第121話 大人の力

 ふと、つぐみは目を覚ます。

 隣にはシヤが居る。

 仰向けの体勢ですぅすぅと寝息を立てて眠る姿は、本当に可愛らしい。

 天使の寝顔を見ることの出来た幸せに、口元に笑顔が浮かぶのをつぐみは抑えられらない。

 

 そしてシヤを挟んでの品子はといえば。

 これまた幸せそうに、彼女の手を握って眠っている。

 昨日初めて知ったが、品子は寝る時は髪はお団子にしてシュシュにまとめて寝ているという。

 普段は隠れているうなじが見えたことや、おくれ毛をするりとかき上げる様子がいつも以上に大人っぽい。

 その姿に同じ女性なのに妙にドキドキしてしまった。

 ふとみれば、そんな品子のパジャマがまくれあがってお腹が見えてしまっている。


「大変。お腹、冷えてないといいけど」


 そっと布団を掛け直しながら、なんだか実に品子らしい姿にクスリと笑ってしまう。


 そろそろ朝ご飯を作らねば。

 つぐみは二人を起こさないようと、そっと部屋から出る。

 そのまま顔を洗いに、洗面台へ向かう。

 改めて鏡で見る、自分の顔。

 右頬の腫れが、だいぶ引いているのにほっとする。

 ただ左頬の傷は、赤い線が3本くっきりと残っていた。

 クラムではないが、これはガーゼを貼って外に出るべきだろう。

 ひとしきり眺めた後、台所へ行き朝食の準備を始める。

 卵が焼けるいい匂いがする頃、品子がリビングにやって来た。


「おはよう、冬野君。卵焼きがいい匂いだね~」

「おはようございます! もうすぐ準備が出来ますよ」


 リビングの机に朝食を並べながら、昨日の話を思い返す。

 品子の話からするに、今日があのビルに行くのが最後になる。

 まずはきちんと連太郎に謝らねば。

 それからまた、ヒイラギの変化した毒の件を考え直してみよう。


 変化した毒。

 もともとはつぐみの中にあった蝶の毒。

 ここから何か、ヒントは無いのだろうか。

 何かがつぐみの中で引っかかっている。

 蝶の毒の他に、変化するようなものが無かったか。


(考えろ、考えるんだ)


「あ、……ある!」


 蝶の毒以外にあるもの。

 それは奥戸に飲まされた、黒い水。

 つぐみの親友、沙十美を犠牲にして作られたもの。

 これと蝶の毒が混ざることによって、変化が起きたのではないだろうか。

 そういえば以前、沙十美のことで品子に聞けていないことがあった。

 それも含めて確認する必要がある。

 リビングに向かい、品子の正面に座るとつぐみは声を掛けた。


「先生、話を聞いてもらっていいですか?」



◇◇◇◇◇



「変化の理由が奥戸の黒い水かもしれない。君はそう考えているんだね?」

「はい、そして肩代わりでその変化した毒ごと、ヒイラギ君に入って行ったのではないかと思うのです」

「なるほどね、そういう考え方も出来るか」

「それで先生に聞きたいのです。先生は以前、沙十美からの伝言を私に伝えてくれましたよね。その言葉は、いつ聞いていたのですか?」


 飲んでいたお茶をテーブルに置き、品子は話し始めた。


「奥戸の事件の時、君をあの待機場所のビルに運び込んだ後だね。彼女が奥戸の発動能力である蝶の力を使い、私達を助けてくれたんだ」

「沙十美が、蝶の力を使っていたのですか? にわかには信じがたい話ですけれど」

「実は落月のある上級発動者に、君の存在を知られてしまっていたんだ。千堂君は、そいつにも他言させないと約束してくれた。現に今、君は無事だ。つまりはその約束も、彼女が守ってくれているという訳なのだが……」


 蝶の力を使えたという沙十美なら、この毒のことも分かるかもしれない。

 しかしながら、彼女はもう亡くなっている。

 だが今の品子の話を聞く限り、可能性は残されているように思えるのだ。

 

「先生。その時の状況と会話を、もう少し詳しく教えて下さい」



◇◇◇◇◇



「無理だな」

「うん、無理でしょ」


 仮二条資料室で、つぐみは品子と惟之にある計画を持ちかけた。

 その計画とは、沙十美が中にいるという落月の上級発動者に会い、沙十美と話をさせてもらうというものだ。

 そして沙十美を介して、ヒイラギの中にある変化した蝶の毒に接触を試みるというもの。

 しかし惟之にも品子にも、あっさりと却下されてしまった。

 だが、つぐみが思いつくのはこの計画しかない。

 そのためにはどうしても、その上級者の居場所を知ることが出来る惟之の『鷹の目』が必要なのだ。

 昨日の出来事もあり、今のつぐみの発言権は強くない。

 分かってはいるが、このまま可能性があるのにじっとしているのは、今の自分には無理な話だ。


「では、なぜ反対かを教えて下さい」

「ヒイラギのことを考えてくれるのは、ありがたいと思っているよ。だがあまりにも危険だ」


 品子はいつもの朗らかな調子と違い、改まった声で話をすすめる。


「相手の周りに複数の一般人がいる場所にいるのを確認して、そこで実行する。そうすれば周りの目もあり、簡単にこちらには手出しは出来ないと思います」

「では千堂沙十美が、その上級者の中にまだ存在していると言える根拠は?」


 続けて掛けられた、惟之からの質問。

 しばらく考えた後、つぐみは答えていく。


「私がこうして落月から襲われていないこと。これがその証拠ではないでしょうか。今その相手は沙十美の言う通りに、私の存在を落月に隠しています」


 こちらに言われた言葉を拾い、積み重ねていくのだ。


「つまりその落月の上級者と沙十美で、何か他言させない約束が成されているはず。それが沙十美からの相手に対する脅迫なのか、お互いにメリットのある契約なのかはわかりません。その約束が今も守られて、私は危害を受けていない。これにより、沙十美の存在があると私は考えます」


 皆と違い、発動を持ち合わせていないつぐみの持っている唯一の力である『観察力』。

 これを使い、必ずヒイラギを迎えに行くのだ。


 真っ直ぐに惟之の方を向き、つぐみは続ける。


「靭さん。あなたはその上級者の行動を、既に把握しているのではないのですか?」


 品子が、惟之を驚いた顔で見ている。

 彼はしばらく黙ってこちらを見た後、表情を変えずに答えた。


「……どうして、そう思ったのかな?」


 相手の動きをしっかり見ろ。

 言葉だけでなく、相手の行動を見逃すな。


「すみません。根拠は全くありませんでした。ですが今の返答で一瞬、言い淀んでいたこと。先生が驚いたのに、靭さんが冷静な態度で応じてくれたこと。さらに私の質問に対し「自分は把握していない」と答えませんでした。これらを考慮して、私は靭さんが相手の場所を把握しているのではないかと思った次第です」


 苦笑いを浮かべ、惟之はつぐみを見る。


「なかなかに意地悪な回答だな。木津家で君に最初に会った時を思い出すね。しかし君は、普段のおっとりしている時とこうして何かをなしえようとしている時。随分と違うものだね。あまりの違いに戸惑ってしまうよ」


 惟之の言葉に今度はつぐみが戸惑う。

 そんなに違って見えるものなのだろうか。

 自分としては相手の動きや言葉。

 それを捉えるのに一生懸命で、その自覚は無いのだが。


「……驚かせてしまったなら、申し訳ありません。靭さん、その人の場所を教えて頂けませんか?」

「仮に俺が知っていたとしよう。それでも教えられない。なぜなら君に、危険な目に遭ってほしくないからだ。昨日のこともある。自分のせいで目が覚めないヒイラギが、負い目になっているというのも十分に分かる。君は昨日、俺に言ってくれたよな。『自分一人で無茶をしない』と」


 その口調は責めるではなく、つぐみを思っての優しさが感じられるものだ。


「私は。……私は、約束しました。自分一人では無茶や暴走はしません。私だけでは出来ることは限られています。だから、だからお二人に」


 前にいる惟之と品子を見つめる。

 二人とも目を逸らすことなく、つぐみを見つめ返している。


「だから、助けて欲しいと言います。どうか、どうか私を助けてください」


 そのまま頭を下げ、言葉が返ってくるのを待つ。


 しばしの沈黙の後、戻ってきた答えは。


「……いーんじゃないかなぁ。私はいいよ」

「な! 品子、お前!」

「だって、決めてたもん。冬野君に助けて欲しいって言われたら大人として助けようって」

「もちろん俺だって、その気持ちは十分にあるさ。だが今回は賛成できない。彼女が危険な目に遭う可能性が高すぎる。相手はむろだぞ! わかってるのか?」

「もちろんわかってるよー。私だってこの間、あいつに足の骨を折られてるんだからさ」


 沙十美が中にいる落月の発動者は、室と言う人物なのか。

 前の事件で品子が足を怪我をしたと言っていたが、骨折までしていたとは。


「だったらそんな軽々しく返答するのはおかしいだろう。彼女に期待させておいて、出来ませんでしたでは話にならんぞ。そもそもだ。彼女の安全が確保されなければ、俺は鷹の目は使わないからな」

「……ふーん。それはつまり、彼女の安全が確保できる。それならお前は、全面的に協力するという事だな?」

「あぁ、そうだな。約束してやるよ」

「言ったな、惟之。……さて、冬野君。準備する時間を少し貰うよ。私は今から少し出掛けてくる。大丈夫。昼過ぎには、ここに帰って来れると思うよ」


 そう言って品子は、自分の荷物をまとめ始める。


「おい、品子。お前は一体、何を考えているんだ?」


 惟之の問いかけに、品子はにいっと笑うとこう言った。


「まぁ、そこはあれだよ。『大人の力』ってやつを使うのさ」

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