第221話 井出明日人は考えを述べる
「えぇ? 品子さん。じゃあまた、蛯名様と遭遇してたんですか? もー、どんだけ愛し愛されてるんですかー」
品子の左頬に指先を当て、明日人が呆れた様子で話しかけてくる。
答えるかわりに品子はうなずき、ゆっくりと目を閉じた。
薄い暗闇の中で彼の指先が触れたところから、柔らかな温かさがじわりと広がっていく。
「痛かったら言って下さいね~。言われてもどうせ続けますけど~」
明日人が笑いながら、品子の耳に触れていく。
「はーい。完了ですよ。こんな傷がついたままで帰ったら、つぐみさんが大騒ぎしてしまいますからね」
明日人の言葉になぜ彼がここにいたのかを品子は理解する。
確かにこのままの姿で帰って、つぐみを心配させるわけにはいかない。
「ん~、何だい? 明日人は私が心配で治療してくれたわけでなく、冬野君が悲しむから治したと?」
するりと自分の口から出た軽口に、ようやく心に落ち着きが戻ったと品子は安堵する。
「とーぜーんじゃないですかね? 今日は僕、品子さんにどれだけいじめられたと思っているんですか?」
両手を腰に当て、子供の様にぷぅと頬を膨らませた明日人が、自分に顔を近づけてくる。
「悪かったよ、明日人。せめてもの詫びに、今日は思いっきり寿司を食ってくれ。なんせ惟之の
品子は右手の親指と中指で、明日人のぷっくりと膨らんだ頬風船を挟み込んでやる。
「ぷすっ」という音と共に、明日人の頬がへこむ。
アヒル口のようになった明日人の唇を見た品子に、思わず笑いがこみ上げる。
「もぅ、品子さん。僕のこと、おもちゃみたいに思っているでしょう? ぶぅー!」
いつもに増して子供っぽい仕草を見せてくる彼を、品子は真っ直ぐに見つめる。
「ありがとな、明日人」
品子の言葉に、表情に察したであろう明日人は、今度はニコニコと笑顔になり答える。
「ん〜、どうしたんですか?」
「今日の私のことさ。今だってそう。君は弱い私を受け入れてくれるんだな」
品子の言葉に明日人は少しうつむき、考えこむ様子を見せる。
言おうか言うまいか。
そう悩んでいるように品子の目には
「……多分。多分なんですけどね」
言葉を続けながら明日人は顔を上げる。
「僕、考え方が変わってきているんです」
そのまなざしはとても優しく、まるで心をふわりと包み込まれてしまったかのようで。
いつもの子供の様な彼とは違う姿に、品子は少しの時間、彼に見とれてしまった。
「最近は、弱いってそんなにいけないのかなって思うんです。今までの僕は、自分と同等、あるいはそれに見合った人物や対象としか付き合う必要がない。それ以外はあえて排除はしないけど、こちらからは近づかない。そういった考えで人間関係を形成してきました。別にそれが、間違っているとは言いません。そして今でもこの考えを否定するつもりはありません」
確かにそれは自分も、以前の彼から感じていたことだ。
彼は誰に対しても常に優しく、穏やかに接している。
それはつまり、特定のものや人に『興味が無い』ということ。
事実、彼が今までに特定の人物と私的な交流をしているのを、品子は見たことが無かったのだから。
「でも、奥戸の事件で皆さんと話をするようになって。部外者で一般人のつぐみさんと知り合ってから。自分の中で、物凄い戸惑いが生まれるようになったんですね。彼女、何の力も持ってないのに。だめだよって言われているのに。どんどん危険なところでも進んでいってしまうでしょう?」
奥戸の事件もそうだった。
明日人と彼女が、タルトを食べに行った際に起こった誘拐事件の時もそうだ。
あの子は、何の見返りもないのに、誰が頼んだわけでもないのに。
それでも知ってしまったことに対して、巻き込まれたことにも必死にもがき、時にあがきながら逃げることがなかった。
つぐみはどんな状況でも後ろに下がることもせず小さな体で、心で相手にぶつかっていくのだ。
「つぐみさんの……。彼女の言葉は素直でとても温かいんです。まっすぐにぶつかってくるから、逃げることもできない。だからあの子の声を聞かざるを得ない。そうやって強く僕は引っ張られて行くのです。初めてですよ。僕がこんなふうに思うなんて」
そう言って明日人は楽しそうな、それでいて困ったような顔をして品子に笑いかけてくる。
「でも。でもそれが僕にとって、嫌ではないのです。むしろ今まで知ることのなかった感情や世界を知る事が不思議で、とても愛おしくて……」
そっと胸に手を当て、彼は続ける。
「出来ることならば。皆さんとは、ずっと一緒にいたい。そんなことを願い、こうして口に出してしまうくらいにまでなってしまいました。本当に僕、どうしちゃったんだろう」
戸惑いも、今の思いもすべて隠すことなく語る彼の言葉に。
伝えられた相手が自分であることを品子は嬉しく思う。
ならば自分も隠さずに答えようではないか。
「どうしちゃったもないさ。それが君の正直な気持ちであり、君が変わった証でもあるのだから」
さらりと答えたことが意外だったのだろう。
明日人が驚きの表情を品子へと向けてくる。
「こんな僕を笑ったりしないのですか? てっきり、『君らしくない』とか言われると思っていました。ですのでちょっと、……びっくりしてしまいました」
どうして笑うことなどあるだろう。
彼のその思いは、自分が抱いていたものであり願いだ。
むしろ共に感じていると知れたことに、品子は喜びを覚えているのだから。
同時に彼が自分よりも人と心で接するという機会が希薄だった分、迷いが生じるのも品子は理解している。
それもあり、品子は彼の心の気づきをどう促していこうかと思いを巡らす。
「それで、明日人は困っているのかい?」
「えぇ、そうですよ。これじゃあまるで僕は、皆さんを大好きみたいじゃないですか。なのでここをはっきりさせるために、僕なりに考えた案があるのです」
そう言って明日人は、品子へにやりと笑いかける。
「僕は、皆さんと『
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