第303話 井出明日人は知る

 思いは決まった。

 ならば次の『結』に向けて進むのみだ。

 明日人は惟之に、自分の向かいのソファーに座るように促し問うていく。


「惟之さん、僕は次に品子さんとの『結』を考えています。そのために今回の経験を踏まえ、少しでも彼女にかかる負担や反動を減らしたいのです。『結』の最中で、何かおかしなことや気付いたことはありませんでしたか?」


 明日人の言葉に、惟之は目を伏せていく。

 そこに見えるのはためらいだ。

 彼に気を遣わせるのは、明日人にとっても本意ではない。


 ――彼も自分と同じく、『知って』しまったのだろう。


 自分をさいなむ頭痛は一向に治まる様子はない。

 どうやらあまり自分には時間が残されていないようだ。

 ならば急ぎ確認すべきだと、明日人は惟之へと尋ねる。


「見えたのではないですか? ……僕の過去が」


 惟之が小さく唇を噛むのが明日人の目に入る。

 自分がそうであったように、彼も明日人の過去や隠していた事実が見えてしまったのだろう。


 彼の心にある、自分に対する思いは同情かあるいは……。


真那まなさんのお前に対する冷酷な態度。その理由はこれが原因か? あと、俺が見えたということは、お前にも俺の過去が見えたということでは?」


 顔を上げた惟之は、真っ直ぐに自分を見つめてくる。


『いいえ、自分には見えていません』


 一連の彼に対する申し訳なさや負い目もあり、そう言いたい気持ちはある。

 だが明日人は正直に、という答えを選ぶ。

 惟之の隣に居ることが相応しい存在でいられるように。

 彼に信頼してもらえる人間でありたいと今、自分は心からそう願っているのだから。


 ――だからもう、心を偽りはしない。

 その決意を噛みしめるかのように、ぐっと唇に力を入れると、惟之の言葉に小さくうなずき口を開く。


「……申し訳ありません。僕が見てきた『結』の資料には、当人達の合意なく相手の過去を知るという記述はありませんでした。……これは僕の認識不足です。相手とのつながりを深めるという意味で、こういった可能性もあると気づくべきだったのに」


 今の思いや考えを正直に伝えるだけだ。

 そう決めて話しているはずなのに、声が震えてしまう。

 過去を知られたこと、そして彼にありのままの自分を出していく決意。

 予想以上にこれらの出来事が、動揺を呼び起こすようだ。


 惟之は今まで黙っていた自分のことを、どう思ったのだろう。

 真実を隠しながらも、そばに居続けたことを軽蔑しただろうか。

 それだけではない。

 彼も自分も、不本意な形で互いに秘密を明かすことになってしまったのだ。

 惟之に対する罪悪感と後悔が、じわりと明日人の心にのしかかってくる。


 起こってしまったことは、もうどうしようもない。

 そうは思いながらも、やはり彼の反応を見るのは怖いと感じてしまう。

 不安を顔にださないようにと気を引き締め、明日人は惟之を見上げる。

 彼はさすがに大人といったところか。

 表面上は自分に対する視線に不快感や嫌悪感といったものは見受けられない。


「品子と『結』をする際には、互いに過去を知られてもいいのかを確認する必要があるな。あとは……、これはあくまで個人的な意見ではあるのだが」


 顎に手をやり、惟之はしばし考えこむ様子を見せる。


「その過去においても先に話すことで、相手への負担を減らせるのではないだろうか。お前も知っての通り俺は解析班だ。それもあり、お前さんの情報や事情はある程度は把握していた。だが、俺の知らない、……えぇとなんだ。お前さんの過去が見えた時、痛みとまではいかないが体に変調はあった」


 言葉を詰まらせた惟之に、明日人は「あぁ」と呟く。


「確かに僕もそれを体験しました。なるほど、事前に伝えることで心身の不調が防げるのであれば。リスク回避として、行っておくべきでしょうね」


 明日人に流れ込んできた惟之の記憶。

 その中の一つ、彼の右目における事実を知った際に、自分を襲った心身の消耗を思いかえす。


「……なぁ、明日人」

 

 呼びかけに思考を中断させ、明日人は惟之へと顔を向ける。

 気まずそうにしている彼に、明日人は小さく笑いを浮かべてみせた。


「あぁ、軽蔑してくれて構いませんよ? 僕はそうされてもおかしくないことを、今まであなた方に黙っていたのですから」


 まるで吐き捨てるかのように、明日人は思いを口にしてしまう。

 予想外の状況が続いたとはいえ、心の未熟さをあらわにしてしまった言葉。

 それにより惟之の顔に表れた悲しみに気付き、明日人はようやくそこで我に返る。


 信頼してほしいと思っていながら、これでは逆に彼の心を傷つけているではないか。

 そもそも何も悪くない彼に対して、ぶつけていい言葉ではないのだ。

 謝らなければ。

 そう思う明日人より先に惟之が口を開く。

 

「わかっているのか、明日人。その言葉は……」


 何かの感情を押さえつけているような、いつもと違う声色。

 ただならぬ様子に明日人は体をこわばらせる。

 惟之はサングラスを外すと、明日人を真っ直ぐに見すえてきた。

 強い視線に言葉を返すことも出来ず、明日人はついうつむいてしまう。

 そんな自分へと惟之は言葉を続けていく。


「……秘密を隠していたのは俺も同様だ。ならばお前は俺を軽蔑するということか?」

「そんな! そんなことは絶対にありえませんっ!」


 これ以上、彼を悲しませたくはない。

 その思いから声を張り、顔を上げれば何ということだろう。

 先程とは一転し、優しくも柔らかな視線が自分へと向けられている。

 想像とは真逆の彼の表情に、明日人はぽかんと口を開け、ただ見つめることしか出来ない。


「俺もお前と一緒だよ。今まで知らなかったことを知った。ただそれだけの話だ。これまでのお前と変わるものは無いし俺だってそうだ」

「そう、……でしょうか? 僕とあなたでは、きっと違うような気がします」


 こうして自分をそのまま受け入れてくれた、惟之の言葉に感謝の気持ちはある。

 だがその一方で思うのは、誠実な彼が理由もなく自らのことを隠すはずはないということ。

 彼は自分の為でなく何かしらの誓約、あるいは誰かや何かを庇ってそうしている。

 明日人にはそう思えてならない。


 それなのに自分はどうだ。

 ただ、一緒にいてくれる彼らに嫌われたくなかった。

 忌まわしい出生を恥じ、皆に知られることを恐れ続けている。

 己の都合しか考えていなかった自分と、この人の秘密を一緒にしてはいけない。

 その思いから明日人は言葉を続けていく。

 

「……惟之さんが秘密にしていたのには、きっと理由があるはずです。そうでなければ少なくとも品子さんやヒイラギ君達には話しているはずですから」

「いや、品子は知っているんだ。というかちょっとした交換条件として知られたというべきか……」


 頬をかき苦笑いを浮かべていた惟之だったが、表情を変え明日人に問いかける。


「ん、待てよ? つまりは……」


 言葉を途切れさせた惟之に、明日人は声を掛ける。


「惟之さん、どうしたのですか?」

「明日人、お前が知った俺の過去はどんなものだ? 知ったありのままを話して欲しいんだ」


 どうやら自分が気付けなかった何かを、彼は見つけたようだ。

 惟之本人に伝えるという緊張。

 それをぐっと押さえこみ、明日人は口を開く。


「惟之さんの目はその……、、……僕は知りました」

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