第344話 鹿又統は誘う

うつぼ様、ではまいりましょうか」


 淡々と語る十鳥とどりに続き、惟之これゆきは本部のエントランスへと歩みを進めて行く。

 時刻は午後九時過ぎ。

 遅い時間ということもあり、ロビーは閑散かんさんとしている。

 受付にいた男性が、慌てて立ち上がると、二人に礼をしてきた。


「まずは一条いちじょうの方でお話を。しばらくはご自宅に戻ることが出来ませ……」


 十鳥は急に立ち止まり、言葉を途切れさせた。

 彼の視線の先に、惟之はその理由を知る。

 

「よぉ、やっと着いたんだな。遅いじゃないか」


 ロビー奥にあるスペースから、男の声が響いた。

 グレーのスーツを纏ったその男は立ち上がると、ゆっくりと惟之達へと近づいてくる。

 穏やかな口調ながら、二人を見つめる目は鋭い。


「なにやら、そいつと出雲いずもがやらかしたと聞いたんだけど。それで合っているかね? 十鳥君」

「……はい。ですが時間が遅いということもあり、鹿又かのまた様には、明日お伝えできればと思っていたのですが」

 

 鹿又かのまた はじめ

 二条にじょうおさである男は、「ふぅん」と呟く。

 背筋を伸ばし歩く姿は、五十近いとは思えない力強い足取りだ。

 長身で立派な体格、意志の強さを表したような濃い眉と、切れ長の一重の眼。

 その視線をまっすぐに受け、十鳥がたじろいだ様子を見せる。

 二人の前にやってきた鹿又は、性格を表すかのような豪快な笑い声を上げた。


「いやいや、そんな遠慮されても困るのはこちらだよ。それではまるで……」


 鹿又から笑みが消えうせた。


「俺だけ、仲間外れみたいじゃないか。それともなんだい? 二条の長の俺に聞かれては困ることでもあるのか? どうなの、十鳥君」

「いえ、決してそのようなことは……」


 口ごもる十鳥の肩へと、鹿又は手を置いた。


「じゃあちょっと二条うちへ寄って行ってよ。管理室あけておいたからさぁ」


 有無を言わさぬ調子で鹿又は、二人を二条の管理室へと連れていく。

 


◇◇◇◇◇



 腹に来る衝撃に、惟之の体がくの字に折れる。

 近づいていく地面に思わず目を閉じるが、次に痛みを感じたのは、顔面ではなく後頭部。

 鹿又が惟之の髪の毛をわしづかみにして、その体を留めさせたのだ。

 そのまま鹿又は惟之の体を引き上げ、ねじるように惟之の顔を自分へと向けさせる。


「上級発動者だという、おごりがそうさせたのかねぇ。実に情けない話じゃないか、なあ靭よ」


 無理な体勢で顔だけを持ち上げられたことで、呼吸がままならない。


「おかげで俺も残業だよ。余計なことをしてくれたもんだな」


 うめくような声が、自分の喉から漏れた。

 そのまま手を離され、惟之は受け身すら取れず、床へと倒れこんでいく。

 殴られた頬が、床に触れたことで痛みを訴えてくるものの、もはや動くことすら出来ない。

 

「鹿又様。いくらなんでも、ここまでする必要はないのでは?」


 無抵抗な惟之へと、振るわれる過剰かじょうな暴力。

 十鳥も、さすがに目の前の光景に声を上げずにはいられない。

 戸惑いを含んだ彼の声を聞きながら、惟之は浅い呼吸を繰り返していく。


「まぁ、これは一つのけじめだと思ってくれればいいよ。そうそう、決して……」


 鹿又は惟之の肩を蹴りつけ、体をあおむけにさせる。


「俺がしばらく、こいつのせいで謹慎しなきゃいけない。その腹いせとかではないからねっ!」

「がぁぁ!」


 腹を踏まれた痛みに、喉の奥から自分の声とは思えないひきつった声が出ていく。


「十鳥君、そういう訳だからさ。もう少し、こいつと話をしてから引き渡すよ。それでいいよね?」

「……わかりました。ですがこのことは、吉晴きはる様に報告いたしますので」 

「もちろんかまわない。明日、こいつを迎えに来てやってよ」

「承りました。では私は失礼いたします」

 

 巻き込まれてはたまらない。

 そんな気持ちをありありと顔に出した十鳥は、足早に部屋から去っていった。

 扉が閉まるのを確認した鹿又は、やがて惟之の顔の前でしゃがみ込む。


「お前のせいで俺はしばらく、不自由な生活を強いられる。その責任を取ってもらおうか。一つ目、お前が発動による治療を受けることを認めない。二つ目、俺と同様に、いやそれ以上に大人しくしていろ。そして三つ目」 


 立ち上がった鹿又は、振り返ることなく扉へ向かっていく。

  

「出雲は無事だ。ただし今日の件を、お前が全部ひっかぶってくれればの話だが。……あとは分かるな? しくじってくれるなよ」

 

 扉を開けたまま、鹿又は部屋を出ていった。

 体の限界が近い。

 惟之は這いながら、少しずつ扉へと向かう。

 鹿又の言葉を反芻はんすうし、自分がすべきことを思案していく。


 まずはこの部屋から出て、誰かに見つけてもらわねばならない。

 発動を使わない、通常の手当までは許されている。

 それを行うまでは、意識を失う訳にはいかない。

 かろうじて手を扉の外へと伸ばしてまもなく、こちらへと駆け寄る足音が聞こえてきた。


「これは、え? 靭様! 誰かっ、誰か来てください!」


 女性の悲鳴が、廊下に響いた。

 その声には聞き覚えがある。

 二条の事務方で、出雲の仕事を補佐している子だ。

 惟之の肩へと手を回し、彼女は必死に起こそうとしてくれている。

 かなり慌てているようで、手を震わせたその姿は、今にも泣き出しそうだ。

 悲鳴を聞きつけ、男性職員がやってくるのを惟之の目が捉える。


「驚かせて、……すまないね。君の服が汚れてしまう。私に触らない方がいい」


 女性から身を離そうと動くものの、痛みをこらえきれず情けない声を上げてしまう。

 そんな自分の姿に、彼女はもごもごと何かを呟き、男性職員へと場所を譲った。


 体が回復したら、改めて彼女に詫びにいかねば。

 職員の肩を借り、医務室へと向かいながら惟之は考える。

 だが、それも叶うかどうか。

 おそらく明日、自分と出雲の処分をおさ達が話し合うことになる。

 その際の説明、そしてそれまでに出来ることを済ませておかねばならない。

 自分が動くことのできる猶予ゆうよは明日まで。

 考えろ。


 に悟られることなく、動くにはどうしたらいいかを。

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