第222話 蛯名里希は謝罪を求める

「え? 明日人? 今、君は……」

「そ、そんなに驚かれると思いませんでした。何ならもう一度、言いましょうか?」


ゆい


 治療発動者の能力の一つ、とは品子も聞いたことがある。

 明日人は『行う』と話してくれたが、品子は名前とそれにまつわる噂しか知らない。

 その噂とて、実行のためには対象者と治癒発動者との間に様々な条件が必要であり成立させるのはとても難しいというとても曖昧あいまいなものだ。

 上級発動者である自分ですら知りうるのはその程度のもの。

 その『結』を彼は実行しようと言ってくるのだ。

 

「もちろん今からすぐに『さぁ、やりましょう』なんて言うわけではないですよ。今はまだ、僕の希望というか、宣言みたいなものですかね。この『結』にはなにせ条件がいろいろとありますので。もう少し準備をしてからになるでしょう。皆さんともっと互いに気持ちを知り、通わせることが出来たらお願いしようと思っています」


 明日人はそこまで言うと、ふぅと小さく息をつき両手で顔を覆う。


「あー、やっぱりこれは恥ずかしいや。自分で言うのも何ですが、最近はとても僕らしくない言葉や行動ばかりをしていますから。昨日もヒイラギ君が言っていましたね。『心がだだ洩れ』だって。やっぱりつぐみさんの影響かなぁ?」


 手を下ろし、品子を見つめる明日人の頬はほんのりと赤い。

 そんな明日人に品子はにやりと笑ってみせた後、思い切り抱き着いていく。


『気づきを促す』なんてことはしなくてもよかったのだ。

 同じ思いの自分の姿を見せるだけで、きっと彼は理解してくれる。


「え? ちょっと品子さん? ど、どうしたんですか?」

「ふふふ、あーすーとー! ……楽しいね。大好きな人達と一緒に居て、その人達のことを思えるってさ」


 そしてそれが、自分だけではないと知れたこともだ。

 品子は再び腕に力を込め、もう一度つよく明日人の体を抱きしめる。

 くすり、と微笑む声がした後、彼は小さな声で自分に「はい」と返事をしてくれた。

 


◇◇◇◇◇


 

「……以上が、吉晴きはる様よりの言伝になります」

「そう、ありがとう。確かに伺ったと蛯名えびな様に伝えてくれるかしら」


 高辺に答えながら、品子の母は穏やかに笑むとソファーから立ち上がった。

 同様の表情をこちらに向け、高辺が里希の後ろへと控えるのを見届ける。


「はい、承りました。では私はこれにて失礼いたします。ところで、里希様はどうしてこちらに?」


 うかがうように高辺が、里希を見つめている。

 彼は、何と答えるのだろう。

 返答次第によっては、こちらもそれなりの発言をしていかねばならない。

 そう考える自分を、里希がゆるりと見つめ返してくる。


「僕? 僕はただ人出様に、ちょっとしたお話と……」


 語りながら彼は立ち上がる。

 同時に手のひらをかざすと、素早くこちらへと振り抜いてきた。


 ――そう。

 貴方の答えは、元気な姿を高辺さんに見せたいという訳ね。

 いいのではないかしら。

 先程の品子ちゃんと同じ左頬を狙っているのが、少し気に入らないけれど。


 自らの意図を示さんと品子の母は動く。

 静かに半歩、右へ。

 さらに体を半分回転させる様にして彼の発動をかわす。

 直後、何かが割れる音が部屋に響く。


「……あらまあ。修繕費は三条うち一条そちらかどちらが負担するのかしら?」


 のんびりとした口調で伝えた言葉に返事はない。


 さっきは品子ちゃんに、あんなことしたんだもの。

 ちょっと強めに私も『引っ掻いて』しまおうかしら。

 そう考え、改めて里希達へと向き直る。


 里希と話をしていた時にも感じていたのだ。


 ――どうも『あなた』が気に入らないみたいなの、私。


 自分に浮かぶ考えと笑みを感じながら、品子の母はふわりと腕を上げ発動の為の集中を始める。

 

「里希様! 何という事を!」


 叫び声が響く。

 掲げていた腕を止め、声の主を見やる。

 そこには蒼白な顔をして、両手で口元を覆っている高辺の姿。

 叫ばせた主である里希は、彼女に向かいにこりと笑うと口を開いた。


「どうしたの? 高辺さん。僕はね、ただお話をしていただけ。そうしたら、人出様の横にさ。……虫がいたんだよ。だからね、邪魔だったから片付けようとしたんだ。ほぅら、人出様は怪我も何もしていないでしょう? ただの虫退治だよ」

「ですが! 今の行動は、明らかに……」

「心配してくれてありがとう、高辺さん。里希さんがそうおっしゃるのなら、きっと私の頬にでも虫がついていたのでしょう」

 

 言葉と共に腕を下げ、後ろを振り返る。

 発動の際の衝撃で、飾り棚のガラスは飛び散っていた。

 中にある調度品ちょうどひんの一部がかろうじて棚に引っかかり、ぶら下がったまま部屋の照明を受けゆらゆらと光を跳ね返している。

 廊下の方からは、こちらに駆けつける職員の足音が近づいて来るのが耳に届く。


「あらあら、お片づけをしなくてはいけないわね。里希さん、高辺さん。申し訳ないのだけれど、ご覧の通りよ。今からこちらはお掃除の時間になるわ」

「そうですね。そろそろ僕もおいとましようと思っていましたから、丁度よかったです。高辺さんはもう用事は済んだのかい?」


 彼の問いかけに、冷静さを取り戻した高辺が笑みを浮かべ答える。


「えぇ、私の用件はすでに終えておりましたので。ですが人出様。そのお掃除、よろしければ私も……」

「なんで? ここで起こった事なんだから一条ぼくたちは関係ないでしょ? むしろこちらに『お騒がせをしまして、誠に申し訳ありませんでした』くらい言ってもらってもいいくらいだよ。……ねぇ、人出様?」


 里希がぎろりと鋭い視線を向けてくる。

 その様子に高辺は言葉を失い、自分へと視線を向けてきた。


 確かに彼の言う事には一理ある。

 なぜなら自分は、この流れを変える必要があるからだ。

 彼の言う通り、二人には早くこの部屋から退出してもらいたい。

 ならば、今すべき一番正しき行動は……。

 品子の母は二人に向かい、先程の彼の要望通りの言葉を返す。


「お騒がせをしまして、誠に申し訳ありませんでした」


 背筋を伸ばし、両手を前に揃えゆっくりと頭を下げていく。

 しばしの後、聞こえてきたのはこらえきれないと言った笑い声。


「ふふっ、あははっ! ねぇ、見た? 高辺さん」


 ゆっくりと頭を上げて、前を見据える。

 そこには嬉しくてたまらない、といった表情を見せて里希が笑っている姿があった。


「さぁて。じゃあ帰ろうか、高辺さん。では、人出様。実に楽しい時間をどうもありがとうございました」


 悠揚たる物腰で一礼をすると、彼はそのまま振り返りもせず部屋の出口へと向かっていく。

 その後ろ姿を戸惑った様子で高辺が見つめ、自分に向かい何か言いかけたその時。


「高辺さん、もういいでしょう。早く帰ろうよ。ここは実につまらない所だからね。それとも何? 高辺さんも、……つまらない人間なの?」


 背を向けたまま話す彼の呼びかけに、びくりと高辺は体をすくませる。

 やがて彼女は、小さく「失礼します」と言って、足早に彼の後を追って部屋を出て行った。

 ぱたりと閉まるドアの音を聞いてからしばらくして、この部屋に残っている唯一の人物に品子の母は声を掛ける。


「もう、大丈夫ですかね? 井藤さん」

「はい、よろしゅうございますよ。先程はあまり時間を作ることが出来ずに申し訳ありませんでした」

「……どのあたりから、彼女には『見学』されていたのかしら」

「品子様がお部屋に入られる前までは恐らくは心配は無いかと。誠に申し訳ありません。私の力が及ばず、入室を許してしまいました」

「……いいえ。彼女のお相手は大変だったでしょう? おかげで少しだけですが、彼を知る時間が出来ました」


 閉ざされたドアを眺め、里希の訪問の理由と会話を思い返す。

 短い時間とはいえ、彼も自分も少しだけ事実を知ることが出来た。


 この得られた情報を、お互いどう使っていくか。

 そして彼は、どう切り込んでいくのであろう。


 ……何よりまず、自分の今後の行動を考えねばならない。


 まずは『あの人』と相談する必要がある。

 これから片付けで騒がしくなるここで、落ち着いて話など到底できまい。

 そうなると、場所は自宅が一番いいだろう。

 結論を出し、井藤へと声を掛ける。


「私は帰ります。井藤さんも今日は疲れたでしょう。この部屋の処理が済んだら、もう帰って下さいね」

「承りました。今からあの方と『お話し合い』ですか? ご機嫌が悪くないといいのですが」


 里希から示された話の内容が、穏やかなものではないと察した井藤からの言葉に小さく笑いを返す。


「本当に。さて、お相手のご機嫌はどうかしらねぇ」


 目を閉じて、その相手の『様子』をうかがう。


「……あらまぁ、相当お怒りだわ。きちんとお話が出来るかしら」


 里希からの情報は思った以上に、相談相手を興奮させてしまっている様だ。

 自分が家に着くまでに、十分ほどかかる。

 冷静になるには丁度いい時間であろう。


「たしかまだ家に、あの人のお気に入りのお菓子が残っていたわね」


 一度それで、怒りを鎮めてもらうとしよう。

 そのお菓子と同じ位、柔かい心になってもらわないと。

 少し後に行われるであろうお茶会と相談会の行方を考え、品子の母は家へと向かうのだった。

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