第97話 パンケーキをご一緒に
「あ、来た」
店の扉が開き、周りを見渡しているクラムの姿をつぐみは目にする。
彼とは、数日前に出会ったばかりだ。
多木ノ駅の近くで偶然、彼が言いがかりをつけられていた所を見付け、つぐみが助けようとした少年だ。
そう。
結局、助けようとしただけ。
あろうことかつぐみはその場で熱中症となり倒れてしまい、逆に助けてもらったという人物でもある。
小さく手を振ると、気づいたようでにこりと笑い、こちらへとやって来る。
目を細め優し気に微笑む姿。
周りの目線が、次々と彼に吸い寄せられていくのが分かる。
あの時は熱中症で、自分のことばかりで気づかなかったが。
世間が美少年と呼ぶ容姿を、彼は持ち合わせていた。
「つぐみちゃん、見つけた!」
「はい、見つかりました。こんにちは。クラム君」
いや。
栗色に輝く髪を、さらさらとなびかせて無邪気に笑う姿。
これは、かっこいいというよりも可愛いかもしれないとつぐみは思う。
「私も人のことを言えないけれど。クラム君は、実際の年よりも若く見えるよね」
「あぁ、それはよく言われるなぁ」
クラムは向かい側の席に座ると、
「五日ぶりくらいかな。あの時はハンカチを貸してくれてありがとう。おかげで助かったよ」
「役に立ててよかった。でも、まだ怪我の
結局、その時に彼は絡んできた相手に殴られてしまった。
その際の
「でもすぐにハンカチで冷やしたおかげで、だいぶ治りは早かったと思う。本当にあの時はありがとう。ハンカチのお礼に、何か美味しいものでもご
メニュー越しにちらりと見ながら、クラムは話しかけてくる。
「遠慮してないよ。ここに来た時に、パンケーキがすごく美味しそうって思っていたの。それでね。食べたい種類が、ストロベリーとキャラメルバナナがあるの。どっちも食べてみたいんだけど、ここのお店のボリュームが結構あるみたいだし。さすがに二つは食べられないから……」
自分もメニューを眺めながら、彩りよく映るパンケーキへとつぐみは視線を向けた。
「どちらかを僕が頼んで、シェアしてほしいのかな?」
「大正解。わがまま言ってもいい?」
「全然、わがままでもないんだけどね。僕で良かったら喜んで」
「ありがとう、すごく嬉しい!」
「つぐみちゃんが喜んでくれたら、僕も嬉しいよ。あ、すみませーん。注文をお願いしまーす」
◇◇◇◇◇
誰も何も言わない。
ただ黙ってシヤの『リード』からのつぐみの声を聞いている。
シヤの発動能力『リード』は、離れている相手の声を聞き取ることが出来る能力だ。
シヤは今、「仮二条資料室」と品子と惟之が呼んでいるビルに来ている。
いや、『連れてこられた』が正しい。
そこで、つぐみの場所確認とリードの発動を依頼されたのだが……。
「そんなに気になるのなら。最初から、多木ノ駅に行けばよかったのではないですか?」
シヤの疑問に品子が答える。
「そうしたいよ! 私だってそうしたいけど。さすがに私用で、ここを離れるわけにはいかないから。二条の人達に、わざわざ資料を持って来てもらっているわけだし」
品子はそう言って、その『わざわざ持って来てもらった資料』でバシバシと机を叩いている。
「ならば私用で、私も連れてくるべきではないと思うので……」
シヤの言葉は品子の鋭い声に
「おい、惟之。五日前って言ったらさ。冬野君に発動していたリード。あれを解除して、お前に発動し直した時じゃないか。お前が鷹の目を失敗するから、こんなことになってんじゃねーか」
「それはそれは、大変に悪うございましたね。うっかり敵組織の落月の人達を、見つけちゃったものですから」
大人であるはずの二人は、とても
シヤはため息をつくと、再びリードに意識を向けはじめた。
◇◇◇◇◇
「うわぁ、凄いよ。ストロベリーの方はパンケーキ三つも乗ってるんだ。バナナの方はお花が乗ってて綺麗で可愛い。クラム君! どっ、どっちがいい?」
つぐみの問いかけに、クラムはにこりと笑う。
「そうだね。つぐみちゃん悩みそうだから、僕が決めた方がいいね。じゃあストロベリーの方をもらおうかな」
「わかった。決めてくれると助かるなぁ。クラム君は本当に優しいね」
「では優しいついでに。……よっと。はい、あーんしていいよ」
「そ、それはさすがに恥ずかしいよ」
「え? せっかく上手にフォークに乗せれたのに、食べてくれないの?」
わずかに目を伏せ、寂しげな顔をしてこちらを見つめてくるクラム。
そんな顔をされては、つぐみは逆らえない。
「あ、では。頂き、……ます。えと、あーん。……お、おいひいっ!」
◇◇◇◇◇
「っきぃぃぃぃぃ! 何なの! あいつ! 一体うちの子をどれだけ
「……品子姉さん。つぐみさんは、うちの子とやらではありません」
床をだんだんと踏み鳴らしながら、品子は叫んでいる。
「
「……惟之さん、いつもの冷静さを。あなたは今日は一体、どこに置いてきたのですか?」
明らかにいつもと違う二人に、シヤは戸惑いを隠しきれない。
「もうこれ以上は、お二人の精神的によろしくなさそうです。そろそろ……」
「シヤ! よく聞け。仕事はな、最後までやり遂げなければいけないものだ! 以前から言っているだろう!」
普段なら、決して出さないような大声を上げ、惟之がシヤの方を向く。
「惟之の言う通りだぞ、シヤ! 途中で投げ出すなんてもってのほかだよ!」
今の状態は、まさに仕事を途中で投げ出しているといえるのではなかろうか。
シヤはその思いを飲み込み、再び集中を始める。
◇◇◇◇◇
「はー、どちらも本当に美味しい。お腹一杯で幸せだよー。あ、そろそろ帰らないといけない時間だね」
「そうだね。あ、つぐみちゃんのお皿の最後のバナナ。僕が、もらおうかな?」
「うん。私、お腹一杯だからちょうど良かった!」
「じゃあさ。今度はつぐみちゃんが、あーんてしてくれる?」
「え、それは。……さすがに。……恥ずかしいと言いますか」
「……そうだよね。つぐみちゃんにあーんてしてもらえるには、僕じゃまだまだ役不足だよね?」
少しさみしそうに笑い、フォークを見つめるクラムに。
やはりつぐみは逆らえない。
「ち、違うよ、えーっとじゃあ。……はい、あーん」
さっきまでの悲しげな顔から一転し、輝かんばかりの笑顔をクラムは見せる。
だが次の瞬間には真顔になり、つぐみの手をじっと見つめてくる。
「……ねぇ、つぐみちゃんの手のひら何か光……」
「え? 手のひら?」
◇◇◇◇◇
シヤは
さすがに一般人でも至近距離で見られたら、発動が分かってしまう。
「あ、あぁ……」
体がガクリと揺れる。
急に発動を止めてしまったための反動が、シヤを襲ったのだ。
「シヤ! ……あぁ、どうしよう! ごめんね。ここには寝かせられるところは……」
品子が慌てて駆け寄ってきて、そっと支えてくれる。
「だ、大丈夫です。少し座っていれば体調は、……戻り、ます」
「……すまない、シヤ。俺達のわがままで、迷惑をかけてしまった」
惟之の心配している声がシヤの耳に届く。
ひどい頭痛がシヤを
返事をしたいが、まだ呼吸が落ち着かない。
品子にだらりと体を預けたまま、体が動けるようになるのをシヤは待つ。
何度か深呼吸を繰り返すうちに、次第に体が回復していくのを実感する。
「私も。……私も相手がどんな人かは、気にはなっていましたので。でも、そんなに悪い人ではなさそうですね」
支えてくれていた品子の手を握り、シヤは口を開いた。
「えー、なんかちゃらちゃらしてそう」
「まぁ、もうすぐ解散の雰囲気のようだし。今日はもう、大丈夫だろう?」
「うー、まぁそうだけどさ。……あ、噂の冬野君から電話だ」
品子がつぐみと話をしている間に、シヤは再び呼吸を整える。
「うん。今、多木ノ駅なんだね。そのまま帰ってもらってもいいし、こちらに来てもいいけど。……わかった。こっちに来るんだね。じゃあ待ってるよ」
電話を切った品子に、シヤは声を掛ける。
「品子姉さん。私は帰ります」
「え、一緒にみんなで帰ればいいじゃない?」
「先程の相手の方の発言と私がここに居たら。つぐみさん鋭いですから、今日のことにきっと気づきますよ」
「うっ。確かにそれはまずいな……」
品子は、自分の頭をガシガシとかきながら呟く。
「もう体は大丈夫です。急いだほうがいいと思うので、これで失礼します」
「わかった、何かあったら連絡して。すぐ迎えに行くから」
「シヤ、今日は本当にすまなかった」
「惟之さん、私は大丈夫ですよ。では失礼します」
静かにシヤは椅子から立ち上がる。
きちんと体は動くことに胸をなでおろすと、シヤは資料室から足早に出た。
「それにしても……。大の大人が二人もそろって、あんなに動揺するなんて」
シヤはぽつりと呟く。
今までになかった二人の様子に、自分の心の変化と同様のものを感じる。
(力を持っていないのにつぐみさんは、本当に凄い人だ。あの人はこれから、どれだけ周りに影響を与えていくのだろう)
「私も……、変わっていく?」
変わるとはいいことなのだろうか。
わからない。
わからないけれど……。
そっと自分の胸に、シヤは手を当ててみる。
いつもよりも早い胸の鼓動を感じながら、前を向き自身の思いに気付く。
こうして帰り道に、皆が家に帰ってくることを思う時の。
心の奥の温かい気持ちは、嫌いではないと。
◇◇◇◇◇
「じゃあ私、これからアルバイトだから」
「お仕事、頑張ってね。つぐみちゃん」
向かい合ったつぐみの顔には満面の笑み。
彼女は本当に楽しい時間を過ごせたようだ。
もちろんクラム自身もなのだが。
「うん、頑張るよ私。今日は楽しい時間をたくさんありがとう!」
「あ、ごめん。ちょっとした、おまじないさせて?」
「おまじない? いいよ! どうしたらいい?」
そっと彼女の髪をかきあげると、クラムはその柔らかな耳たぶに口づけた。
予想はしていたがやはり彼女は、顔から湯気でも出てきそうな真っ赤な顔になる。
「そ、そうだよね、外国の人は挨拶でそうするんだよね! おーけーだよ! いっ、インターナショナルだね! じゃ、じゃあ、今度こそさよなら」
とても動揺した様子ながらも、つぐみは怒ることもなく笑ってクラムを見つめてきた。
小さく手を振って、くるりと後ろを向くと彼女は駅へと走っていく。
「転ばないといいけど」
子供ではないのだ。
そんな心配しなくていいとはクラムも理解している。
年上なのに、とてもそんな風に見えない彼女。
人の言葉に真っ赤になったり、嬉しそうに笑っていた女の子。
でも一瞬だけ。
彼女の手のひらから、発動者の気配をクラムは感じたような気がしてならない。
たまたまフォークの光が、照明に反射していただけかもしれないのだが。
さらにもう一つ。
彼女からする匂い。
五日前にはなかった匂いが、つぐみからするのにクラムは気付いていた。
ほんのりとだけど、甘いような香り。
香水でも付けていたのだろうか。
あの香りは。
……心をかき混ぜてくような、なんだかよくわからない気持ちを引き起こさせる。
だが別に彼女自体から発動者の気配がするわけでもなく、力も感じるわけではない。
多分、気のせいだろうとは思う。
だが一応、彼女に対し保険だけはかけさせてもらった。
少なくとも、自分の存在を知りうる人間。
クラムが『落月の上級発動者』であると知っている人間に。
彼女に関わることを、触れることを許したくない、許さない。
――絶対に。
「ん? ……あれ、ちょっと待て」
今、何を思った?
絶対?
何を?
自身の考えにクラムは戸惑いを隠しきれない。
「……何をしているのだろう、僕は」
たかが一人の人間に。
ましてや力も持たない女性に、ここまで振り回されているなど。
駄目だ、こんな浮ついた気持ちではいけない。
そう思う一方で、クラムの頭の中に浮かぶのは。
ふわりと、とろけるような笑顔のつぐみの姿。
かき消すように頭を振る。
緩んでいる心を今一度、見直す必要がありそうだ。
こういった些細な油断が、命を落としかねない。
「……僕は、しばらくは彼女に会わない方がよさそうだね」
そう呟くと、クラムは空を仰ぎ再び目を閉じるのだった。
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