第235話 井出明日人は心を明かす

 三人が自分を見つめる中で、つぐみは思いを伝えていく。


「私は、三条への所属を希望します。先生、私を認めて頂けませんか」


 品子は、ほんの少し眉尻を下げてつぐみを見たまま、何も話さない。

 

「品子、冬野君はお前にきちんと思いを伝えた。次はお前が答える番だ」


 惟之の声に、品子は無言で立ち上がり、つぐみの元へと近づいてくる。

 だがその姿に、いつもの快活な様子はない。

 睨みつけると言った表現がふさわしい、怖いという印象すら抱いてしまう。

 その表情に、思わず体がすくみあがる。

 決して早足ではないその歩みにたじろぎ、思わずつぐみは後ろへと下がってしまった。


「品子さん、つぐみさんが怯えています。一体どうしたのですか? いつものあなたらしくありません」


 明日人が、品子へ当惑気味に声をかけていく。

 

「……わからないんだ。わからなすぎて、どうしたらいいか教えてほしいくらいに」


 品子はそう語りながら歩みを進め、やがてつぐみの前に立つ。


「君が選んでくれて嬉しい。でも白日に所属することにより万が一、なにかあったら。私は、おかしくなってしまうかもしれない。そうしたら私は……」


 品子は、それ以上は何も語らない。

 伝えるのに適した言葉が出てこないのだ。

 何より今の自分の行動に戸惑っているのは、品子自身である。

 この部屋にいる皆は、それを十分に理解していた。


 品子のこの顔には見覚えがある。

 かつての『黒い水事件』の際に、初めて研究室で品子に沙十美との関連を問うた時と同じだ。

 震えるつぐみに、品子はそっと手を差し伸べてきた。

 互いに泣いてしまいそうだった、あの時と一緒なのだ。


 当時も、品子が一人で悩んでいたであろうことをつぐみは理解している。

 巻き込みたくない。

 けれども事件の解決のために、つぐみの観察力が必要と苦しんでいたあの時と同じだ。

 一方のつぐみも発動の存在すら知らず、ただ親友の消息を求め、何もわからない状態を手探りでさまよっていた。


 だが、今は違う。

 つぐみも品子も、互いに一人でもがいていたあの時とは違うのだ。


「先生、私は一人ではありません。そして、先生も一人ではありません。私達は一緒にいて、力を合わせて」


 つぐみは、にこりと品子へと笑ってみせる。


「一緒に笑ったり、考えたりしていくのです。だから、分からなかったら相談しましょう。どうしたらいいか困ったのなら、教え合いましょう。今の私達にはそれが出来るのですから」


 そうやって少しずつ、自分達は変わっているのだ。

 あの時と違い今は互いを思い、助け、導くことが出来る。

 今のつぐみは、このことを自信を持って言えるのだから。

 今こそ、それを伝えよう。

 そしてこれから起こる大変な出来事も、共に乗り越えていくんだ。

 つぐみが口を開きかけたその時。


「どうして、……ましい」


 ぽつりと放たれた言葉。 

 つぐみは続けようとしていた言葉を止めると、声がした方へと目を向ける。

 同じように視線を向けた品子が、ためらいがちにその人の名を呼んだ。

 

「明日人?」


 品子の声を聞き、うつむいて座っていた明日人が顔を上げる。

 その表情はとても苦しそうだ。

 同時に汲み取れるのは戸惑いの感情。

 思わずこぼしてしまった言葉に、何より本人が驚いている。

 言うつもりのなかった言葉を出してしまった。

 そんなふうにつぐみには映る。


「品子さん。僕は、……あなたが羨ましい」


 その口からは更に、言葉が続いていく。

 しぼりだすような震えた声。

 明日人の目は一瞬だけつぐみを捉えたものの、すぐに逸らされてしまった。


「僕は、……僕は持たざる者なんです。昔からずっとそうでした。期待されず、目も向けてもらうこともない。そうやって周りの大人達からは『いないもの』として放っておかれていました。……ずっとずっと」


 明日人の口から語られている言葉。

 それは今までのいつも穏やかにふるまう彼の姿からは。

 何より上級発動者という十分に持ち合わせた人間であるこの人からは、全く想像できない発言だ。


「今、発してしまった言葉も。つぐみさんに受け入れられている品子さんに対して抱いている今の僕の気持ちも、決して表に出して良いものでは、……ありません」


 明日人は一体、どうしたのだろう。

 つぐみはそう思うのだが、それを彼に問うことはしない。

 明日人が今、話しているこの言葉は本音であること。

 そして今の自分は、彼のその心の声を受け止め知りたいと望んでいるのだ。


 言葉にするのはふさわしくない、いつもの自分らしくない。

 それをわかっていても、出さずにはいられなかったその思い。

 何も言わないつぐみ達を前に、彼は言葉を続けていく。

 

「そうして僕は皆さんに憧れもするし、同時にみにくくもねたみます。どれだけ頑張っても、努力してもあなたがたの才能には勝てない。それは分かっているのです。だから僕は無駄とも思えるような努力をひたすら続けてきました。そうしてやっと今のこの場所に立っています。僕は……、僕はっ!」


 そんなひどく弱り切った表情の彼の言葉を途絶えさせたのは、かすかな衣擦れの音。

 明日人は口を一文字に結び、視線を向かいにいる音の主へと向ける。

 立ち上がった惟之は明日人を見つめたまま、彼の方へと歩みを進めていく。 


「……なぁ、明日人。お前らしくないと言えばそうだが、それもお前なんだろう? ならば必要以上に隠すこともないだろうし、偽る必要も無い」


 語られる言葉は、いつも以上に慈しみが込められている。

 明日人の隣に来た惟之は、そのまま彼の隣にどかりと腰を下ろした。

 

「だが、今の様子を見るにだ。お前さん自身が、まだ心と言葉を上手く抱えきれていないみたいだな。俺達はお前のそばにいつでもいる。その思いが、言いたいことがお前の中で答えとして出してもいいと思えるまで。俺は、お前を待てる自信はある」


 そう言ってつぐみ達を見つめ、再び明日人へと視線を戻す。


「俺だけでなく品子も、冬野君もそう思っているはずだ。もちろんその言葉を続けるのは今だとお前が判断するのならば、それでも構わない。それが正しい答えなんだろうと思う」


 明日人は黙って惟之の話を聞いている。


「俺は、いや、俺達は。お前と向き合い、お前の言葉を受け止めるための努力は惜しむつもりは一切ない。だから、お前自身が俺達を求めたら応えよう。俺達なりにお前の疑問や望みに正面から向き合うだろう。この言葉に俺は偽りはない」


 つぐみの隣で小さく「うん」と声がして、品子が明日人の隣へと向かう。

 惟之とは反対側の場所に品子はすとんと座ると、隣りにいる二人へとにやりと笑いかけた。


「惟之の言ってることっておかしいよね。さっきはさ、『いつ自分が、隣にいる人が消えてしまうか分からない』って話をしてたくせにさ、でも……」


 人差し指だけを立ててじっと見たあとに、明日人の頬に優しく触れていく。


「惟之が言ったことは私も同じだよ。人間なんざ嫉妬や妬みがあって当たり前。それを許さない、そんな生き方しか出来ないなんてさ、つまんないじゃん。……うりゃっ」


 掛け声と共に頬のくぼみが深くなり、空いた方の手で品子は明日人のわき腹をくすぐりはじめた。


「え? ええっ! あひゃひゃっ! しなっ、品子さんっ!」


 明日人の声に動ずることなく、品子は惟之に目配せをする。

 目が合った惟之はにやりと笑うと、明日人の肩へと片腕をがっしりと回す。

 そのまま惟之は空いているもう一方の手で、明日人の両手を掴み動きを封じ込める。


「な、何なんですかっ! これはっ! ……あははひゃっ」


 みもだえしながら、なんとか品子のくすぐりから逃れようと明日人は体を動かす。

 部屋には動揺した彼の声と笑い声だけが響いている。

 目の前で行われているとても不思議な光景を、つぐみはしばし眺める。


 では今の品子達の言動をふまえ、自分が明日人にすべき行動は。

 それをほんの少し考えたつぐみは、笑いながら明日人の正面へと座る。


「井出さん。お助けしましょうか?」


 つぐみの声に明日人は、息も絶え絶えに返事をする。


「たすっ、助けてつぐみさん! このままだと僕、死んじゃうよおっ!」

  

 答えを聞きつぐみは、明日人の両脇を陣取っていた二人に終わりのお願いをする。


「そういうことです。お二人共、止めて下さーい」


 つぐみの声に惟之は手を離したが、品子はまだくすぐっている。

 

「おい品子。明日人が死にそうだぞ?」

「え〜、なんか面白いからもう少し〜」

「ひ、ひなこさん、やめて……」

「え? 私、ひなこじゃなくて品子だから止めなーい」

「……うわぁ、井出さん可哀想。先生、ほどほどでお願いしますよ」


 だが明日人の笑い声が止まったのは、それからずいぶん後になってからだった。

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