第281話 冬野つぐみは考えをまとめる

「怖くはないね。品子様をそうさせてしまったのは、他ならぬこの、……白日なのだから」


 浜尾の声に宿るのは後悔。

 どういうことかと問おうとするつぐみを妨げるかのように、彼のスマホが鳴り出す。


「すまないね。おしゃべりの時間は、ここまでのようだ。では後ほど応接室で、打ち合わせをお願いするよ」


 浜尾は椅子から立ち上がり、同じく起立しようとしたつぐみを軽く制すると、足早に去って行った。


 時間にして、たった十分ほどの出来事。

 振り返り、考えをまとめようとつぐみは目を閉じる。

 

 一つ。

 里希は白日内部で、命を狙われている存在である。

 周りに対する冷たい態度も、そのことが影響しているのだろう。


 二つ。

 品子と一条の関係について。

 以前、彼女は浜尾と松永には一度も会ったことがないと言っていた。

 だが浜尾は品子のことを知っており、更には気にかけているように感じられる。

 里希といい、浜尾といい品子に対する思いがとても強い。

 先程の会話で浜尾は、品子を心配し、穏やかに過ごしている様子を喜んでいた。


 一方で品子の一条に対する意識は、苦手というようにつぐみには映る。

 それを作り出したのは、他ならぬ白日だと浜尾は言っていた。

 彼は品子がそうなるに至った何かに関わっていた。

 あるいはその何かを知っている様子ですらある。


 テーブルから聞こえる電子音により、思考は中断される。

 スマホのアラームが、もう応接室へと向かう時間だと告げてきている。

 考えをまとめるのは、もう少し後になりそうだ。

 慌ててスマホへと手を伸ばし、荷物を片付けると、つぐみは応接室へ向かうのだった。



◇◇◇◇◇



「分かりました。浜尾さんが玄関待機の際に連絡をくださるのですね」

「うん。そのタイミングに、里希様への報告で大丈夫だからね」

「はい。丁寧に教えていただけるので、とても助かります!」


 つぐみが応接室で高辺に昼食のお礼を言ってまもなく、浜尾が部屋にやって来た。

 そのまま配車の打ち合わせをしていると、後ろから高辺のくすくすという笑い声が聞こえてくる。


「あ、あれ? 私、変なこと言っていましたか?」


 思わず振り返りながら問うつぐみに、高辺は口元に手を当て、空いた方の手を大きく振る。


「違うの。打ち合わせを邪魔してごめんなさいね。浜尾さんが、いつもと違う様子だから、つい」

「いつもとは違う? そうなのですか?」

「えぇ。私との時には、むすっとしていることが多いのよ。なのに今日は、とても穏やかなんですもの。まるで大切な恋人か妹にでも接しているみたい」

「……生憎と私は、家族に縁がない人間なんでね。接し方が分からずに、お二人に嫌な思いをさせていたら申し訳ない」


 高辺の言葉に、浜尾は気を悪くしたようだ。

 彼の口調に、苛立ちが含まれているのをつぐみは察する。


「いいえ、私はしておりませんよ。とても微笑ましいな。そう思っただけですもの」

 

 つぐみの前で、会話を続ける二人の顔に出ているのは笑み。

 だが、それらはあくまで作られたもの。

 実際の感情のこもったものではないと、この部屋にいる人間は理解している。


「ではまた連絡させてもらうので。そろそろ失礼させてもらう」


 うつむきがちに、浜尾は部屋を出ようとしている。

 つぐみはどうしたらいいのか分からず、彼の顔を見つめることしかできない。

 その彼の瞳には、底のない悲しみが映されていた。

 

「あの、浜尾さん。いろいろとありがとうござ……」

「あら? これは一体、どうしたことでしょうね」


 戸惑い気味の高辺の声に、つぐみと浜尾は彼女の方へと視線を向けた。

 高辺は、スマホの画面を困った様子で見つめている。

 

「里希様が、管理室にまだ戻られていないようですね。いつものお散歩の時間だとは思うのですが、今日は少し遅めのようだわ。冬野さん。悪いのだけれどあなた、里希様に管理室に戻るように声を掛けに行ってくれないかしら」

「え? 声掛けですか?」


 散歩、声掛け。

 あまりに仕事からかけ離れた言葉が続き、つぐみの頭は混乱する。


「……高辺さん、私が彼女に案内する。それでいいだろうか」


 困り果てたつぐみを、見かねた。

 そんな浜尾からの提案に、高辺は大きくうなずく。


「そうして頂けると助かりますわ。では冬野さん、詳しくは浜尾さんから聞いてちょうだい。私はここで失礼するわ」


 二人に「よろしく」と声を掛けると、高辺は応接室から出て行く。

 彼を巻き込んでしまったことに、つぐみは申し訳無さをおぼえる。


「すみません。たまたまここにいただけの浜尾さんに、ご迷惑を掛けてしまいました」

「いや、それは気にしなくていい。いずれにしても片哉かたかな社での打ち合わせもあるんだ。私も里希様には、早く戻って頂きたいからね」


 こんな時でも、気を配ってくれる様子につぐみはただ感謝しかない。

 とはいえ、まずは状況の確認だ。

 

「あの、私は今からどうしたらいいのでしょうか? 散歩と言われましても、私はどこにいらっしゃるか分からないのですが」


 すがるように見つめるつぐみに、浜尾は柔らかく微笑むと部屋のドアを開く。


「説明しながら探しに行くとしよう。おいで」


 その言葉に小さくうなずき、つぐみは彼を追うように部屋を出るのだった。

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