第240話 木津シヤは父を思う その3

 つぐみがリビングを覗くと、ちょうど明日人が清春きよはるの話をしている。


「……それでね、清春様がぐっと顔を近づけて来てね。確かこう言ったと思う。『さぁ、反省会の準備は出来たか』ってね。僕、まだ十歳くらいだったからさ。びっくりして何も言わなかったの。そうしたらさ」


 明日人は自分の頬をぐっと引き上げる。


「いきなりだよ! 『口がないのかお前』って言って僕のほっぺをさ、ぐいーって引っ張るの! 痛いのなんのって! それで声も出せずに困っていたら、すごい勢いでマキエ様がこちらに走ってきてね。清春様の背中をばしーんって叩いた後に、引っ張ってどこかに行っちゃったんだ。いやー、怖かったなぁ」


 あははと笑いながら明日人は話しているが、それを聞いたヒイラギとシヤの顔色があまり良くない。

 ふだん感情を出さないシヤが、ほんの少しだけ口を開き『うわぁ』と言いたそうな顔をしているのをつぐみは目にする。


「困っているシヤちゃん、ちょっと可愛いな。いや、ごめんだけどかなり可愛いわ」


 彼女がそばにいないのをいいことに、つぐみは思わず心の内をつぶやいてしまう。


 だが確かに気持ちはわかる。

 違う意味で知らなかった父親の、更には母親の意外な姿を知ることになったのだから。

 しかも明日人という、かなり予想外の人物から聞かされるという展開。

 さぞこの兄妹は戸惑っていることだろう。

 だが先程から部分的にしか話を聞いていないとはいえだ。

 このままではつぐみの清春に対するイメージが、『頬を引っ張る人』で固定されてしまいそうだ。


 そういえば一番に身近であるヒイラギは、どんな思い出があるのだろう?

 当時の彼の年齢からするに四、五歳といったところ。

 それならばある程度の記憶が残っているのではないだろうか。

 そう考えたつぐみは、彼に炊き込みご飯の茶碗を渡しながら尋ねる。


「ヒイラギ君は、お父さんとの思い出ってどんなものがあるの?」

「それなんだけど……。このご飯ってさ、誰かから聞いて作ってるんだよな?」


 目の前に置かれた茶碗を見つめながら、ヒイラギはつぐみに問い返してくる。


「うん、先生にお願いしてね。清春様の好きな食べ物を教えてもらって作ってみたの」


 思い出を話すなら、それを語りやすいように。

 そう考え事前に下調べをして、今日の料理は作っていたのだ。

 

『魚を使った炊き込みご飯。それと、どら焼きが好きだったって母さんが言っていたよ』


 つぐみの要望を品子は快く引き受けてくれ、すぐに品子の母に確認をしてくれたのだ。

 レシピが分かればもっと良かったのだが、そこまでは分からないとの事なのでつぐみなりに一生懸命調べ作ったものだ。


 彼らの大切な人が愛した大切な思い出のご飯。

 きちんと出来ていたらいいなとつぐみは思う。

 

「俺さ。父さんの膝の上に座って、このご飯を食べている父さんを見上げるのが好きだったんだ」


 ぽつりとヒイラギが呟く。


「大人なんだから当たり前なんだけどさ。その姿がすごく大きく見えてた。座った俺の背中と父さんのお腹とがくっついて、ぽかぽかと温かくてさ。だんだん気持ち良くなってつい、うとうとしちゃうんだよな」


 その時のことを、思い出しているのだろう。

 少し上を見上げる様にして、目を閉じたヒイラギが話す口調はとても柔らかだ。

 聞いているつぐみも、ふわりとした優しい気持ちで満たされていく。


「あ、何か私も覚えある! ヒイラギさ、清春様の膝でよく眠っていたんだよ」


 くすくすと笑いながら品子が間に入ってくる。


「それでさ。清春様に『お前、母さんの作ったご飯の最中に眠るとは何事だ』とか言ってヒイラギ起こされるんだけどさ。いっつもほっぺたをぐにーって引っ張られてよく泣いてたよなぁ」


 その時のことを、思い出しているのだろうか。

 楽しそうに語る品子とは対照的に、次第にヒイラギの目がうつろになっていく。

 あぁ、そしてやはり頬は引っ張られるのね。

 つぐみはそう思わざるを得ない。

 話題を振った自分としては、何だか気まずいものがある。

 ここは空気を変える方がいいとつぐみは判断する。


「そ、そうだ。私、料理の仕上げに戻ります!」


 つぐみは逃げるように台所へ向かうと、食後のデザートの準備に取り掛かる。

 事前リサーチ料理の二つ目、どら焼きを作るのだ。

 生地を混ぜ合わせ、ゆっくりとお玉ですくった生地をフライパンの中に入れ次々と焼き上げていく。

 焼きあがった生地の粗熱を取りながら、中に入れる具材の準備を進めていく。

 今日はちょっと奮発していい材料を仕入れている。

 ぜひ皆にはたくさん食べてもらいたいものだ。

 出来上がった生地にこしあん、クリーム、苺などをのせ、そっと挟み込んでいく。


「甘い匂いがすると思ったら、やっぱりどら焼きかぁ」


 後ろからかかる声に振り向くと、ヒイラギがお盆を手にこちらに笑いかけている。

 すっかりいつも通り彼の姿につぐみは息をつく。

 お皿に綺麗に並べておいたどら焼きを見て、ヒイラギが嬉しそうにこちらに近づいて来る。


「おぉ、いろんな種類のどら焼きを作ったんだなぁ。これはどれにしようか悩むな」

「そうでしょう? 全種類の制覇をしてくれてもいいからね。あ、じゃあ出来上がったものから運んでもらってもいいかな」

「おう、任せとけ! ん? その様子だとまだ隠し玉がありそうだな」


 まだ残っている材料を見て、ヒイラギがにんまりと笑う。


「さすがだね。でもまずは先に作ったものを皆の所へ届けてくれる? それを食べて待っていてくれるかな」

「了解。でも自分の食べる分の確保も考えておけよ。いつも人のことばかりだからな、お前は」


 そういってヒイラギはつぐみのおでこを人差し指でパチンと軽く弾いた。


「はーい、覚えておきまーす」


 くすくすと笑いながらつぐみは返事をする。

 それからもう一度二人で笑い合った後、ヒイラギは出来上がったどら焼きの皿を受け取り皆の元へと戻って行った。

 

 今は台所で一人だけでいるというのに、つぐみの口元に浮かんだ笑みは当分消えないようだ。

「自分の事を大切にしろ」と言ってくれる、思ってくれる人がいる幸せがそれをとどめているのを自分は十分理解している。


 この嬉しい気持ちを。

 温かく溢れてくる「感謝」と呼ぶこの大切な感情を。

 ささやかながら作っている料理に込め、皆に届けよう。

 そうしてつぐみは願うのだ。


 今の自分と同じくらい皆が。

 いや、それ以上に幸せでいてくれますようにと。

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