第297話 番外編 或る男の昔話 その1

 ここは、どこだ?

 いや、違う。

 これは一体、何が起こっているのだ?


 男は状況を理解せんと、記憶をたぐる。

 最後の記憶は自宅。

 ある仕事の際に、大きな失敗を犯し二日前に自宅待機を命じられた。


「それから……? 何が起こっているんだ?」


 声は出る。

 だがそれ以外の情報を、男には確認することが出来ない。


 彼は拘束された状態にあった。

 うつ伏せで後ろ手に縛り上げられ、目隠しをされている。

 足首も同様に縛られており、逃げ出すことは不可能なようだ。

 視覚を使えない分、残りの感覚を彼は研ぎ澄ませていく。


 車の騒音や人の声といったものが全く聞こえてこない。

 風などもないことから屋内だと思われる。

 吸い込んだ空気からはカビやホコリそして。

 ……なまぐさい鉄の臭い。

 体の向きを変えかろうじて動かせる指でなぞった地面は、硬いコンクリートと砂の感触を伝えてくる。

 考えられる場所は工場や廃屋だろうか。


 そのまま指が届く範囲で、自らの背中に触れてみる。

 ニットの馴染みのある粗い凹凸の感触。

 服装は自宅に居た時と変わらぬリブニットのままで、着替させられた様子はなさそうだ。

 靴は履いている状態。

 つまりは自分で家を出てきたということ。

 だがその際の記憶は全く無い。


 今、探れるのはここまでだろう。

 ならばここからは……。


 男は唯一、自由が許された行動を。

 言葉を発することで状況を変えようと試みる。


「誰か、誰かここにいないのか?」

 

 口をふさがないでいた理由、それは……。


「おはよう、寝起きはいいほうかな?」


 相手が会話を求めているからであろう。

 同時にここは、自分が大声を上げたところで誰も助けに来ない場所だということも理解する。


「残念だけど、朝食の準備がしていないんだ。まぁ、今のあなたに食欲があるかわからないけれど」

 

 聞こえてくるのは若い男の声。

 そちらの方へと体を傾けていく。

 この声には聞き覚えがある。

 なぜならこの人物とは二日前に会ったばかりなのだから。

 浮かび上がるのは疑問。

 自分は彼の存在の認識はしているが、接点はそれほどない。

 なのになぜ、こんなことを?

 そもそも彼は……。

 確認すべく、男は口を開く。


「これは一体、どういうことでしょうか? ……蛯名えびな様」


 蛯名えびな里希さとき

 一条の発動者であり、長の息子でもある人物。

 彼は所属こそ違えど、同じ組織『白日』の人間なのだから。

 


◇◇◇◇◇



 男が白日に入り数年経つ。

 仕事の覚えも早く、人当たりもいい彼は同期の中でも頭角を現すようになっていた。

 しかしながら発動能力を持ち合わせておらず、三条の事務方の一員として務めていくこととなる。

 それに対しての不満は全くなかった。

 もちろん彼にも自分が、人より優れたものを有しているという自覚はある。

 だがそれを使い、のし上がろうとする野心が彼にはなかったのだ。


 男は早くに父を亡くした。

 そんな自分を母はたった一人で育ててくれた。

 成長するにつれ知るのは、片親での彼女の苦労。

 そんな母を少しでも楽にしたい。

 自分の存在が負担にならないように。

 自身の行動で、少しでも周りから母が認められれば。

 その思いを胸に人間関係の構築や勉学等に励んだこともあり、次第に彼は人の心を察し、それに応じて動くことを覚えていく。

 その出会いの中での人物からの紹介により、白日に入りようやく母に恩返しを。

 そう思っていた矢先に、彼の成長に安心したかのように母は父を追うように病で亡くなってしまった。


 残されたのは、ぽかりとあいた行き場を失くした心。

 そこに入り込むように生まれたものは。

 どれだけ大切に思っていても、たやすく人はいなくなり、自分から離れていってしまうという寂しさだった。


 この出来事を機に、彼は人に対する感情が希薄になっていく。

 周りの人間に対して表面的には以前のようにふるまうものの、親しくなるのを避け一定の距離を保ったまま接するようになっていた。

 ある程度の付き合いなどは、空虚くうきょながらも続けていくべきだろう。

 その考えもあり行動を変えぬようにしていたので、彼の変化に気付いたのはたった一人だけ。

 その相手も「お前の望むようにいればいい」と述べただけで、それ以上に関わってくることはなかった。


 出世も望まない。

 今の自分の立ち位置は、干渉されることもなく蹴落けおとそうとする存在もいない。

 そういった意味で、この場所は実に都合がよかった。

 多少の空しさがありながらも、このまま生きていくのだろう。

 そう思っていたのだ。


 ――この状況になるまでは。 


「ふぅん、顔を見ずとも僕が分かるんだね。あの時は慌ただしかったからね。改めて自己紹介でもしておこうか」


 声の主は感情も無く淡々と語り続けていく。


「一条発動者、蛯名里希。今からあなたの命を奪うものだよ。よろしくね。三条事務方、……斉藤さいとう領介りょうすけさん」



 ――――――――――――――――――――

 お読みいただきありがとうございます。

 さて、「斉藤って誰?」と思われる方も多いでしょう。

 こちらの斉藤さいとう領介りょうすけは、本作の第5章での『忘れたいコト その1』にて登場している男性です。

 三条所属の事務方であり、当初は品子の仕事の護衛として同行しておりました。

 その際に品子の発動『妖艶』が暴走し、同行していた江藤えとう貴喜たかきと共に品子に危害を加えてしまいました。

 今回の話は、その事件においての斉藤の謹慎中での出来事となります。

 品子を大好きな里希が今後どういった行動を取るのか?

『或る男』とは果たして、誰のことを言っているのか?

 どうぞ引き続きお楽しみくださいませ。

 そしてよろしければ今一度、読み直しなんてしていただけたら嬉しく思います~。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る