第260話 人出品子は怒る
「い、井出さん? 一体どうしたのですか?」
つぐみの発した声など全く聞こえていないかのように、明日人は品子を見つめていく。
「品子さん。どういうことですか? ……と聞きたいところでしたが、その顔は僕と同様にいま知ったということですね」
彼以上の不快感を、隠すことなく品子は続ける。
「そもそも知っていたら、
いつもとは全く違う怒りに震えた声。
彼らの怒りの理由がわからないつぐみは、戸惑うことしかできない。
「時間がない。相手は早めにと言っている。明日人、君は惟之に連絡して。あいつが知っていたら、こんな状況はあり得ない。私達はこのまま面接に向かう」
「では、付き添い人は品子さんですね。確かに僕よりはいいでしょう。つぐみさん、この面接で嫌な思いや辛い思いをすることになりそうならば。たとえ記憶を失くそうが、白日に入るという選択肢は捨てて下さい。僕は、……あなたにそう望みます」
明日人は先程までとは打って変わり、真剣な表情でつぐみに伝えると足早に去って行った。
それと同時に、品子がつぐみの手を掴み歩き始める。
状況が全く理解できず、つぐみはただ手を引かれるまま足を進めていく。
「冬野君、状況が変わった。面接相手は恐らくは清乃様ではない。そしてこの面接を断ることは、……もはや出来ない」
「え? それでは私は、三条ではない所属先になるのでしょうか?」
一体、どの所属先の長が面接をするのだろう。
何よりどうして、品子がこれほどまでに怒っているのだ。
頭の中で疑問が巡り、その理由を問いたいは思うものの、品子のただならぬ様子に言葉がうまく出てこない。
通路の途中にあるガラスで仕切られた場所にたどり着くと、品子は自身の鞄からIDカードを取り出し、つぐみにそのカードを見せてくる。
おずおずと先ほど受付で渡されたIDカードを品子へと渡す。
セキュリティチェックのための認証箇所に、二枚のカードを叩きつけるように当てながら品子は話を続ける。
「今日の面接をこのまま行わずに帰れば、この面接の設定をした惟之は責任ありと判断され、あいつが処罰対象となる。つまり君は、この面接を受けざるを得ない。実にいやらしいやり方だよ」
つまりは今から会うことになる人物は、つぐみが面接から逃げ出さないように周到に準備をしてきたということだ。
もう一つ、品子の言葉で気になる点がある。
「先生、それはつまりこの面接において、私が失礼な振る舞いを行った場合。推薦人である皆さんにも、害が及ぶのではないですか?」
つぐみの問いに品子は、片方の口角を小さく上げる。
「今更ながらに、推薦人は程々にしておかねばならぬと学んだよ。さて、いよいよここからが正念場だね。君は聞かれたことだけを答えてくれ。答えたくないのならば拒否をしてくれて構わない。むしろ私達は、きっとそれを望むだろう」
フロアの一番奥にある部屋の扉の前で立ち止まった品子は、振り返りつぐみの正面に立つとそっと髪を撫でてきた。
「明日人も言っていたが、この面接が上手くいかず記憶を失くすことになっても、それは仕方がないのだと思ってほしい。白日に君が所属することがなかったとしても、私達はいつも一緒だ。どうか、……どうかそれだけは忘れないで」
苦しそうに、そして悔しそうに言葉をこぼす品子の顔を見るに、記憶が消える可能性は相当に高いのだろう。
だがつぐみとて、そうそう諦めるつもりはない。
「いえ、私はこの面接をしっかりやり遂げますよ。先生はそれを隣で見ていてくれるのでしょう?」
品子の目に映っている自分の顔は、無理に頬を上げたみっともない笑顔なのだろう。
それでも品子は表情を緩ませ、そっと優しくつぐみの頬を撫でて言うのだ。
「では私は、君の足を引っ張らぬように心掛けよう。じゃあ、……行こうか」
その言葉にうなずき、扉をノックしてから相手からの返答を待つ。
しばしの後に女性の声で「どうぞ」と返事が来た。
面接相手は女性。
だが扉の向こうの相手が清乃と違うのは、隣にいる品子の表情で分かる。
きつく口を閉じたまま、扉をゆっくりと開いていく。
中に入ると、まず大きな窓が目に入る。
エントランスと同様に自然光が入り、明るく開放感がある部屋だ。
柔らかな外からの光を浴びて、つぐみ達を待っていた人物は二人。
部屋の奥で立っている女性は、つぐみを見てにこやかに微笑む。
その小さな仕草で、ブラウンに染まった髪がさらりと流れた。
ブラウンのシンプルなスーツに、ブルーのブラウスですらりと立っているその姿に、つぐみは思わず見とれてしまう。
年は、三十代半ばといったところだろう。
初めて出雲と会った時を、少しだけ思い出す。
だがこの女性に、出雲の時よりも強い緊張を覚える。
綺麗なだけではない余裕を感じさせるその姿。
つり目がちのそのまなざしに、自分の気持ちの焦りを見透かされているように感じてしまうのだ。
「あら、品子様もご一緒なのですね。では里希様、お願い致します」
女性は、自身の前に座っている人物に声を掛ける。
二人掛けのソファーに座り、つぐみ達を見つめていたスーツの男性が静かに立ち上がった。
男性にこんなことを思ってはいけないだろうが、透き通る白い肌に端正かつ気品を感じさせる顔立ち。
陽の光を浴び、立っているその姿は明日人とは違う意味で、中性的な魅力を湛えている人だ。
そう思いながら相手と目を合わせるが、すぐにその考えを否定することになる。
鋭い眼光。
まるでその目に射抜かれたように、つぐみの体が一瞬だけ動きを放棄する。
威圧感と呼ぶであろうものに、短い時間とはいえ呆けていた自分を戒め、つぐみも目を逸らさずに見つめ返す。
今から自分は、この人を相手に話をするのだ。
ここから先、こんなことでは面接を成功させることなど出来ない。
そう思うつぐみの態度に少しだけ目を細めると、淡い笑みを浮かべその人は口を開く。
「では始めようか? ……冬野つぐみさん」
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