第142話 人出品子は遊びに誘う
(あれ、今日は冬野がいない?)
少女さとみの耳に、いつもなら聞こえるはずのつぐみの声が届かない。
部屋の中を覗き、彼女がいないのを理解する。
(しまった、失敗だ)
普段はつぐみの声が聞こえるのを確認してから家に向かっている。
だが今回は沙十美にほめられて、つい何も考えずに来てしまったのだ。
つぐみがいないならばここに来た理由はない。
帰ろう。
さとみが
「さーと-みちゃーん。あーそびーましょーっ!」
後ろから声がする。
さとみ、それは自分の名前だ。
しかしそれを知っているのは、大きな自分とつぐみだけのはず。
それに自分は今は蝶の姿をしているのだ。
なぜ、さとみだと知っている。
そしてこの声は、自分の知る二人の声ではない。
(だれだ? でも、……遊ぶのか? 遊びたいけど、いいだろうか?)
ぐるぐると考えながら、さとみは声の主の方を見る。
そこは髪の長い女性が立っていた。
(この人は、……冬野のそばにいて、いっぱい困っていた人だ! たしかせんせいと呼ばれていた)
『冬野に困っていたせんせい。なぜ私を知っている』
「おぉ、本当に頭の中に声が聞こえるんだ。すごいなぁ。はじめまして。私の名前は品子。冬野君と千堂君の先生をしているんだよ」
『せんどうくん? せんせいはしなこ? ……わからない』
「あぁ、知らない言葉だったんだね。千堂君は大きな君のことだよ。黒い服を着た」
『! わかった! 大きな私のことをせんどうくんと言うのか』
さとみの声に品子は嬉しそうにうなずく。
「そうそう、おりこうさんだね! 先生はいろいろ教える人のことだよ」
『なら、大きな私は私のせんせいだ!』
「へぇ、千堂君、頑張ってるなぁ!」
『うん、大きな私はとても私にがんばってせんせいをしている!』
「うっは、何この子? 超かわいいんですけど! ねえ! 頭なでなでしていい? ……って駄目かぁ。ちょうちょさんだもんねぇ」
品子はがっかりした様子を見せる。
(どうしよう。しなこがかわいそうだし、頭なでなでは私も好きだ)
そう考えたさとみは声を掛ける。
『しなこ、少しまて!』
そうして人の姿になると、さとみは品子の前に降り立った。
品子はしばらくの間、目の前の光景に驚いていたが、さとみに近づくと頭をなで始める。
「うわー、かっわいいなぁ。昔のシヤを思い出しちゃう。ねぇ、さとみちゃん。ぎゅってしてもいい?」
『ぎゅっは好きだからしてもいいぞ』
「やった! じゃあさっそく!」
品子はにこりと笑い、さとみを抱きしめる。
(しなこも冬野と同じくらい、あったかい)
さとみは、目を閉じてしばらく身を任せた後、品子に尋ねる。
『しなこ。どうしてちょうのすがたの私がさとみとわかった?』
「あぁ、それはね。冬野君から君の話を聞いていたからだよ。今は彼女はお出かけをしていて家にはいないんだ。帰ってくるのはもう少し後になるかなぁ」
『そうか……、あれ? なぜ私はいないと知っているのに、がっかりしているんだ?』
そう呟くさとみを見つめ、品子はガラスを指さした。
「あと、そこから何度か冬野君のことを見ていたでしょう?」
『え! しなこは何で知ってるの? 私の後ろにいたのか? すごいな。後ろにいたなんて全く気づかなかったぞ』
初めてここに来た時、品子はつぐみと一緒にいたのを思い出す。
『あれ? しなこは二人いるのか! 大きな私と一緒か! つまり小さなしなこが私の後ろにいたのだな!』
さとみの言葉に品子は、目を見開くと大きな声で笑い始めた。
「あははっ、違うよ。最近、白くてかわいいちょうちょさんをお庭で見ることが多いなぁと思っていたからね。ところで、冬野君とはお話をしないで見ているだけなのかい?」
不思議そうに聞く品子にさとみは答える。
『ぎゅっとしてくれたお礼に教えてあげてもいいぞ。私は冬野を見て、いっしょにいるかどうかを決めようと思い、見に来ていたんだ!』
「そうだったんだ。それで、さとみちゃんはどうするのかな?」
『白い世界をこわしたとき、私は世界といっしょに消えようと思っていた。けれど大きな私と話して今、自分は消えたくないと思っていることに気付いた』
「なら、後は冬野君とお話をすれば一緒に居られるのかな?」
『……わからない。もう少し冬野を見て決めたいと思っている』
品子はさとみの前にしゃがみ込むと、優しく微笑んできた。
「そっか、じゃあ私は今日さとみちゃんに会ったことは、冬野君には内緒にしておくね。私は君が冬野君のことを好きになって、彼女といたいと思ってくれたらいいなと思うよ」
『しなこは冬野が好きなのか?』
「うん、大好きだよ。あとこうやってお話ししたり、なでなでをさせてくれるさとみちゃんも大好き」
品子は再びさとみを抱きしめてきた。
(好きっていいな。言われるとうれしくなる)
ふと見上げた空は、オレンジ色に変わり始めていた。
そろそろ戻らなければとさとみは気づく。
『しなこ、私は帰る。今日はせんせいしてくれてありがとう。あとぎゅっともなでなでもありがとう』
「あああーん、かわいい! どうだろう? 冬野君と言わず私と一緒に居てくれてもいいのだけれど?」
『うーん、しなこのことがよくわからないからだめ。でも楽しかったからまた遊ぼう』
「もちろんだよ! 楽しみにしてるね!」
『ばいばい、しなこ』
「うん、ばいばーい!」
品子が手をぶんぶんと振っているのを見ながら、さとみは再び蝶になり朧へと戻って行く。
『しなこは面白い、そして楽しい。また遊んでもいい。これも大きな私に教えてあげよう!』
満足そうにさとみはそう呟くのだった。
◇◇◇◇◇
「……さて、っと。聞いていたよね? もう解除して出て来なよ」
品子は家の中に居た惟之に呼びかける。
しばらくして家の外に出てきた彼の顔は、何とも複雑そうだ。
「何だ? さとみちゃんをぎゅっと出来なかったことがそんなに不満か」
「……何でそうなるんだよ。ただ少々、戸惑っているだけだ」
「何? さとみちゃんをなでなで出来なかったことが……」
「いや、そこから離れてくれ。彼女は、……さとみちゃんは発動者ではないのか?」
惟之の言葉を理解するのに、品子は少々、時間が掛かってしまう。
「いや、だってお前もさっきまで鷹の目で私達を見てただろう? 彼女が蝶から人間に変化するのも見えていたはずだ。あれで発動者じゃないって無理があるだろう?」
「だが、俺の鷹の目が反応しなかった。彼女を発動者と認識が出来なかったんだ。庭からはお前一人だけの発動者の気配しか感じられなかったんだよ」
「なぁ、私はあの子と会話を……。いや思念で話をしたが、お前にも聞こえていたのか?」
「あぁ、聞こえた。あれも立派な発動にしか思えない。それなのに、どうして感知できないんだ?」
惟之は自分の頭をかきながらため息をつく。
それを見つめながら品子は呟かずにはいられない。
「おいおい、本当かよ。ならば彼女は一体、何者だっていうんだ?」
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