第141話 少女は観察する

 小さな少女、さとみは『大きな私』と慕う千堂沙十美と話すことで心を決めた。

 自分は一緒にいるべきなのか。

 それを決めるために、つぐみを観察してみようと。


 つぐみの居る場所は分かる。

 なぜならずっと彼女は自分を呼びつづけているから。

 呼ばれるのはとても嬉しいとさとみは思う。

 今までさとみは、ずっと一人だったのだから。


 つぐみの所へ向かうまでの世界。

 そこではいろいろな色が、さとみを迎え入れてくれる。

 その輝かしい刺激は、白だけの世界にいた自分には眩しい。

 さまざまな動きをし、自分へと流れ込んでくるのだ。

 それらを眺めながら声の方に向かい、ついにはその主のもとへたどり着く。

 蝶の姿のさとみは、つぐみの声がする家へと近づく。

 彼女が見えたのでそこに向かおうとするが、ガラスがありそばに近づくことが出来ない。

 一度、沙十美の元へ戻り、彼女からガラスの存在を教えられる。

 説明を受け、学ぶ喜びと共にさとみの胸にあふれるのは感謝の気持ちだ。


(大きな私はとても優しい)


 沙十美は、小さな分身である少女に様々なことを教えていく。

 この世界の色々な物の名前や使い方。

 言葉を口から出す「話し方」。 

 何か困ったり疲れたりすると、さとみは彼女を呼び、おぼろで話をするようにしていた。

 もちろん自分が見たこと、感じたことも伝えるようにしている。


 それは最初に、つぐみを見に行った時のことだ。

 つぐみの隣に、さとみの知らない女性がやって来て、何やら二人で話をしている。

 ガラスの所に行っても、つぐみの姿は見えるが声は聞こえない。

 近づくことも出来ず困っていると、つぐみ達の声が突然、聞こえるようになっていた。

 さとみがどうしようと思うと、何かが助けてくれるようだ。

 これが沙十美の言っていた「力」なのだろうか。

 その事実に戸惑いながらも、さとみは様子を見ることにした。

 つぐみは濡らした何かを手に持って、うろうろと歩き回っている。

 そんなつぐみに、女性は不思議そうに声をかけた。

 

「冬野君? 何をしているんだい?」

「あ、先生。私、『さとみちゃんを呼ぶんだ計画』を本格的に進めようと思いまして!」

「え、えーと。その行動ってつまり……」

「はい! 彼女の衣食住の確立。ここから始めます! まずは食料の砂糖水をどこに設置しようかと考えているところです!」

「……あ、はい。花瓶に花を挿すとかでは無く、砂糖水でいくんだね。が、頑張ってね。うん。その気持ちは、とても大事だと思うよ……」


 先生と呼ばれた女性は、困った顔をして笑っている。


(なるほど! 冬野はどうやら人を困らせるやつだ)


 一つの結論にたどり着き、少女は沙十美の元へ戻るとその出来事を報告する。

 すると沙十美は、いきなりその場にしゃがみ込みこんでしまうではないか。


「やだ、どうしよう。涙が止まらないんだけど! つぐみってば、どれだけ先生を困らせてっ! ぷぷぷ! 苦しい! 砂糖水って! こ、呼吸がっ!」

『ふ、冬野は大きな私を苦しくさせているのか! 息が出来なくなるほど困らせるなんて、冬野は良くないな!』


 それを聞いた沙十美は、泣きそうな表情を浮かべる。


「ひー! あなたまで止めて。し、死んじゃう。ってもう死んでるけどさー!」


 困っているのか、笑っているのか。

 何だかよく分からないことになっている沙十美の背中を、さとみは息がしやすいようにさすってやる。

 

 また別の日のことだ。

 つぐみが、両手を上下に振っているのをさとみは見つける。


「蝶の気持ち、蝶の心境、蝶の思いを知れば来てくれるかも……」


 とぶつぶつ一人で呟きながら動いている。

 そのことを沙十美に伝えると、以前と同じようにしゃがんだ後、こぶしで地面を何度も叩きはじめた。


「気持ちって! 手を上下って! 有り得なさすぎるでしょ! しかもそれを一人でやってるって! いや。他に人がいても、それはそれでおかしなことだけど!」


 苦しそうに涙を流しながら、沙十美は叫んでいる。


『冬野は、こんなに離れた大きな私を苦しくさせるなんて! とても危険なやつではないだろうか?』


 その意見を聞いた沙十美は、目を大きく見開いたまま動きをピタリと止める。


「駄目、……もう駄目。何なの、この超天然コンビ。私、笑い死にっていう新しいジャンル切り開きそう」


 沙十美は息をすることすら大変そうにしているではないか。


(……冬野は、どうやら恐ろしい力の持ち主のようだ)


 少女の中に、新たなつぐみのデータが追加されていく。


「さ、さてと。じゃあ始めましょうか」


 胸に手を当てて息を整えながら、沙十美は少女の頭をなでる。

 さとみは自分の喉に触れながら、声を出していく。


「お、おおいなわらし。これはむじゅかひい」


(どうしてこの「口から話す」をしなければいけないんだろう)


 その思いから、つい少女は不満を漏らす。


『この方がうまく伝わる。口から思いを出すのはとてもたいへんだ。頭に思えばこうやって相手に聞こえる。だったらこれでいい』


 その言葉に沙十美は、優しくさとみの頭をなでながら口を開く。


「そうかもしれない。でもこの世界の人達は皆がこの『話す』ということをしているの。あなたは今、この世界を知るのはとても楽しいでしょう? もっと色々なことを知りたいのなら、こちらの世界のルールも守ることも大事なことだと思うの」


 難しいのは嫌だ。

 だが確かに、この世界のことを見たり聞いたりするのは、さとみにとって本当に楽しい。


 時間が経つと空の色が変わること。

 花や草木の輝く色と、それぞれの匂いがちがうこと。

 白い蝶の他にも、きれいな色の蝶を見つけたときには本当に驚いた。

 知らなかったことを見つけるのは、さとみにはとても楽しい。

 それらを見るたびに心がむずむずとしてくる。

 くすぐったい様なこの感覚が。

 自分の体をかけ回るたびに、白い世界で消えなくて良かったいう気持ちが生まれてくるのだ。


(……私は。私は今、自分でここにいたいと思っている?)


『大きな私! 私は今、ここにいてうれしいと思う。いる理由がないのに、こんなことを思う私は、心がおかしくなったのだろうか?』


 心の奥からあふれるように来る感情。

 さとみはそれを、加減も分からず強く伝えてしまう。

 突然の叫ぶような思いに、嫌がる様子もなく沙十美は強くだきしめてくれる。

 たまにしてくれる、この抱擁はさとみは大好きだ。

 苦しくなるが、一人ではないということが一番よく分かる時であるからだ。

 さとみはゆっくりとその幸せに身を任せる。

 

「良かったね、小さな私。あなたは自分で答えを見つけ出せたんだよ。誰かに言われたとか、誰かがしなさいと言った訳でもないのに。これはとてもすごくて大切なこと。頑張ったね」


『うん、ほめてもらえるのは嬉しい。だって心のむずむずがいっぱいになるから』


 素直に伝えながらも、はずかしい気持ちが徐々にさとみに生まれてくる。

 

『ふ、冬野を見に行ってくるっ!』


 蝶に姿を変え、さとみは飛び立つ。

 振り返り、ちらりと見た大きな自分は、なぜかとても嬉しそうだった。

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