第223話 蛯名里希は意図を探る

「里希様。先程の態度は、一条としてふさわしくありません。三条の上の方に、あのような……」


 珍しく語気を強め訴えてくる高辺に、里希はいつも通りの口調で答えていく。


「何を言っているの? 高辺さん。さっきも言ったけどさぁ。虫がいて人出様が、嫌だろうなと思ってしたことだよ。僕は『良かれ』と思ってやったことだもの」


 その言葉に高辺は立ち止まると、里希をじっと見つめてくる。

 

 ――さて、どう来るかな。

 今のあなたは、先程の僕を愚か者の行動と見ているのかそれとも……。

 高辺を見据え、里希は様子をうかがう。


 互いの意図を探りながら、見つめ合うこと数秒。

 高辺が口元に小さく弧を描き、ほんの少しだけ眉尻を下げ里希へと微笑む。

 そこには「仕方がない」という思いが表れている。


「三条管理室の修繕費の申請を、一条こちらから出しておきます。今後の虫退治は、どうか穏やかにお願いしますね」


 この程度のお小言で済んだのは、『はらい』の準備でこんな些末さまつなことに関わっている暇はないからであろうか。

 やはり、高辺の腹の中は読めないと里希は思う。


「分かったよ。でも、そもそもさ。虫がいなければ、退治もしなくて済むのにって思わない?」


 里希の言葉に対し、冷静な様子に戻った彼女は続ける。


「そうですね。里希様ったら、あるお嬢さんが関わると特に」


 くすくすと笑う声。

 だがその瞳に、楽しいといった感情を里希は見つけられない。


「小さな虫ですら、必要以上に潰したがりますものね。いつぞやの陣原じんばらとかいう小虫。あれに対する態度は、執拗しつようという言葉すら超えていらっしゃいましたもの」

 

 先程のお返しとばかりにきた、彼女からの皮肉。

 わずかながら、里希に苛立ちが生じる。


「何を言っているのかわからないや。陣原? あの人は確か、難病か何かになって芸能界を引退した人でしょう? 僕には関係ないよ」

「そうですか? そのよくわからない陣原が、俳優の陣原じんばらあまねだ。私はそんなことを、一言も言っていませんけどね。ふふふ」


 やはりくえない。

 これ以上話すのは、得策ではなさそうだ。

 そう判断した里希は、彼女に退場を促す言葉をかける。


「ねぇ、高辺さん。父さんとはまだ、話はできないのかなぁ? 延期になっている祓いについてもまだ、聞けていないことがたくさんあるんだよね」

「……そうですね、吉晴きはる様には、十鳥とどりが今は主に動いておりますので」


 少し考え込んだあとに、高辺は口を開く。


「改めて十鳥に、伝えておきましょう。では私はこれで」

「わかった、お願いするね。父さんには聞きたいことが、本当にたくさんあるんだ」

「まぁ、それは大変。ではますます急がねばなりませんね。失礼します」


 足早に離れていく彼女を見送り、里希は三条の管理地へと振り返る。

 別に自分のやることは、これから何も変わらない。 

 もし目の前に、障害が現れたのならば。

 そんなもの全部、『壊して』しまえばいい。 


 自分達と入れ違いに管理室に入って行った三条の職員達が、慌ただしく部屋から出て行くのが見える。

 これからあちらは、掃除の時間となろう。

 さて自分も、すべきことを始めていこうではないか。


「何から手を付けようか。まずは、お電話の時間かな?」


 場所はどうするべきかと、里希は考える。

 どうも目の良い彼女に見張られて、見下げられながら話をするのもしゃくだ。

 ならば、自分は高い所へ行こう。 

 そう決めた里希は歩き出す。

 上へ上へ、少しでも高い所へ。

 そうして行きついた先は、本部の屋上。

 見上げた夕方近くの空は、まだ気が早いと言わんばかりだ。

 雲に一部オレンジが差しているだけで、鮮やかな青色がくっきりと残っている。


 スマホを取り出し、通話ボタンを押す。

 すぐに出てくれた相手の声を聞き、里希は話を始める。


「ごめんね浜尾さん。今、いいかな? ちょっと調べてほしいことがあるんだ。なるべく早く欲しいんだけど」


 電話の相手である浜尾からは、依頼に対しいくつかの質問がかけられる。

 それに答えれば、すぐに取り掛かるとの返事が来た。


「うん、いつもありがとう。あと高辺さんになにか聞かれたら、下手に隠すと大変そうだからさ。……そうそう、あなたの無理のない程度でお願い」


 通話を切り、眼下に見える人の様子を何となしに眺める。

 きっと今の通話も、見張るのが大好きな彼女は見ていたに違いない。


「あまり遊んでいたら、余裕もなくなっちゃうか。――場合によっては、僕の命も」


 独り言をつぶやく里希の目に入って来たのは、二人の人物。

 品子と、もう一人は惟之と一緒に居た黒ファイルの男。

 四条の上級発動者、井出明日人。


「……何でこの二人が、一緒に居るんだ?」


 二人は楽し気に話をしながら、並んで歩いている。

 眺める里希に、苛立ちの感情が芽生えていく。


 品子は知らないから、そうしていられるのだ。

 隣で笑っている男の、本来のあるべきだった『名前』。

 彼がそれを、品子に伝えているとは到底思えない。

 そもそも、そうであれば、品子はあんな風にあの男に笑いかけたりしないのだから。


「そうだよねぇ、……明日人君?」


 里希の言葉は誰に聞かれることもなく、静かに夏の夕暮れの空に溶けていった。

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