第225話 人出品子と井出明日人は争う その1

「お吸い物がぁ!」


 品子の叫びを耳にしながら、つぐみは淡々と調理を続けている。


「飲みたい人ぉぉっ!」


 リビングの方から届く賑やかを超えた、騒がしい声を聞きながらつぐみは手にしていた卵を割る。

 かしゃりと音を立てて殻から離れ、新たな居場所となるお椀の中に滑り落ちていく卵白と卵黄。

 それを見下ろしながら、隣で手伝うシヤに声を掛ける。


「おばあちゃんが言っていたのだけれどね。お吸い物の卵をふわふわにしたかったら、卵は冷蔵庫から早めに出しておいて常温にしておくと良いんだって」


 玉子の入ったお椀を受け取ったシヤが、箸で卵をかき混ぜながら問うてくる。


「卵と言えば私、割るのがいつも上手くいかないのです。兄さんもつぐみさんも上手なのは、やはり慣れなのですか?」


 卵をかき混ぜながら、口を小さなへの字にして困った様子でシヤはつぐみを見上げてきた。

 今日のシヤは、シンプルな青色ストライプの柄のエプロンを身に着けている。

 華奢な彼女の体に、余り気味になる紐で作られた大きなリボン結びがシヤの後ろでしっぽのように揺れている。


 そんな姿で、私を見上げてくるのはなんと、可愛らしいことか!

 それは伝説の最強装備ですよね、シヤさん。

 私はもはや、そんなあなたの虜ですよ。

 表情は平静を装いながらも、つぐみはそんな事を考えている。


 だがそれを口に出せば、真面目なシヤのことだ。

 さらにへの字の角度が鋭くなり、『つぐみさんは、品子姉さんに影響され過ぎです』と言われてしまう。


 品子に似てきたと言われるのは、嬉しいことではある。

 だがここはやはり『お姉さん』として、きちんと導くことを優先させるべき状況だ。

 そう判断し、シヤへと優しく微笑んで見せる。


「えっとね。多分シヤちゃんは、台所のふちとかで卵を割っているんじゃないかな?」

「そうですね。割りやすいかなと思って」

「そうするとね。殻が内側にぐって入り込んじゃうんだよ。だから割るときは、ここみたいな平らな場所。こういう所で割る方がいいんだ」


 台所の平面部分を軽くとんとん叩いてみせる。

 それを見たシヤは、つぐみの手と平面部分を交互に見たあとにこくこくと頷いた。


 ぐむむ。

 可愛いが過ぎるよ、シヤちゃん。

 そう考えながら今日だけでも何度目かの、シヤに抱きつきたい誘惑を心から必死に引きはがす。

 同じく視線もシヤから外し、鍋の汁をぐるぐるとかき混ぜておく。


 鍋にシヤが混ぜてくれた卵をそっと、水流とは反対の回転になるように流し込んでいく。

 ゆっくりと鍋に入っていった卵は、下に沈んでからふわりとその黄色をたなびかせた。

 卵が浮かび上がってくるのと同時に、柔らかな布地のように繋がり幾層ものレースの紡いだドレスのようにまた広がっていく。


「こうやってぐるりとしてから卵を入れると、さらにふわふわになるんだよ」

「本当ですね。ふふ、美味しそうです。今度お昼の時に、私も作ってみていいですか?」

「わぁ、いいね! 楽しみだなぁ。あ、あとは余熱で大丈夫だからこれでおしまいだよ。シヤちゃん、お手伝いありがとうね。……えっとあとは、あちらの結果待ちなんだけど」


 そうつぶやき、つぐみはリビングの方を眺める。



◇◇◇◇◇



「なぁ、明日人。私達は仲間だ。三条、四条の枠を超えた仲間なんだ」

「そうですね。品子さん。だからこそ、僕は残念で仕方がありませんよ」


 そこでは品子と明日人が真剣な表情で互いを見つめ合っていた。

 もはや牽制けんせいしあっている。

 そう言ってもおかしくない状況にまで進んでいるようにつぐみには映る。

 この空気を変えようとしたのだろう。

 ためらいがちに惟之が口を開いた。


「……おい。品子、明日人」

「うるさい、たれ目」

「そうですよ、惟之さん。あなたはそこで、僕達が結論を出すのをいつもより目尻を下げて見ていればいいんですよ」


 明日人の『目尻を下げる』の使い方が明らかに間違っている。

 つぐみとしてはそうツッコミを入れたい。

 だが二人の殺伐とした雰囲気にのまれ、それをすることは許されないと言葉を飲み込む。

 ぱたぱたと足音を立てて、リビングからさとみが台所へとやって来た。

 そのまま自分の隣に居たシヤにぎゅっと抱きつき、つぐみを見上げ小さな声で伝えてくる。


『しなことあすとは、どうしてけんかをしているんだ? けんかはよくないぞ』

「驚かせてごめんね、さとみちゃん。あれは喧嘩というか、何というか……」


 怯えたように、彼らを眺めるさとみの頭をつぐみはそっと撫でる。

 こんな時にいつもなら止めてくれる存在のヒイラギは、タイミング悪く出かけてしまっているのだ。


「限界ですね。いい加減はっきりさせましょうか、品子さん」

「そうだな、私もそう思っていたところさ。なんせ、時間がきたようだからな」


 そう言って二人は、台所にいる自分達へと目を向けてきた。

 びくりとなるつぐみとさとみと違い、シヤはいつも以上に冷静な。

 いや、とても冷たい目で彼らを見ている。


「今日の! うたげは! 私の発動の進化をお祝いするもの! したがっておちゃんの権利は私にある!」

「それはそうかも知れません。でも僕だって今日、とても頑張りましたよ! お麩ちゃんの権利は皆、平等のはずです!」


 隣で小さくシヤがため息をついた。

 そう、この非常に残念な戦いは麩を巡ってのものなのだ。


 つぐみが品子から、今日の夕食を寿司にするという連絡を貰ったのが夕方。

 そこから慌ててお吸い物を、と作り出したまではよかった。

 帰ってきた皆を出迎えて、ふと棚を見れば。

 何と、麩の買い置きがなかったのだ。

 ストックであった、麩の数は九個でここにいるのは七人。

 つまりは誰か二人が、麩を二個食べられるということになる。


 当然一つは、さとみのもの。

 これは皆が一致した意見だった。

 では最後の一つは誰だとなった時に、この二人が名乗り出たのだ。

 そうして今、この状態に至っている。

 いや、至ってしまったと言うべきであろう。


「さとみちゃん。お散歩に行こうか?」


 シヤがさとみにそう声をかけ、さり気なくこの場から退場していく。

 では自分もと思い、つぐみはついていこうとする。

 するとさとみが、つぐみへと言うのだ。


『冬野。冬野がふたりのけんかを、やめさせるんだ』

「え? なぜ私が?」


 驚くつぐみに、さとみは続ける。


『まえにしなこが言っていたんだ。冬野はなかよしにさせる天才だって。だから冬野が、二人をなかよしにするんだ』


 びしりと指をさし、さとみはうんうんとうなずいている。

 それを聞いたシヤは、スマホをつぐみに掲げてたった一言。


「終わったら、連絡してください」


 そう言ってさとみを促して、出ていってしまった。


 ポツンと残されたつぐみは、品子と明日人を見る。

 どちらも笑顔だ。

 だが二人そろって目が、ちっとも笑っていない。

 今、仲裁に入ったとしよう。

 間違いなく先程の惟之のように、この二人に心を切り刻まれるのだ。

 それはつぐみとしては避けたい。


 ……仕方がない。

 ここまで来たら、最後まで見届けよう。

 そして、二人が冷静になったら話しかけてみよう。

 そう考えたつぐみは小さく息をつき、二人の結末を見守るのだった。

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