第229話 冬野つぐみは思いを語る

 静かにふすまを開け、品子と共につぐみは和室へと入っていく。

 八畳の大きさのこの部屋は、今は何も置いていない。

 しんとした静けさもあいまって、いつもより広く感じてしまう。


 品子は部屋の奥にある押し入れに早足で向かうと、座布団を二つ取り出した。

 それを部屋の中央で向かい合わせに敷くと、つぐみに座るように声をかけてくる。

 心なしか、その距離はいつもより少し離れているようだ。


 寂しいと感じてしまい、座る前に座布団を少しだけ品子の方に寄せてみる。

 その様子を品子は、硬い表情のまま見ているだけだ。

 自分に対して品子は緊張している。

 そんな印象を抱きながら、座布団に座ると品子は話を始めた。


「なんだか二人きりって、ある意味さぁ。照れるんだけど。まぁ、今回は惟之の配慮に乗っかりますかね」


 品子に話があると言われた時。

 そばで聞いていた惟之から、二人だけで話をしてくるようにと促されたのだ。

 改めて品子を見つめたつぐみは、ふと思いだす。

 この部屋で自分もかつて、ヒイラギとシヤにとても大切な話をしたことを。

 冬野家の家庭の事情、そしてここに自分をおいて欲しいと願ったことをだ。


 二人はつぐみの話をきちんと聞いてくれた。

 自分の全てを受け入れてくれた。

 その事実がどれだけ嬉しかったか。

 どれだけ感謝したことだろう。

 今でも思い返すだけで、心の奥からじんわりと温かい気持ちが溢れてくる。


 だからこそ気付く。

 その時の自分と今の品子は、同じなのではないか。

 何かを話し、受け入れて欲しいと願っているのではないかと。


 ならば自分は聞こう。

 彼らがそうしてくれたように。

 かつて自分を知ってもらいたいと願ったように。

 きっと品子もそう思っていると信じて。



◇◇◇◇◇



「今日の会話でまぁ、大体は君のことだから察してくれているとは思うんだけど」


 普段よりも少しだけ、小さな声で品子は語り始めた。    

 自信がなさそうに、うつむきがちに小さく笑うと言葉を続ける。


「今日、私は新たな発動を得た。いや、正確に言えば持っていた能力が完全なものになったと言った方がいいのかもしれない。かつて君にも使った人を魅了し、操る力。あの当時は発動をこう呼んでいた。……『妖艶ようえん』と」


 ゆっくりと、品子は言葉を積んでいく。

 積み重なったその言葉達の、一つ一つが崩れていかないように。

 まるで話した言葉で自身の存在が揺らがないようにと、恐れているかのようだ。 

 心にまだ迷いが残っている。

 そうつぐみには感じられるのだ。


 『妖艶』という言葉で、出会った当初の出来事を思い出す。

 二度目に向かった研究室。

 そこで髪を解いた品子の姿に見とれて、動けなくなった自分。

 あの時にその『妖艶』という発動を使われたということなのだろう。

 髪を解く時に品子は一度、小さくため息をついていた。

 この発動を使いたくない。

 その気持ちのあらわれだったのだ。


 今、品子が抱えている迷い。

 これは『妖艶』を、つぐみに使ったことに対する罪悪感からだろうか。

 それとも……。

 ――踏み込むべきか、引くべきかとつぐみは迷う。

 そうして自分が出した答えは。


「先生は、私に何か恐れを抱いているのですか。だとしたら」

 

 踏み込む、だ。

 両手を畳につけ、ぐっと品子に向けて身を乗り出す。

 急に近づいたことに、驚いたのだろうか。

 品子は小さく口を開きかけたが、すぐにきゅっと口を閉じ直した。


 上手く言葉に出来なくてもいい。

 たどたどしくなるだろうが構わない。

 自分の素直な気持ちを、聞いてもらうのだ。

 そう願い、つぐみは品子へと語り始めた。 


「どうか私を信じて下さい。私は先生に出会い、背中を押されて今ここにいます。いいえ、ここにいられるのです」


 人に対し気持ちを伝え、聞いてもらう。

 かつての自分ならば決して出来なかったこと。

 いや、違う。

『しなかったこと』だ。

 兄を恐れるあまり感情を殺し、人としてあるべき姿を今までしてこなかったのだから。


 だけどそうではないのだと。

 自分を認めていいのだと、つぐみは知ったのだ。

 そしてそれは、品子が教えてくれたもの。

 これはつぐみの胸の内で決して消えること無く灯り続ける、大切な心の宝物。


「そして間違いなく言えるのは。先生達に出会えていなかったら、私はずっと一人で。ずっと、どうしたらいいのかも分からないままでいたと思うのです」


 それはきっと、生きているとは言わない。

 ただ息をし、心臓が動いているだけの『モノ』だ。 


「私を認めてくれました。私を必要としてくれました。私に……」


 品子の目が、大きく見開かれる。

 つぐみはそれを見つめたまま、瞬きをする。

 ぱたりぱたり。

 小さな音を立てて、畳の上に小さな雨が二粒だけ降った。


「私に。生きていても良いのだと、教えてくれました」


 ……なぜ、自分は泣いているのだろう。

 悲しい、嬉しい、怖い、ありがとう。

 一度にあふれてくる感情。

 これらをどう伝えたらいいかわからず、目を閉じる。

 傾けていた体を元に戻すと、そっと自分の胸に両手を当てる。

 胸の中の灯に、心を委ねてみる。

 そうして出てきた答えを伝えるため目を開き、つぐみは前を向く。


「だから私を助けてくれた自分に失礼ですよ。私は先生が大好きです。どうか私にもっと先生のことを話して下さい、教えて下さい。私はそう願います」 


 その言葉に品子の顔が、みるみる真っ赤に染まっていく。

 あぁ、これはあの時の同じだ。

 研究室で発動を受ける前に、自分の掛けた言葉を聞いた時と一緒の反応だ。

 あのときは、先生に何と言っていただろうか。

 あぁ、そうだ。確か……。

 小さく笑みを浮かべ、つぐみは思い返していく。


『先生が少しでも普通でいられるように、手伝いたいと思っていますっ! 理由は以上です!』


 うつむきながらも、そう言っていた自分。

 品子が穏やかに過ごしてくれるように。

 今もつぐみはこの気持ちに全く変わりはない。


 あの時から大きく変わったことは。

 真っ直ぐに相手に対し、伝えることが出来るようになったことだ。


 品子が、ゆっくりとつぐみへと近づいてくる。

 そのままそっと腕を回しつぐみを抱き寄せてきた。

 

「せんせ……?」

「どうかこのままで聞いて。あと、もし出来るのならば。君も私を……、抱きしめて欲しいんだ」


 断る理由などない。

 つぐみも品子の背中にそっと手を回す。


「うん、ごめんね。……ありがとう。もう少し勇気が出るまで、このままで話を続けさせて欲しいんだ」


 そう話す品子の手は、少し震えている。


「私の。……私の発動を、君に話さなかったこと。その理由を今こそ君に」 


 品子の呟きと共に、抱く腕に力が込められる。

 それに対しつぐみはそのまま体を委ね、小さくうなずいてみせた。

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