第246話 笹の葉は如何様に揺れるのか その5
ヒイラギの目の前では、傍らにいる少女にされた注意など気にすることなく、『織姫』が嬉しそうに手に持った扇を揺らしている。
その織姫の衣装を一回り小さくした赤色の衣装をまとった少女、シヤはため息をつくとこちらに向き直り口を開いた。
「つぐみさん、兄さん。ここまでお疲れ様です。ですがあなた方にはこの人を説得して仕事に向かわせる必要があります。大変でしょうがお願いします」
「はいっ! 応援ありがとうね、シヤちゃん。私、頑張るからっ! あとね、その服すごく似合ってて可愛いよ!」
その言葉にシヤは少しだけ驚いた顔をして、頬を染めうつむいた。
その隠した口元には、とても小さな弧を描いているのだとヒイラギは気付く。
――嬉しいなら嬉しいって、もう言ってもいいんだけどな。
今のお前はもうそれを許されているし、ここにはそれを
ヒイラギはそう思えるきっかけをくれた隣の人物を見つめる。
そのつぐみはシヤの声掛けで、新たな気合が入った様子だ。
ぐっと力強い表情を見せると、品子の前までやって来るとペコリと一礼をする。
「織姫さん、どうか皆のために
「へぇ~、そうなんだぁ。えらいねぇ、彦星は」
「そうです。だから織姫さんも同じようにお仕事をお願いします!」
「え~、だってここにいたら別に仕事しなくていいし。のんびりしてても誰も何も言わないし~。働くの嫌いなんだよねぇ、私」
見事なまでに品子と織姫がリンクしている。
いや、そこまでいったら織姫に悪い。
惟之の時と違い、つぐみの素直なお願い攻撃は品子にはきかないとヒイラギは悟る。
とりあえずは選手交代だ。
困った様子のつぐみの肩を叩き、今度は自分が品子の前に出る。
「おい、品子。冬野を困らせるな。お前が仕事をすると決めればすべて解決なんだよ。さっさと働きます宣言しとけよ」
「えー。なんかお願いする人が偉そうですぅ~。そんな言われ方したら織姫ってば、怖くて仕事でーきーまーせーん」
「おい、怖がっている奴がいちいち語尾を伸ばすかよ」
ヒイラギはちらりとシヤを見るが、無表情のまま自分を見ているだけだ。
一応は織姫の侍女だから、主には逆らえないのだろう。
つぐみのお願いも、今回ばかりはきかない。
言えば聞きそうなシヤも、こちらに手を貸せないのだ。
惟之を連れてきたところで、話を聞くことはまずありえない。
明日人もこの部屋までは入ってこれないと言っていた。
これは万策尽きたのではないか。
まずはつぐみに相談しようとヒイラギは口を開く。
「なぁ、冬野。このままでは
「そうだねぇ。実はすごく困ったら唱えなさいっていう奥の手の呪文を聞いてはいるんだけどね」
「なんだよ! あるならそれ使えよ!」
「うん、でも一回だけしか使えないし、ものすごく強大な力なんだって。私、なんだか怖くて」
強大な力か。
少し不穏ではあるが、このまま話が進まないのも困るのだ。
「ならばやはり使うのは今だろう。織姫が終わればミッション完了だろう? 俺が責任を持つ。だから遠慮なく使え」
まぁ責任と言っても何かあったら、シヤとつぐみを連れて
もちろんヒイラギは、品子は諸悪の根源なので置いていく気満々である。
「うん、わかったよ。じゃあ、始めるね」
つぐみは目を閉じて何かぶつぶつとつぶやき始めた。
一体どんな呪文だろう?
好奇心にかられヒイラギは聞き耳を立ててみる。
「オスシガスキデス。デモタルトノホウガモットスキデス。オスシガスキデス。デモタルトノホウガモ……」
「え、何だよ、これ? これが呪文とやらなのか?」
だが彼女がその言葉を唱え始めて間もなく、遠くから何かが近づいてくる音がする。
これは足音だ。
裸足で床を踏みしめているぱたぱたという音がこちらに真っ直ぐに向かってきている。
その音はこの部屋の前でピタリと止まった。
ヒイラギ達は、息を殺して扉の向こうの相手の様子をうかがう。
ガラガラと音を立てて扉が開いた。
シヤよりも更に一回り小さな濃紫の衣装を着た少女が、ぺたりぺたりと足音を立てながらゆっくりと部屋へ入ってくる。
「はあ〜ん。なにこれ! シヤも可愛かったけど、さとみちゃんも超カワイイっ!」
品子の叫び声が響く。
そう、部屋に入ってきたのはさとみだった。
ショールのような白く長細い布を肩からふわりと掛け、それを両手でさわさわと握りながら歩いてくる様子はとても可愛らしい。
部屋にいるシヤを除く全員がへらりと笑っている。
そんなさとみは品子の前までやって来ると、胸の前で両手のこぶしを握りしめる。
ぐっと品子を見上げながら、さとみは元気に語り出した。
『てんてぇのっ! ことば、……だぞっ!』
さとみは天帝という立場。
つまりはこの国で一番偉い人物ではないか。
驚くヒイラギの目の前で、小さな帝は品子をじっと見据えている。
見つめられているのが、品子にとっては嬉しくてたまらないのだろう。
目尻を限りなくでれっと下げている。
力強く子供とは思えない眼差しを向け、少女は再び話し出した。
『しごとをしない、しなこは、きらいだ』
その一言に、品子はまるで雷にでも打たれたかのような顔になる。
『だからもう、ぎゅっもしていけないし、なでなでもだめだ』
言葉の威力に品子は動けなくなっている。
「言葉だけでここまで出来るのか。さとみちゃ……、いや違ったな。さすがは天帝だ」
ヒイラギは呟かずにはいられない。
『でもこれからきちんとするのな……』
「しますします! 何が何でもお仕事します! 私、お仕事がだーい好きですぅぅぅぅ!」
ガチ泣きだ。
泣きながら品子がさとみに
『泣くな、しなこ。きちんとしごとすればいっしょにあそんでやる』
「うううっ、頑張りますぅ。だからこれからも遊んでくださいぃぃ」
大の大人が子供に頭を撫でてもらって泣いている。
こんな子供に見せてはいけない七夕の話などあっただろうか。
いや、別にこれを子供が見るわけでもないのだが……。
そんなことをヒイラギが考えていると、ぽうっと自分の体が光り出す。
驚いて周りを見れば、ヒイラギだけでなく皆の体が光っているではないか。
彼らも同じように、自身の体が光り出したことに戸惑ってる様子がうかがえる。
「な? 何が起こっているんだ?」
混乱の中、光はどんどん明るく広がっていき目が開けていられなくなる。
「……あぁ、そうか。織姫が働くと誓ったから、俺達の使命が果たされたんだ」
これで自分はお
眩しさを感じながら、ヒイラギは以前にもこんな感覚があったことを思い出す。
自分が光り出し、眩しくて目を閉じて……。
そうだ、つぐみの肩代わりでヒイラギが眠っていた時に沙十美の力で違う世界から自分は……。
つまりここは沙十美が作った世界なのだろうか。
考えられるのはそこまでだった。
閉じたまぶたの世界の中にも光が満ちていく。
誰かにふわりとまぶたの上を優しく撫でられるような感覚。
そのあまりの心地良さに力を抜くと、ヒイラギの意識は静かに光の中に溶け込んでいった。
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