージで、大きな屋敷が存在しているのかと思っていた。

 だが実際に目にしている本部の外観は、大きな会社のようだ。


 ここに着くまでに守衛のいる門を通り、車で走ること数分。

 右に左に通り過ぎていく、いくつもの建物を眺める。

 それらもここで働いている人達の寮や、各所属の研究棟だという。

 途中に品子の実家のそばも通ったらしい。

「近いうちに招待するね」という声かけにも、これからの面接で頭がいっぱいの自分には、「はい」と短い返事をするので精一杯だった。


 目の前に現れた本部の建物を見つめ、気合を入れ直す。

 正面玄関に入ると、つぐみは品子の後ろについて歩いていく。

 自然の光が入るロビーは日中ということもあり、人工の照明など必要ない明るさで満たされていた。

 目を引かれるマホガニー色の木目の壁が作り出す、温もりと穏やかな雰囲気の空間。

 来訪者に対する、もてなしの思いが込められている。

 その配慮に、わずかではあるが緊張がほぐれていく。


 受付の方を眺めれば、その先はカフェスペースのようになっていた。

 何人かの人達が談笑をしたり、何かしらの資料を読み込んでいたりする姿を見ることが出来る。


「あぁ、あそこはね。来客との打ち合わせや、会議まではいかない話などをするスペースになっているんだよ。なかなかおしゃれでしょ?」


 説明をしながら、品子は受付へと向かっていく。 

 二人が来るのをにこやかに見つめている受付の女性に会釈をし、そちらに向かおうとしたその時。


「おーい。品子さん、つぐみさーん」

 

 聞き覚えのある声に目を向ければ、明日人が手を振りながら駆け寄ってくるのが見える。

 全く気づかなかったが、打ち合わせ用のスペースの中に彼はいたのだ。


「やぁ、つぐみさん待ってたよ。この受付前に居れば、君に会えると思ってたんだ〜。どうせ今日は緊張しすぎて、品子さん相手に変なこと言っていたでしょう?」


 つぐみは思わずたじろぐ。


「い、井出さんは名探偵なのです。今日は私、先生に変なことばかり言っています」


 身に覚えがあるだけに、素直に認めざるを得ない。

 そんな動揺した様子を、二人はニコニコと笑ってみている。


「さっきもなかなか楽しい会話ができていたぞ。面接が終わったら、明日人にも話してやるからな」

「わぁ、それは楽しみです。『つぐみさんのおもしろ言動リスト』に新たな項目が増えそうですね!」


 すごく聞き逃したいような。

 だが、聞き捨てならない言葉が耳に届いてしまう。


「井出さん、そんなもの作っていたのですか? しかもそれ、本人の前でサラリと言いますかね?」


 これは良くない流れだ。

 フンと鼻息を荒くして、つぐみは二人に宣言する。


「う、受付は私が一人で行きますっ! だからお二人はあちらの打ち合わせスペースの方で待っていてくださいっ!」


 これ以上に、リストの項目とやらを追加されるのはごめんだ。

 このまま、三人で受付に向かったとしよう。

 自分の動きを見て、ニヤニヤしながら自分の両脇を陣取る、二人の姿がありありと浮かんでくる。


 ここからは、なるべく一人でやっていくべきだ。

 そう考え、二人から離れると、受付の女性の元へと向かう。


 受付嬢は真顔で向かってくる自分の姿に動じることなく、笑顔を向けて用件を尋ねてきた。

 今日の目的である、面接に来たことを伝えていく。

 受付嬢は丁寧な応対と共に、入室に必要なIDカードとこの本部の案内図を渡してきた。

 地図の中のある応接室にマーカーで丸を付けながら、今から面接の相手に連絡を入れること。

 あわせて、早めにその部屋に向かってほしいと告げられる。

 無事に済ませたことにほっとしながら、礼を述べ、二人が待つスペースへと戻っていく。

 予想通りというべきか。


『やらかしたでしょ! ねぇ、受付でなんかやらかしたよね?』


 そろってその思いを顔に出しながら、二人は笑っている。

 そんな彼らに、つぐみは誇らしげに語っていく。


「受付、きちんとぶ・じ・に! 終わらせることができました。そのまま面接の部屋に、早く向かってほしいということですよ」


 一部の言葉を強めて伝えてみれば、つぐみの前には何だか残念そうな顔が二つ浮かんでいる。


「何なのですか、その顔は。ここは無難に終わらせた事実を喜ぶところでしょう?」

「えー、何か冬野君は一人で出来そうだから、私の付き添いはいらなくなーい?」


 口をとがらせて、不満そうに品子が言う。


「え、ひょっとして先生、すねていませんか?」


 つぐみの言葉に明日人が、品子と全く同じ表情で答えを返す。


「いいですか、つぐみさん。ここでの模範解答は、『タルトはここでは売っていないらしいですよ。ひどいですね』が適切だったんですよ。ちぇ〜」


 なぜ頑張ったのに、この人達は気に入らないというのだ。

 そんな気持ちもあり、もらった紙を二人の目の前にぐっと突き付ける。


「とにかく! 私は取り急ぎこの応接室へむかいます! いいです……」


 つぐみの言葉は途中で遮られる。

 明日人がつぐみの手から紙を奪い取ると、ぐしゃりと握りつぶしたからだ。

 驚き見た明日人の顔に浮かぶ表情は、明確な怒り。


 こみ上げる感情のためだろうか。

 ぶるぶると彼の手が震えているのが目に映る。

 彼の突然の行動に理解が追いつかず、つぐみはただ呆然とすることしか出来なかった。

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