第384話 松永京は伝える

井出いでさん、時間が惜しい。可能であれば最低限の治療で済ませていただきたいのだが」


 里希さときの要望に、明日人あすとは困り顔で答えてくる。


人出ひとでさんを早く助けに行かねばならない。そうお考えになる気持ちは理解できます。しかし……」

「わかっているはずだ。あなただって、あの人をこれ以上危険な目に……」


 言葉を遮るように、明日人は里希の左腕へと手を伸ばしてくる。


「分かりました。では、お話をしながら治療をするということでいかがでしょう?」


 この男は、何を言っているのだ。

 いらだちを見せる里希に、明日人は冷静な口調を崩すことなく続ける。


「私もそうですが、蛯名えびな様もまだ把握していない情報もあるのでは? それを知らずに向かうのは少々危険ではないかと」


 明日人は、松永まつなが緋山ひやまへ視線を向ける。


「彼らから、今までに入手した情報を確認しておく。その為の時間も必要ではないでしょうか」

「確かにその通りですね。この後の行動においての、目安にもなるでしょうから」


 重苦しい空気を変えるように、緋山が大きくうなずいてくる。


「あの、それでですね。提案をしておいた自分が言うのも、心苦しいのですが」


 申し訳なさそうに、明日人は自分達を見つめてきた。


「私は治療に集中したいので、話は聞くのみになると思います。意見を求められた際には、答えるようにはいたしますので」

「かまいません。そのために、あなたに来てもらっているのだから」


 里希に続き、緋山が言葉を続ける。


「蛯名様の言う通りですね。井出様は治療を第一優先にすべきですもの」


 緋山からの賛同は来たものの、いつもならばすぐにあるはずの、松永からの反応がない。

 彼へと目を向ければ、真剣な顔つきで、何やら考え込む様子を見せている。

 だが里希の視線に気づくと、たちまち表情を笑みへと変え、機嫌よさそうに口を開いてきた。


「いやぁ、私も井出様の意見に賛成ですね。情報は多いに越したことはありませんから。里希様も、耳の穴かっぽじってよく聞いてくださいね~」


 あるじに対してとは思えない松永からの言葉に、緋山と明日人が驚いた様子を見せる。

 絶対忠誠を誓うこの男が、他人の前で里希をおとしめることなど、まずあり得ない。

 もしそれがあるとするならば、彼らに知られることなく、自分にのみ伝えたいことがあるということ。


 『口を開くな』


 松永の意図はそんなところか。

 ならば自分は、彼がそれを行いやすいようにするだけ。

 へらへらと笑っている部下へと、里希はいまいましげな表情を作ってみせる。


「今の発言は、誰に対してのものなのか。それが私には理解できないのだが」

「まっ、松永さん! 蛯名様もいろいろとお疲れですのに、そんなひどい言い方をなさらなくても」


 緋山が慌てた様子で、自分達を仲裁しようと駆け寄って来る。


「……私も井出さんと同様に、治療に専念する。必要な問いがある時のみ、声掛けをいただきたい。お二方もそれでよろしいだろうか?」


 静かに、それでいて怒りを隠さない口調で語れば、おずおずと緋山がうなずいてくる。


「あっ、はい! わかりました。井出様もそれで……」

「えぇ、構いません」


 穏やかに答える明日人に、緋山が安堵の表情を見せる。


 今回の件において、一条の失態であることはすでに彼らも知っているはずだ。

 長の息子である自分の言葉が今後、他者にどう捉えられるのか分からない今、発言は控えた方がいい。

 

 とはいえ、こちらの欲する情報を手に入れるためには会話が必要だ。

 失言をする人間ではないという自負は、もちろんある。

 だが今はただ、自分は黙していればいい。

 そんな里希の耳に、松永の弾んだ声が聞こえてくる。


「んじゃ、緋山さんと僕だけで楽しいトークしちゃいましょうかねぇ。あ、そうそう! 浜尾にも伝えたいので、スマホの使用をお許しくださいね~!」


 まるでカスタネットのようにスマホを両手で挟み、三度軽く叩きながら「報・連・相!」とふざけた調子で松永は緋山へと話しかけていく。

 そんな彼の姿に、緋山はつられるように笑みを浮かべた。

 彼女の反応に満足そうな表情を見せつつ、今度は明日人へと松永は顔を向ける。


「も・ち・ろ・ん! 井出様からのご質問も受け付けちゃいます! ちなみに聞かれると思うので先に答えますが、好みのタイプは俺に味噌汁を作ってくれる人、あとはお姫様抱っこが好きな人ですね」


 松永の発言に、明日人はぽかんとした表情を浮かべていたが、やがてくすくすと笑いはじめる。


「もう、まだ何も聞いてないではないですか。松永さんは、やはりいつも面白いですね」


 表情を緩めた明日人の姿に、松永は満足そうな顔を見せている。

 賑やかな三人の様子を聞きながら、うつむく里希の口元にも、小さな笑みが生まれていく。


 そう。

 後はこの男に任せ、自分は見ているだけでいい。


 人の機微を読み、情報を手に入れること。

 松永という男は、何よりそれに長けているのだから。

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