第382話 蛯名里希は答えを出す

松永まつながさん、あなた生き……?」

「生きてるに決まってるでしょう! こんなよわよわへっぽこ里希さとき様を置いて、死んでなんかいられませんよ」


 ずいぶんな言われ方ではないか。

 さすがにむっとした表情を見せれば、彼はわずかに頬を緩める。

 ネクタイを外し、里希の左腕へと強く巻き付けながら、松永は言葉を続けていく。


「あなたが今すべきことは、吉晴きはる様に託された願いを引き継ぐことです。私と浜尾さんがいる、この一条をあなたが守るん……」


 見上げていたはずの彼の姿が、里希の視界から消え失せた。

 直後に響いた鈍い衝撃音で、彼が清乃きよのによって床に叩きつけられたのだと知る。

 衝突する直前に腕でかばったことで、頭部への衝撃はある程度抑えたものの、彼はもはや動くこともままならない。

 自分へと手を伸ばそうとする松永の姿を、遮るかのように、清乃が里希の顔をのぞき込んできた。


『おいおい、おしゃべりは俺の方が先だっただろう。さて、里希。おまえはどうやってけじめをつける?』


 彼は、松永はどこだ。

 

 自分の前から、松永がいなくなる。

 そんな時が来ることはわかっていた。

 だかそれは『いつか』であって。


 ――決して、『今』ではない。


 こみ上げる怒りを起点に、里希は発動を高めていく。

 片手が無かろうと、邪魔な存在はいつものように排除して……。

 

 いや、

 自分があるべき姿は。

 父から託された願いは、松永が言っていた答えは。

 これからしようとする先には、きっとない。


 失うことを怖れ、諦めるのは過ちである。

 それに気づいた今、自分がすべき行動は……。

 里希は立ち上がり、清乃を見据えていく。

 目が合った彼女は、一瞬だけ驚いた表情を見せると、愉快そうに声を掛けてくる。

 

『ほぅ、そんな顔で俺を見るか』

「あいにくと、生まれつきこういう顔ですので」


 答えを聞いた清乃は、からからと笑いだしていく。


『いやいや、そういう意味じゃないさ。いつものお高くとまってる面構えより、よっぽどいい男になっているじゃねぇか』

 

 口元の笑みを残しながらも、鋭く里希を見据え、清乃は言葉を続ける。


『では聞かせてもらおうか、お前がどんな答えを出すのかを』



◇◇◇◇◇



 今の自分が最優先にすべきこと。

 それは『生き抜く』ことだ。

 里希は風の発動を左手の周囲へと起こし、圧迫することで止血を行う。

 その様子を、清乃はからかうような口調で問うてきた。 


『命が惜しくなったか? 里希よ』

「はい。ここで自分が倒れたら、お伝えいただいた父からの言葉を、部下からの信頼を裏切ることになりますから」


 清乃の視線が、自分から松永へと向けられる。

 

あるじ思いの、実にいい部下じゃないか』 

「そうですね、おかげで目が覚めた部分もあります。ですが」


 笑みを浮かべる清乃へ、里希は強い視線を向ける。


「彼はまだ死んでいませんし、そんなにやわな男ではありません。そのような言い方はやめていただきたい」

『だが、このままだとそうなるぞ』

「えぇ、ですので今からそれにあらがいます」 


 松永へと歩み寄り、同じように彼の右肩の止血を行う。

 自分達には、早急な治療が必要だ。

 松永の腕を自分の肩にかけ、彼の体を支えていく。

 かすかに上下する胸の動きが、まだその命が途切れていないことを自分へと伝えてくる。

 立ち上がり、清乃へと背を向けた里希は、扉へと歩き始めた。


『おいおい、挨拶もけじめの答えもなく、退場するつもりか?』


 あきれた様子の声に振り返ることなく、里希は答えていく。


「治療を終わらせ次第、自分は品子さんの救出へ向かいます。その後にけじめも制裁も、すべて受け入れさせていただきますので」

『そう来るか。ならば、お前の左手も持って行った方がいいんじゃないのか』 

「いいえ、それは貴方様への約束への誓いとして、お預かりいただきます」 

『はん、言ってくれる。だがそんな状態で、出来る案件ではないぞ』

「問題ありません。その程度の覚悟や実力でしかないと言うのであれば」


 体が重い。

 だが、これは自分が成さねばならないこと。

 松永の体を今一度強く抱き、里希は宣言する。 


「自分に、一条を名乗る資格などありません」


 何より自身にそれを言い聞かせながら歩む後ろから、心底愉快そうな笑い声が聞こえてくる。


『聞いたか、清乃。あの小さかったひよっこが、言うようになったじゃないか』

「えぇ、彼も成長したということでしょうね。でも……」


 ぞくりとした感覚が里希を襲う。


「それではのですよ。だからね、里希さん」


 本能的に松永の体を突き飛ばし、振り返った里希の目に、清乃の手のひらが映し出される。

 そのまま頭を鷲掴みにされ、一切の躊躇もなくその腕は里希の体を壁へと叩きつけた。

 声すらも出せない、呼吸すらも許されない痛み。

 壁から崩れ落ちる体を支えることが出来ず、里希は床へと倒れこんでいく。

 

 もはや、目を開く力すら残されていない。

 遠のく意識の中で、不自然に穏やかな清乃の声が届く。


「おやすみなさい。どうかいい夢を」  


 放たれた言葉から程遠い場所へと誘う声を最後に、里希の意識は途絶えた。

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