第254話 朧にて その2

 つぐみの目の前で、沙十美が大きく障子を開け放つ。


「そこにいるのは誰っ! ってあなた……」


 沙十美は相手を見て絶句している。

 怖いという気持ちを心の奥にぐっとしまい込み、つぐみも沙十美の元へとにじり寄る。

 そこにいたのは。


『ごっ、ごめんなさい』

 

 しゅんとした姿の白いワンピースを着た女の子。

 どうしたことかさとみがそこには居た。

 彼女は縁側に手をつき、こちらを見上げてしゃがみ込んでいる。

 思わずつぐみは辺りを見回す。

 自分がいるこの家は明かりがある。

 しかしこの家から一歩はなれれば、月明かりこそあるものの周辺には何もない夜に染まった暗い場所なのだ。

 つぐみは沙十美と顔を見合わせると、小さな少女に問いかける。

 

「さとみちゃん。どうやってここに来たの?」


 つぐみがかけた声に彼女の顔がくしゃりとゆがむ。

 沙十美の強い口調に怒られたと思ったのだろうか。

 あるいは知った顔をみて安心したためだろう。

 しょんぼりとした様子ながら、ぽつりぽつりと彼女は話し始めた。


『分からない。いつもみたいにねむねむしていたらここにいたんだ。とても暗かったし一人は怖い。どうしようって、とても困っていたんだ』


 すっと彼女はこの家を指差し言葉を続けていく。


『でもこの明かりと家が見えて、冬野と大きな私の声が聞こえてきたから。だからここにこればいいと思って……』


 ここに来るまでのことを思い出したのだろう。

 さとみの顔は今にも泣き出してしまいそうだ。

 気づけば暗くて知らない場所に一人きりでいたのだ、さぞ怖い思いをしたであろう。

 ましてやこの子は孤独の辛さを、一人でいるという悲しみを誰よりも知っているのだから。


 つぐみか沙十美が、彼女をここへと呼び寄せてしまったのだろうか。

 話を聞く限り、この子が望んでここに来たわけではないことは理解できた。

 

 無自覚とはいえ巻き込んでしまった後悔。

 同時に何とか元気づけたいという気持ちが、つぐみの中で広がっていく。

 そうして思いついたあるアイデアをつぐみは沙十美へと耳打ちをする。

 その提案に彼女は大きな目を更に見開いたあと、くすくすと笑い出した。


「実にあなたらしいわね。任せなさい。あなたの想像力と私の力で、あの子に良いものを見せてあげましょう」


 ぱちりとウインクすると、さとみを手招きする。

 

「こちらへいらっしゃい。小さな私。怒っていないから心配しなくてもいいのよ」


 その呼びかけに、さとみはおずおずとつぐみ達の元へと近づいてくる。

 縁側にさとみを座らせるとつぐみと沙十美は彼女を真ん中に挟み、三人で並んで腰掛けた。


「じゃあ目を閉じてみて。小さな私」


 沙十美の言葉にこくりと頷き、さとみはきゅっと目を閉じた。

 あまりに素直なその行動に、つぐみはさとみに抱きつこうとする。

 だが沙十美によりそれはあえなく阻止されてしまった。


 少しだけ、いや実はかなり残念に思いつつ、つぐみは目を閉じて頭の中にあるイメージを思い浮かべる。


「つぐみ、小さな私。目を開けてもいいわよ」


 沙十美からの声に、つぐみはそっとまぶたをひらく。

 つぐみの口からより先に、さとみからの「わあっ!」という嬉しそうな声が響いた。

 その様子に、つぐみと沙十美からは優しい笑みがこぼれていく。


 空には月。

 いつもはぼんやりと雲に隠された朧月が、今だけは雲一つない空にまん丸で大きな顔をして三人を見下ろしていた。

 さっきまであった雛人形やお神酒は姿を消し、代わりに三方さんぼうと呼ばれる台の上に十五個のお団子が綺麗に並べられている。

 その隣にはススキやサツマイモなど秋の味覚のものが並べられ、月の光を優しく受け止めていた。


『わぁっ、わぁっ! 冬野! うさぎっ! ぴょんぴょんしてた』


 縁側から外を眺めれば、ざわざわとススキが音を立てて揺れている。

 その間から、二匹の真っ白なウサギがぴょこりと顔を見せた。

 その愛らしい姿につぐみは思わず声を出す。


「か、可愛いっ! でも追いかけたら驚かせちゃうか。さとみちゃん、ここから見ているだけにしようね」


 言ってみたものの、小さな彼女に我慢が出来るだろうか。

 つぐみはそう考えながら彼女を見つめる。


「うん、わかったぞ! 私もちょうの時につよい風がきて、葉っぱがばしんって当たったときはこわかったからな! うさぎにこわいはしないぞ」


 真面目な顔でそう答えてくれるさとみの可愛さに、つぐみは思わず抱きしめに行こうとする。


「お・ち・つ・け!」


 沙十美の片手がつぐみの顔面をぐぐっと押さえ、さとみへと近づけないようにしている。


「……沙十美さん。あまりにも非情ではないでしょうか。それは友達に対してする行動でしょうか?」


 呟きをこぼし、心ではたくさんの涙を流しながらつぐみは二人を見つめる。

 姉妹の様にぴったりとくっついて、うさぎを指差す二人の姿。

 にっこりと笑いあっているその姿は、実にほほえましい。

 すすきが重なり合い奏でる音を聞きながら、つぐみはそっと目を閉じる。

 涼やかな虫の音がそれに連なるように耳に届く。

 頬をゆっくりと撫でていく風の心地良さに、つぐみは何度も深呼吸をする。


 ――この音を、匂いを体へと染み込ませていく。


「……ぐみ、つぐみ」


 小さく呼ぶ声が聞こえ目を開けば、さとみがいつの間にか眠ってしまったようだ。

 沙十美の膝に体を預け、すうすうと寝息が聞こえてきそうなとても穏やかな顔。

 健やかに寝入る姿に思わずつぐみは笑ってしまう。


 その声に沙十美は人差し指を唇に当て「しーっ」と言って視線を和室の方へと向けた。

 沙十美の要望を察したつぐみは、立ち上がると静かに障子を開く。

 既に室内は布団が敷かれた状態になっていた。

 掛け布団をめくり振り返れば、眠り姫を抱えた沙十美がゆっくりとこちらへと向かってくるのが見える。

 そっとさとみの頭を撫でた後、二人は再び縁側へと戻って行く。


 障子を閉める前に見えたさとみの寝顔は、今もこうして二人を照らす月のようだ。

 見る人の心を癒し、優しくさせていく。

  

 その気持ちのまま静かに縁側に座り、互いに何も言わずただ柔らかく照らす光を見上げる。

 共にいられる時間を。

 一人ではなく彼女と一緒に見ているこの景色を愛おしく思いながら。

 つぐみは隣の親友の手を握るのだった。

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