第215話 忘れたいコト その4

 品子が保護されて二日経った。

 自宅に戻った品子は、自室で過ごすのを拒み応接室で生活を続けている。

 品子の自室は、他の人と一緒に寝る場所が無い。

 心が壊れてしまったあの日から、品子は眠るときに誰かがそばにいないと眠れなくなってしまっていた。


 品子は一人が怖い。

 一人になると、あの時のことが思い出されてしまう。

 そうなると、まるで小さな子供のように泣いて暴れてしまうのだ。

 その為に今、自分は常に三条の女性職員がそばにいる様にしてもらっている。

 大体の時は、品子の母が一緒に眠ってくれる。

 だが彼女は自分の母という他に、三条を治める立場の人間でもあるのだ。

 当然ながらその都合上、本部から戻れない日もある。

 その際にはいつも小宮山が品子が眠るまでそばにいてくれていた。 


 日が経つにつれ、品子は冷静さを取り戻しあの日に起こった出来事を、少しずつ思い出すようになってきた。

 泣き叫びながら抵抗を続ける自分に、三人は何とか押さえ込もうと暴力をふるい続けた。

 必死に抵抗しながら品子は考える。

 発動のきっかけと、どうしたら発動を止められるのかを。

 そしてあまりにも単純すぎて、気付かなかった事実を見つけそれを口にする。


「動かないで。私に触らないで」


 言葉を聞いた三人は、糸の切れた人形のようにぴたりと動きを止めた後、その場に崩れ落ちる。


 この発動は相手を惑わせ、意のままに操るもの。

 だからこちらから、命ずればよかったのだ。

 それをせずにいたために、惑いのまま彼らは品子を襲ったのだから。


 動かなくなった三人をぼんやりと眺め、次に品子はよろよろと再び洗面台に向かう。

 アメニティの中にある、ヘアゴムを取り出すと髪を結ぶ。

 発動の条件は、髪をほどいたことだ。

 これで彼らは、自分に危害を加えてくることはない。

 ぺたりとそのまま品子は床に座り込む。


 もう動けない、動きたくない。

 自分達からの定期連絡が、途絶えてしばらくたつ。

 もう少しすれば異常に気付いた組織が、この部屋に来てくれる。

 腕をだらりと下げ、うつむき品子はその時を待つ。


 体中がどこもかしこも痛み、もう泣く力も残っていない。

 立ち上がる気力も、助けを呼ぶ行動も出来ない自分。

 両腕で自分を抱きしめようとしたけれど、どちらの腕も痛みがひどい。

 動こうとするだけで、痛い。

 触れるだけでも、つらい。

 代わりに言葉だけが品子の口からおちていく。


「ごめんね、私の体。ごめんね、私の心。ごめんね、……私」

 

 品子は、ただ自分へと謝り続ける。

 ふと気づくと、部屋の入口から声が聞こえてくる。

 組織の人間が来たのだ。

 どうしてこんな事態になったのかを説明せねば。


「……話す? この事を?」


 品子に蘇るのは先程までの暴力と屈辱。


「……嫌だ。嫌だ嫌だぁぁっ!」


 喉からは血の味がするが、それでも品子は叫び続ける。

 声もかすれた、今までに聞いたこともない声しか出てこない。


 その声に気付いたのだろう。

 複数の声が、品子に近づいてくるのが分かる。

 あらわれたのは二人の男性。

 品子を見て一瞬、顔をこわばらせると一人が部屋の方を指差し、隣の男性に指示をする。

 もう一方の男性が慌てて部屋の方に戻っていくのを、品子は見つめながら思うのだ。


 男の人だ。

 怖い! また、叩かれるの?


「い、……や。痛いのは嫌っ! もう叩かないでぇ!」


 ガラガラの声で狂ったように叫ぶ品子に、男性が落ち着くように言っているのは聞こえる。

 聞こえているけれども、品子は叫ぶのを止めない。

 いや、止められないのだ。

 混乱している自分に、誰かがブランケットを掛ける。

 振り払おうと体をよじる。

 それから少し遅れて小宮山が現れ、そして、それから……。

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