第284話 その男は提案する
「楽しい遠足だねぇ。弁当でも持ってこれば良かったかなぁ?」
浮かれた様子で、つぐみの後ろにいる男が話しかけてくる。
だがその言葉に反し、自分の背中には銃が突きつけられたまま、『楽しい遠足』は続いているのだ。
つぐみの少し前を、里希は振り返ることもなく黙って歩き続けている。
謎の男はここの地理にも詳しい様子で、後ろから二人に進むべき方向を示していく。
緩やかだった道は、次第にきつめの坂へと変わってきていた。
そうして五分ほど進んだ頃。
目の前の道は途切れ、開けた場所へとたどり着く。
ここは浜尾が言っていた『崖』に違いない。
地面の途切れた先は、深い谷が待ち受けていることだろう。
つぐみはそれを見るまでもなく理解する。
「やぁやぁ、お疲れ様。ちょっと大変なハイキングだったけど、高い場所だけあって景色は抜群だね。さて蛯名様。もうお分かりだと思いますが、あなたにはここから飛び降りてもらいたいんですよ」
その言葉に、里希はゆっくりと振り返る。
「どうして僕が、そんなことしなければいけないの?」
「もちろん素直に落ちてくれるなんて思っていませんよ。だから条件をつけましょう」
つぐみの背中に触れていた銃口が離れていく。
「あなたがそこから飛び降りてくれたら、彼女をこのまま見逃しましょう。どうです、なかなか悪くはない提案だと思うのですが?」
「僕があそこから落ちたあとに、彼女に危害を加えないという保証はない。それなのに?」
「まぁ、聞いて下さいよ。俺、ちょっとあなたに興味が湧いてきたんです。あ、お嬢さん。今から君の生存率を上昇させてあげる。だからこちらを振り返らないようにね」
相手の提案につぐみは戸惑いの表情を浮かべ里希を見つめる。
彼が小さくうなずくのを見届けてつぐみは口を開く。
「わ、分かりました。このままでいればいいのですね?」
震え声のつぐみに男からの返事が来る。
「そうそう。理解が早い子はきっと長生きできると思うよ。それでですね、蛯名様。依頼主のご希望が『あなたが
「あえて『不慮の事故』なんだ。どうせばれることだろうに」
「あなたからしたら、お相手が単純な方が扱いやすくていいのではないですか? これを機に、俺の依頼主を潰せるな位は思ってるでしょうし」
男の言葉を聞き、里希の顔に生まれたのは笑み。
「まぁね。捕まれるような尻尾なんぞを持つ存在なんて、上に立つべきではないと僕は思うから」
「いいですねぇ、その考え方。そこで俺からの提案です。あなたのことだ。ここから落ちたって、ある程度の怪我はするだろうけど死なないでしょう? 俺はあなたが落ちるのを見届ける。そしてそれを依頼主に報告したら、報酬を貰ってさようなら。戻ったあなたは依頼主を
示された提案に、里希は目を伏せ考え込む仕草をみせている。
「……ならば、彼女の扱いは?」
「あなたが身を
再びつぐみの背に銃が付きつけられる。
「このままだったら、俺は彼女を撃ちますよ。あそこから少し離れたとはいえ、まだ発動は使えないでしょう? さて、どうします」
「……本当にあなたは物知りだね。今の僕の発動としては」
里希がつぐみに向けて、手のひらをかざしてくる。
三メートルほど離れたつぐみの顔を撫でるように、わずかな風が吹いてきた。
極度の緊張の為だろうか。
そんな緩やかな風にすら、目まいを覚えつぐみは強く目を閉じる。
「彼女にこの程度の風を送る位しか出来ない。自らの管理地でのこととはいえ、制限をかけ過ぎるのもよくないものだね」
「いえいえ。おかげで発動能力のない俺には、とても有利に動いておりますから。感謝しておりますよ」
風が止み、再びつぐみは目を開く。
そこには里希が不満げに自分の手のひらを眺めている姿がある。
「お話も飽きてきましたね。あまり長居はしたくないので、そろそろ落ちてもらっていいですか」
男の言葉に、里希は「仕方がないね」と呟き崖へと向かって行く。
崖の手前までたどり着くと、里希はつぐみ達の方へ振り返り両手を上げる。
「僕は約束を守った。彼女を解放してくれ」
「まだです。それはあなたがそこから飛び降りてからの話ですよ」
「だがそうなると、この子が助かったのかが僕にはわからない。彼女の身に何かあると困るのは一条だと先ほども言ったはずだ。君の依頼主にも害が及ぶということにもなる」
「そうかもしれませんが、このまま彼女を逃がすことで俺が捕まるリスクの方が高くなるのもなぁ。依頼主に怒られるよりそっちの方がまずいのかなぁって。……あ、そうだ!」
突然、背中をどんと押されたつぐみはよろめく。
「ねぇ、お嬢さん。蛯名様をそこから君が突き落としてよ。君にだって、それくらいなら出来るでしょう?」
男は体勢を崩したつぐみの背中をぐっと掴み、そのまま前へと体を押しやっていく。
「い、嫌です! そんなこと絶対にしません!」
つぐみは足に力を入れ、その場に踏みとどまろうとする。
強めに抵抗をする姿を見て、里希が自分達へと近づいてくる。
それを制するためだろう。
男はつぐみの後頭部に銃を突きつける。
その動きを見て、里希はそこで歩みを止めた。
つぐみの後ろから男の満足そうな笑い声が聞こえてくる。
再び男はつぐみを前に押しやり、次第に里希へと近づいていく。
「なんだか君は、とても純粋そうじゃない? 上司になるはずの人を自分の手で落としたら。そうしたらすごい後悔してくれそう。俺、そういうの見るの大好きなんだよねぇ」
なんと恐ろしく、ばかげたことを言ってくるのだろう。
こみ上げる怒りに、つぐみは思わず振り返りそうになる。
だがそれでは、里希の今までの行動を否定することになってしまう。
無理やり押されながら、とうとうつぐみは里希の前へと立たされてしまった。
「お嬢さん。今から君が蛯名様を突き飛ばさなければ、俺は彼を撃つ。君が押しただけの状態と、銃で撃たれた状態でここから落ちる。どちらが生存率が高いのかは理解できるよね?」
言われなくても、そんなことは十分に分かる。
だが人の命を奪うかもしれない行為など、自分はしたくない。
――それならば、いっそ。
「……蛯名様、教えてください。ここから落ちても本当に、あなたは死んだりしないのですか?」
おそるおそるといった様子でつぐみは呟く。
そうして里希の隣ではなく、あえて一メートル程はなれた左側に向かい足を進めていく。
崖のきわまで来ると、つぐみは下を覗き込む動きを見せる。
「おいおい、お嬢さん。勝手な行動は控えてもらおうか」
再びつぐみの背中に当たる小さな固い感触。
それにより男が自分のすぐ後ろにいることを確認する。
そう、男は『きちんと』つぐみのすぐ後ろをついて来ているのだ。
覗き込んだ先はごつごつとした大きな岩がいくつも姿を見せ、数十メートル下に申し訳程度の緑が見える場所。
どう考えても途中で留まれる場所も無い、後戻りのできないその景色。
それにおそれをなして、目が
そのまま目を閉じ、自分の手を左胸に当ててうつむく。
心臓が
『僕が欲しいのは二度、三度と役に立ちうる存在』
里希が欲する盾以上の存在。
一度だけしか守れない存在にならないために。
つぐみは大きく息を吸い込む。
そうして強い決意と共に後ろへ振り返ると、つぐみは男へと自分の体をぶつけていった。
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