第99話 九重連太郎
「あの。冬野つぐみさん、ですよね?」
以前に見た資料の写真とも一致する姿を見て、連太郎は声を掛ける。
冬野つぐみ。
黒い水の事件の関係者であり、落月の発動者の毒を受けながら生還した人物。
本来は事件の後、すぐに品子によって記憶は消されるはずだった女性。
しかし友人を亡くしたという一連のショックもあり、すぐに記憶を消すのは心の安定が難しいため危険と判断。
そのため落ち着くまでここでリハビリを兼ねて、品子の手伝いをしている。
連太郎は資料を思い返しながらデータの確認を心の中で済ませた。
『だいぶ落ち着いては来ているんだけどね。やはり年の近い子と交流した方が回復も早いと思うんだ。よかったら、彼女の話し相手になってもらえないだろうか? 私からも、君達が話しやすいように手段を講じておくから』
品子からそう言われたのが数分前。
今から二人で、品子に頼まれた資料を取りに行くと聞いている。
彼女を被害にあわせた、落月からの追及は恐らくない。
だが、念のため護衛も兼ねて同行をという依頼を連太郎は受けたのだ。
相手を緊張させてはいけない、柔らかな口調を心掛けよう。
そう考え、苦手ながら笑みを浮かべるとつぐみへと話し始める。
「はじめまして。じぶ、……僕は二条所属の
「あ、あのはじめまして! 冬野つぐみです。すみません。あ、あの私、すごく緊張してしまうタイプで……。失礼のないよう頑張りますので、よろしくお願いします!」
そう言うと、つぐみはがばりと音が出そうなくらい大げさに頭を下げた。
自分を見上げてくる顔は、目が合うと、とたんに赤く染まっていく。
『彼女ねぇ、すごい恥ずかしがり屋なんだ。でも話すのは好きらしいから。よかったら、君からいろいろと話をするようにしてくれると助かるなぁ。大丈夫。万が一、余計なこと喋っちゃったとしても、彼女はもうすぐ全て忘れてしまうからね』
なるほど、品子が言ったとおりの女性だ。
では、こちらから話しかけていくとしよう。
「僕は高校二年生です。冬野さんは品子様の学校の生徒さんだそうですね」
「はい、そうなんです。私は大学一年生です。九重さんはしっかりしていますね。何だか私の方が年下みたいです」
にこりと笑う無邪気さは、確かに年相応に見えない。
品子に言われたことも含めて、妙に
「あの、それでですね。今日はここから少し離れた本屋さんに、先生から頼まれた本を取りに行くのです。往復で四十分程かかると思うのですが、お時間を頂いても大丈夫でしたか?」
「もちろんです。いろいろ話しながらなら、すぐだと思いますよ」
「はい、ではよろしくお願いしますね」
話がそう得意ではない連太郎でも、つぐみはとても話しやすい人物だった。
こちらの話が終わるまで静かに聞いており、その一方で話に対する
気が付けば自分が話してばかりなのだが、それが全く苦にならない。
目を合わせようとすると、少し困った様子ながらも真っ赤になった顔で連太郎を見上げてくる。
その様子は、本当に年上とは思えない。
話している内容も知らなかったことに対して驚いたり、話を聞き漏らさず受け止めようとする雰囲気があまりに居心地がよく、つい聞かれるままに次々と答えてしまう。
「白日の人達は、仲良しが多いのですか?」
「仲良しってすごい表現ですね。一応、仕事なのでそう言った関係はちょっと……」
「では皆、仲が悪いのですか?」
「そうではないですが……。どうしても悪く言われてしまう人もいるのは確かですね」
「とても残念ですね。どうしてそうなってしまうのでしょう?」
「そうですね……。僕達の場合ですが。どうしても上の人達が、悪く言っている人がいたら、その人に悪い印象を持ってしまいます」
「うーん、確かに自分の上の方がそうだったらと考えると。やはり仕方がないものなのでしょうか」
「あ、でも惟之様や出雲さんは違います! そんな話を決してあの方達はしません!」
二人を悪く勘違いされては困る。
自分にとって、素晴らしい上司達なのだから。
だからつぐみにもそう思われないように伝えなければ。
その気持ちが連太郎の声をいつもより大きくさせる。
「ふふ、お二人とも素敵な方達なのですね。あら? となるともっと上の人が、こっそり悪いことを言ってしまっているのでしょうか?」
「そうなんで……、いや、いけない! あの、内緒にしてもらえますか。今の話。多分、惟之様が聞いたら悲しみそうなので……」
いけない。
こんな話を、ぺらぺらと話してしまうなんて。
無意識のうちに、話し過ぎていることを反省していく。
「うーん、なるほど。気を付けるようにします。でも何か私だけ内緒の話を聞いてしまうのはずるいですよね。……では思い切って、私も秘密を告白します。実は昨日の夕飯に焼き魚を出したのです。そこで一番焦げてしまった魚を、昨日食べに来てくれた靭さんに出していたのです。悪い人間ですよね? 私って」
真顔で言っている辺り、これは冗談でなく本気で言っているのだろうか。
たまらず笑ってしまう。
「はは。わ、悪いのレベルが違いすぎて、どう言ったらいいものか……」
「あら? という事は先程の上の人達の悪さに比べたら、大したことないのですか?」
「比べるという次元ではなく、相手に悪意があるかという点で……。いや、この話はもうお終いにしましょう」
「そうですね、ちょうど本屋さんが見えてきましたし」
彼女が指差す先に、本屋が見えた。
店に無事に着いたことにほっとしながらも、余計な話をしすぎたと連太郎は反省する。
数分後。
戸惑いの表情を浮かべたつぐみが、本屋から出て来た。
「冬野さん、どうされたのですか?」
「あの、先生に頼まれていた本なのですが……」
そう言って彼女は一冊の本を取り出すと、連太郎へと差し出して来た。
赤髪の可愛らしい女性が微笑んでいる表紙に『アマリア様の旅』とタイトルが書かれている。
意味がわからずぽかんとしていると、彼女は不思議そうに自分を見つめてきた。
「あ、あれ? 先生から九重さんはきっとこの本を見て抱き締めたあと、頬ずりするよ〜。だから見せてあげてね〜って言われたんですけど」
品子がここに向かう前に、連太郎に語った言葉を思い出す。
『私からも君達が話しやすいように、手段を講じておくから』
……これが。
これが、その手段だというのか。
確かに、本の表紙の少女は可愛らしいといえる。
だが、高校生の自分が頬ずりなど考えられない。
羞恥心が襲い来るが、せっかく品子が自分の為に考えてくれた作戦なのだ。
ならば、ここは指示通りに行動するのが、組織の人間としての正しい姿といえる。
きっと想定外のことを、きちんと自分が出来るか。
品子は、これを学ばせようとしているに違いない。
ならば、自分はそれに相応しい行動するのがあるべき姿。
仕事によってはこういったこともあるのだと、きっと知らしめてくれているのだ。
(お任せください、品子様! 自分は! 自分はこの出来事によって、必ず成長をしてみせます!)
連太郎はそう決意し、震える手で本を掴もうとする。
だが、それを見たつぐみがくすくすと笑いだした。
「もー。私、先生にまた
騙されていた。
その言葉に、連太郎は思わず赤面してしまう。
黙りこくった自分に気を遣ってくれたようで、帰りはつぐみの方から話しかけてくれた。
とはいえ帰り道の会話も共通する話題と言えば、どうしても組織の話になってしまう。
「白日の中でも、同世代の集まりとかはあったりするのですか?」
「集まりではないですが。二か月に一度は同世代の人間が集まって、研修のようなものを行っています」
「難しい勉強とか、するのですか?」
「勉強というか……。確かにこちらの組織の、成り立ちや構成も学びますね」
「えっと、先生のいる三条? とかのお話になるのですか?」
「はい、そういった話もしますね」
「では、同じ三条のヒイラギ君やシヤちゃんもその研修に?」
「彼らは……。あまり来ないですね」
逃げ
彼らが集まりの度に掛けられる、残酷な言葉。
連太郎はそれらを発していないとはいえ、言葉を否定せず
誰だって、自分達を悪く言ってくる人や場所に来たくはない。
その場にいる同世代に限らず、あろうことか一部の上の人間達もそれを言ってくるのだから。
思わず目を伏せてしまう連太郎に、つぐみは言葉を掛けてくる。
「そこは、苦しいですか? その場所は。ヒイラギ君達にとっても……。九重さんにとっても?」
唐突な問いかけに、つぐみへと視線を向ける。
……自分にとっても。
連太郎は、つぐみから言われた言葉に思考が止まる。
それに対して、自分の答えが上手く出てこない。
彼女は一体、どうしてそんなことを言ってくるのだ。
「どうして何も悪くない人達が、苦しまなくちゃいけないのかと思ってしまって。ヒイラギ君達や九重さんも」
「じっ、自分は、別に苦しんでは……」
「九重さんはとても優しい方です。だから苦しんで欲しくないのです。私がどうしたらいいか分からないけど。……そう、思いました」
なぜ、その言葉を言った彼女が。
連太郎よりも悲しそうな、苦しそうな顔をしているのだ。
目を合わせているのもつらくなり、連太郎は目を逸らす。
そんな沈黙が続き、ようやく帰るべきビルが視界に入ってきた。
「……ビルが見えてきましたね。冬野さんを無事に、送り届けることが出来てよかったです」
「……はい、今日はありがとうございました」
とても褒められたものではない別れ方をして、連太郎は二階へ、つぐみは三階へと戻っていく。
『万が一、余計なこと喋っちゃったとしても、彼女はもうすぐ全て忘れてしまうからね』
階段を上りながら、品子の言葉を連太郎は繰り返す。
そうして思うのだ。
自分は彼女に記憶を忘れて欲しいのだろうか。
それともこのまま憶えていて欲しいのだろうか。
今まで見ないようにしていた。
木津兄妹に自分がしてしまったことを、改めて理解してしまった今。
――自分は一体、どうしたらいいのだろう。
答えが出ないまま、連太郎は二条の部屋の扉を開くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます