第104話 井出明日人は条件を出す

 どうしたら、ヒイラギを起こすことが出来るのか。


 食器を台所へと片付けながらつぐみは考える。

 当初は、明日人に依頼すればいいと思っていた。

 だが品子の話では、彼の治療でも難しいという。


「でもまだ、井出さん本人に話を聞いてない。私の推測を話したら、何かアドバイスがもらえるかも」


 何とか、話が出来ないだろうか。

 つぐみは、品子に尋ねてみることにする。


「先生。井出さんと一度、お話をしたいのですが」

「例のヒイラギの件だよね? 聞くだけ聞いてみようか?」

「はい、お願いします!」


 品子はスマホを取り出すと、電話をかけ始めた。

 しばらく話した後、通話を切るとつぐみに向けて笑いかけてくる。


「大丈夫だそうだ。明日の昼過ぎに、仮二条資料室のビルの方に来てくれるって。ただし、条件があるってさ」

「え、私にですか? 何だろう、条件って」

「あのビルの近くに、美味しいタルトの店があるらしい。そこに一緒に行くのならいいってさ。どうする?」


 ……タルト。


「先生。今、タルトって言いました?」

「うん。どうやら一人で行くのは、彼的には恥ずかしいらしいから、一緒につきあってほし……」

「行きます! 何があっても行きます! 私っ、タルト大好きです。しかも美味しいですって! 何で数日間も近所に通っていたのに、気付けなかったのだろう!」


 自分へのふがいなさに、つぐみは頭を抱え呟く。


「私としたことが! 不覚っ、何たる不覚!」

「……いや、冬野君。近所だからって、分かるものではないと思うんだけど」


 戸惑い気味の品子の声は、つぐみの耳には届かない。 


「何てこと! お昼は、抜いてもいいかもしれない。……いや、抜こう! 先生、私は明日はお昼なしでお願いします! 井出さん、昼過ぎって何時だろう。別に昼前でもいいのに!」

「あ、あの冬野君? 何だかいつもと、性格が変わって見えるのだけれど?」


 つぐみの様子に、品子の表情は固まってしまっている。


「何を言ってるのですか? いたって私はタルトですよ!」

「あ、はい。わかりました。……何か、すみませんでした」


 なぜだか品子が、謝ってきている。

 だが、それを気にしている場合ではない。

 自分は今から、明日に向けての調整に入らねばならないのだ。


「大丈夫ですよ、先生。お土産は必ず買って帰ってきます。先生には、チョコタルトですよね。お任せください! 必ず買って帰ってみせますとも!」

「あ、はい。わかりました。……よろしくお願いします」


 品子が戸惑っているのを、つぐみは全く理解していない。

 ヒイラギのことで落ち込んでいる。

 それゆえの対応なのだろうと、つぐみは思い込んでいた。

 ならば品子には、美味しいチョコタルトを届けよう。

 それで、元気になってもらうのだ。

 勘違いをしたままつぐみは、明日に向け早めに部屋へと戻るのだった。



◇◇◇◇◇



「なぁ、品子。今日の冬野君は何があったんだ?」


 惟之は問わずにいられない。

 午前中から、どうもつぐみの様子がおかしいのだ。

 具体的にどうとは言えないが、明らかにいつもの彼女らしさが消え失せている。


「あぁ。今日は昼から明日人と、タルトを食べに行くんだって」


 お気に入りの糖度満載とうどまんさいの缶コーヒーを飲みながら、品子が答える。


「それだけなのか? 何というか。彼女の体から、得体のしれないオーラが出ているぞ」

「どうやら彼女は、無類むるいのタルト好きのようだよ。昼食も食べないで、タルトの為にお腹を調整する位のね」

「だから何も食べてなかったのか。てっきりダイエットか何かだと。……まぁ、丁度いい。冬野君が出かけたら、少し話がある。時間は大丈夫か?」

「あぁ、問題ない。お、明日人から電話だ」

「来た! 井出さんが来たのですね! あぁ、この時を一日千秋の思いで待っていましたよ!」


 すさまじい勢いで、つぐみは自分の鞄を掴んだ。

 そうして机の上にあった荷物を、次々と豪快に放り込んでいく。


「ふ、冬野くん? 気を付けて、行ってくるんだよ」


 月並みな言葉すら掛けるのをためらう、いつもの彼女とはかけ離れた行動。

 惟之は送り出す言葉を掛けるので精いっぱいだ。


「靭さん、ありがとうございます! お土産は、必ず買って帰ってきます。靭さんには、きっとお店のおすすめタルトですよね。お任せください! 必ず買って帰ってみせますとも!」

「あ、はい。よろしく、……お願いします」


 壊れんばかりの勢いで扉を開き、つぐみは出ていった。

 ロケットのように、飛び出していった彼女の足音が次第に遠ざかっていく。


「なぁ、品子。俺の知らない冬野君が……」

「そうか、良かったな。お前が冬野君を、本当に大好きなのはわかった。だからとっとと、さっき言ってた話をしてくれ」



◇◇◇◇◇



「いた! 井出さーん!」


 ビルを出てすぐに、明日人の姿を見かけてつぐみは声を掛ける。

 スマホを操作していた彼は、つぐみに気づくとにこやかに手を振ってきた。

 白のカットソーに合わせたグレーのパーカーの姿はとても爽やかだ。

 これから大好きな、甘いものを食べにいくという喜びもあるのだろう。

 満面の笑みを浮かべ、明日人はつぐみを迎え入れてくれた。


 優し気な眼差しに中性的なある意味、可愛らしさすら感じてしまう顔立ち。

 そんな男性に正面から見つめられるのだ。

 少し見とれてしまっても仕方がない。

 つぐみは自身に言い訳をしながら、明日人を見上げた。


「こんにちは、つぐみさん。今日は付き合ってくれてありがとね」


 呼び方が、『冬野君』から『つぐみさん』に変わっている。

 距離が縮んだように感じられ、つぐみの口からは笑みがこぼれた。


「とんでもない! 私、知らなかったんです。そんな素敵なタルトのお店が、こんな近くに存在していたなんて!」

「品子さんから聞いたけど、タルト大好きなんだって?」

「はい! このために今日は、お昼は食べていません。心と体を清め、望む所存しょぞんです!」

「うわー、すごい気合いだね。僕も負けないからね」

「はい、よろしくお願いします! ともにタルトの道を歩みましょうね!」

「ははっ、なにそれー。つぐみさんらしいけどさー。さて、今日の本題に移っていいのかな? 聞きたいことってなあに?」

「はい、ヒイラギ君の件なんですが……」


 ヒイラギ自身が、目覚めたくないのではないか。

 その仮説を伝えてみる。


「ですから、ヒイラギ君の心に、直に訴える。これを、井出さんの治療で出来ないのでしょうか?」

「うーん、そう来るかぁ。品子さんから、僕の発動能力は何て聞いてる?」

「それが。自分は四条ではないので、井出さんの能力については話せないと言われました」

「あー、こういうところ品子さん律儀りちぎだね。……うん、いいや。教えてあげる。僕の発動名は「再生」。つまり治療で治すというより、肉体を元の姿に再生させているんだ。だから心の治療となると、僕は専門外なんだ。その、だから、……ごめんね」


 明日人は、うつむきがちにつぐみへと詫びてくる。

 

「そんな! 井出さんがそんなに、落ち込まなくていいのですよ! それにしても大丈夫ですか? 発動の能力を、私に話してしまって」

「うん、僕は別に困らないし。つぐみさんはそれを知っても、誰かに話すような人じゃないからね。それにしても、心の問題かぁ……。僕も何か、出来ればいいんだけど」


 明日人の声に、いつもの快活さがない。

 そのつもりは無かったが、自分の発言でずいぶん彼を落ち込ませてしまった。

 何とか話題を変えるべきだとつぐみは判断する。


「私が何か気づいたら、また相談させてください。ところでお店は、そろそろ着きますか?」

「あ、ナビで見る限りもうすぐだと思う。店のホームページにメニュー載っているから、今のうちに見て決めようか」


 明日人は自分のスマホを、つぐみへと向ける。

 鮮やかな色をした沢山のタルトの写真が、つぐみの目へと飛び込んできた。


「わぁ、凄い美味しそう。タルトが大きいサイズじゃなかったら二個、食べちゃおうかなぁ?」

「本当? じゃあ僕の分も含めて、四種類の食べ比べしない?」

「凄い! ナイスアイデアです。食べてみて美味しかったものを、皆へのお土産にしたいですね」

「季節限定メニューは、外せないよねぇ。せっかくだからもっと人を誘って、いろんな種類の食べ比べしたかったなぁ」

「そうですね。でも第二回を企画してくれたら私、参加しますよ」

「いいねぇ、それ決定ね。あ! つぐみさんの電話番号を聞いてもいい? 僕、まだ聞いていなかったや」

「そうでしたね。あ、あそこのお店ですよね! ではお店に着いたら、連絡先を交換しましょう」



◇◇◇◇◇



 戸世とせ黒金くろがね町にあるカフェ「あいらん」

 可愛らしい外観のこのお店は、確かに女性と一緒でないと入りづらい雰囲気のお店である。

 そんな店内でつぐみ達は。

 いや明日人が文字通り、頭を抱えていた。


 彼が、スイーツ好きなのは理解している。

 だが、ここまで困る問題なのだろうか。

 確かに、どのメニューも魅力的だ。

 正直、つぐみもこの中から二つだけを選ぶというのは大変だった。


「井出さん、私の二つの味もちゃんとシェアするので、そんなに悩まなくても」

「わかってる。でもやっぱり、選ぶの難しい」

「第二回目もすぐやりましょう! ね!」

「わかってる。……でも今日、食べたいのがいっぱい」

「井出さん、悩み過ぎて、日本語の能力すら怪しくなってきていますよ……」


 つぐみは解決する方法をと考え、一つの結論にたどり着く。


「井出さん。一つ提案があるのですが」


 十分後、つぐみ達の席に一人の人物がやって来た。


「にっ、二条にじょう所属、九重ここのえ連太郎れんたろうっ。同席させて、……いた、……頂きます」


 連太郎は呼吸を落ち着けようと、深呼吸を続けている。

 真っ赤に染まった顔には、汗がびっしりと浮かびあがっていた。

 必死に走って、ここまで来たのだろう。

 提案したつぐみとしては、何だか申し訳ない。


「一緒に食べる人が増えたら、食べれる種類が増やせますよ」


 などと安易あんいな発言をしたことを、今さらになって後悔する。

 明日人が自分の隣の椅子に座るよう促すと、連太郎はつぐみ達に一礼をして席に着いた。

 長めの前髪が、汗で張り付いているのを指で無造作にかき上げる仕草。

 走ってきた疲れの為か、伏せ目がちに行うその姿に周りの女性からの複数の視線を感じる。


 

 きりりとした成長期の少年。

 そして、かわいいほわわんおっとりとした成人男性。

 つぐみとしては、この二人と一緒に居る自分に対する女性の視線が、……辛い。

 そんな視線など全く動じない明日人は、のんびりと連太郎に話しかける。


「来てくれてありがとね。連太郎君。ところで君は、甘いものは平気だったかい?」

「あ、はい。自分は甘いものは結構、好きです」

「そう! じゃあさ、この今月限定のシャインマスカットのタルト。これを、シェアしてくれない? 僕、どうしても食べたいんだぁ」

「わかりました。楽しみです」


 連太郎はようやく、にっこりと笑う。

 前回、つぐみに本屋に同行した際にはなかった温かな笑顔。

 思わずつぐみはにどきりとする。

 以前は口調こそ柔らかかったものの、護衛も兼ねているという緊張感もあったのだろう。

 きりっとした顔立ちに、獲物を狙うかのような鋭い印象を与える目には、凛とした美しさすら感じたものだ。

 そこから一転してのこの笑顔。


「……こ、これがギャップ萌えというものなのかしら?」

「ん? つぐみさん。何か言った?」


 明日人の声かけにつぐみは、はたと我に返る。

 つい一人で思考の世界に入り込んでしまった。

 二人に詫びて、改めて連太郎を見る。

 甘いものが好きと言うのは、本当のようだ。

 メニューの写真を見ているその姿は、とても嬉しそうに見える。


 十数分後、つぐみと明日人が先に頼んでいた四つのタルトが届いた。

 その量に連太郎が驚いているのを見て、つぐみと明日人はニンマリと笑う。

 その後にきた彼のタルトと合わせ、合計五個のタルトを皆で分け堪能していく。

 そしてそのタルト達は、満面の笑みの二人を。

 さらに小さきながらも、嬉しそうな笑みを浮かべた少年を作り上げていくのだった。

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