第278話 冬野つぐみは問われる
一体、誰だろう。
そう思いながらつぐみは男性を見つめる。
一条の人間であることは間違いないだろうが、午前中にこの人物をつぐみは見た覚えがない。
男性はつぐみの前の席を指差すと、「そこ、いいかい?」と問いかけてきた。
「は、はい。どうぞ!」
つぐみがテーブルの上の紙袋を手前へと引き寄せると、男性はつぐみの正面の席へと座る。
背はかなり高い、180センチは超えているだろう。
つぐみの見た印象では、年は三十代後半といったところか。
がっちりとした体格で、グレーのスーツを着こなしたその姿。
だが、柔らかな表情と先程かけてきた優しい声色から威圧感はない。
カタリと音を立てて缶コーヒーをテーブルに置くと、彼はつぐみへと目を合わせてくる。
「さて、一つ問題を出してみよう。初対面である君に私は声を掛けた。これに君はどう返事をしてくれるのかな?」
とんでもない問題が出されたものだ。
つぐみは改めて男性の顔を見つめる。
午前中の雑務で、一条の敷地内のいくつかの場所は足を向けた。
その際に、一条の人達とも何人かすれ違っている。
だがその中に彼は含まれていない。
自分のことを試している。
そうつぐみは結論を出した。
ならばわからないといった答えは適切ではない。
これも面接の一つの項目なのだろう。
つぐみは発するべき言葉を頭の中で探していく。
今まであった出来事を思い返し、その中から導き出した答えをつぐみは口にする。
「改めて自己紹介をさせてください。この度、一条への事務方への希望をいたしました、冬野つぐみと申します。よろしくお願いいたします。……
その言葉に、彼は満足そうに笑う。
「ありがとう、ではこちらからも。私の名は
言葉と共に浜尾は手を差し出してきた。
つぐみは立ち上がると自分も手を伸ばし握手を交わす。
握られた大きな手に、相手が男性だということを意識してしまい顔が熱くなる。
「さて、冬野さんに聞かせてもらいたいのだが。どうして私の名前が分かったんだい?」
再び席に座ると、つぐみはその問いに答えていく。
「午前中に一条の方とも何人かすれちがいましたが、その際に浜尾さんとはお会いしておりません。先ほども『初対面である』と教えて頂きました。ですが浜尾さんは私の名前を知っており、名を呼んで下さいました」
浜尾はコーヒーを一口飲み、つぐみに続きを促してくる。
「この一条の中で、面接段階である私の名を知っている方は少ないはず。そのことから、蛯名様や高辺さんに近い方だと判断しました。そして先程の質問の聞き方から、私が知っていなければならない方。つまりはすでに私が名前を伺っている人物であるという結論を出しました。その条件にあった方が浜尾さんでしたので」
一つ目の課題での里希との会話をつぐみは思い出す。
『わかった。車の件は、浜尾さんに聞いておいて』
つぐみはここで、里希の口から浜尾の名前を聞いているのだ。
さらには木津家に惟之が服を届けに来たあの日の、品子と惟之が話していた会話でも彼の名前が出ていた。
それを思い出せたことにつぐみは安堵する。
今日ここに来る前の、品子からの激励の幸運が導いてくれたのだろう。
そう考え、思わず笑みが浮かぶ。
「なるほどね。話には聞いていたけれど、なかなか良い判断力を持ち合わせているようだね。ところで今から昼食のようだが、午後からの君の予定はどうなっていたかな?」
浜尾からの声掛けに、つぐみは壁にかかった時計を見る。
時刻は十二時を十分ほど過ぎたところだ。
「十五時からの蛯名様の打ち合わせに同行予定です。高辺さんからは十三時に応接室の方へ戻るようにと指示を受けております」
「うんうん、では冬野さん。応接室へ戻るまでにあと、四十分ちょっとあるのだが」
いったん言葉を止めると、浜尾は自身の腕時計をちらりと見た。
「この休憩所から応接室まで、余裕をもたせて
「え、判断力。……ですか?」
つぐみの言葉に彼はうなずく。
「そう、君はこの三十分という時間をどのように使うのかを聞かせてもらいたいんだ。あぁ、もちろんこの話が不快というのであれば、『話すことなど無い』と言ってくれればいい。私は席を外すとしよう」
浜尾はテーブルに置いていた缶コーヒーを手に取り、小さくゆすりながらつぐみの答えを待っている。
ここで彼に退席を求めるのはまずありえない。
浜尾は『話をしたい』ではなく、『判断力を見せてもらいたい』と言っているのだ。
これはやはり面接の一つであると改めてつぐみは確信する。
つまりは、これから答える言葉と判断を慎重に決める必要があるということだ。
相手が望んでいるであろう答えをださねばならない。
しばしの沈黙の後、つぐみは浜尾を見上げ口を開いた。
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