第58話 木津兄妹、動く

 前を走っていたシヤが唐突に立ち止まった。

 後ろをついていた品子は、彼女に声を掛ける。


「シヤ?」

「品子姉さん。つぐみさんが多分、捕まりました」


 シヤは目を閉じ、右耳に手を当て集中している。


「体を操られて、どこかへ移動させられているようです」

「ならば、リードで彼女のいる所へ!」

「それが出来ないのです。昨日もそうでしたが、この辺りに何か邪魔が入ってしまって。つぐみさんの声は聞くことが出来るのですが」


 品子は昨日の惟之の話を思い出す。

 ヒイラギが彼の元に辿り着くのに、ずいぶん時間が掛かっていた。

 つまりこの周辺には、何かしらの感知を鈍らせる妨害がなされているということだ。


「でも逆に考えれば、この近くに店とつぐみさんの存在があるはずなんです。リードの力、もう少し発動を強めます。なので品子姉さんには、私がどこか隠れられるような場所を見つけて欲しいのです」


 シヤはストールを握りながら、戸惑いの表情を浮かべている。

 確かにこの場で発動を強めたら、この子には困ることになってしまう。

 品子はシヤの頭をそっと撫でると優しく語り掛けた。


「すまない。この辺りなら車を停めておいても大丈夫そうだから、ここへ車を移動させる。少しだけ待っててくれ」

「はい、お願いします。惟之さんと兄さんにも、こちらに来てもらった方がいいと思います」

「わかった。二人にも来てもらおう」


 品子をまっすぐ見つめながら、シヤは続ける。


「もう、……間に合わないのは嫌なのです」


 冬野つぐみに対し、シヤの母親であるマキエの面影を垣間見ることは品子にも何度かあった。

 同じ思いをこの子も抱いていたということか。

 それにしてもシヤが他人に対して、ましてやたった一日、一緒に居ただけの彼女にここまでの思いを抱いていることに品子は驚く。


「……あぁ、そうだな。冬野君のことだ。きっと何か、こちらに気づかせるような行動を取るはず。私達はきちんとそれを見つけ出すよ。必ず彼女を取り戻すんだ」


 惟之達に連絡をしながら、品子は走り出す。

 今度こそは、あの時のような結末にはさせない。

 もう二度と彼らに、あんな顔をさせてはいけないのだ。

 強い決意を胸に、品子はひたすらに足を進めていくのだった。



◇◇◇◇◇



「品子、冬野つぐみの様子は?」


 車に乗り込んできた惟之に問われた品子は、シヤへと視線を向けた。

 シヤが品子を見て一度うなずくと、目を閉じて集中を始めていく。


「リードの発動を強めます。場所はやはりわからないです。ごめんなさい。声は皆に聞こえるようにします」


 すぅと息を吸い込むと、シヤの首に青い光が現れる。


 木津シヤ。

 媒体は『犬』

 彼女の発動能力『リード』はその対象者と彼女を結ぶもの。

 ただし彼女は繋がれる側。

 なのでこうして首に青い光が現れる。

 まるで首輪のように。

 対して相手側の手のひらにも同様の光が現れる。

 そう、こちらもまるで飼い主の引綱のように。

 そしてそれを通じて相手の場所及びその対象者の声を聞き、知ることが出来るのだ。


 何とも皮肉な能力だと品子は思う。

 発動者達は、確かに常人とは違う能力を持ち合わせている。

 これらの力はほとんどの者は、生まれつき備わっているものだ。

 ただその媒体の発動は本人が選べるものでもなく、その人間の環境なども影響して生まれると言われている。

 マキエからの最期の願いであった『人を助ける』という言葉。

 その約束を守るためにシヤはこの白日で心無い言葉を受け続けても、それに耐えながらここで生き続けている、……縛られている。

 そういった意味で組織に『繋がれた』彼女の能力が、このように発現してしまったのだろうか。

 同じようにヒイラギも。


「しょ、しょうかせんのまえ、に、うえきばち」


 シヤの口から聞こえる声に品子は我に返る。

 間違いなくこれはつぐみの声だ。


「さかを、のぼって、います」


 言葉の合間にヒューヒューと言う呼吸音がする。

 相当に苦しいのだろう。

 それでも彼女は、目に入ってくるであろう情報を品子達に伝えてきているのだ。


「でん、でんちゅ、うのばんごうは……」

「惟之、本部の方に電柱位置情報データあったよね? 冬野君が今、言った番号で場所がもう少し特定が出来るはず。確認をお願い」

「あぁ。今、頼んだ」


 数分後、惟之のスマホに来たデータと地図を合わせる。

 

「よし! ここからそう遠くない。ヒイラギ!」

「わかってるよ。行ってくる!」


 飛び出していくヒイラギに全てを託し品子は呟く。


「頼む、どうか間に合ってくれ……!」



◇◇◇◇◇



 走れ、急げ。

 心を落ち着かせるためヒイラギはいつもより強めに目を閉じて集中する。

 見えてくるのは道。

 発動はいつも通りに出来ている。

 それなのに気が焦って仕方がないのだ。

 集中しようと自分の頬を強く叩く。

 さらに冷静さを取り戻す為に、長く息を吐いていく。

 指定の場所へは二分もすればたどり着けるのだ。

 動揺を紛らわすため、ヒイラギは彼女を救い出してからの行動を口に出す。


「よし! まずは、とっとと連れ戻して帰るんだ。そうして余計なことするなって怒って、品子からも言ってもらって。それから……」


 きっと彼女は、馬鹿みたいに泣くだろう。

 そうしたら家にあるアイスと、自分が作る飯を食わせて帰らせればいい。

 あの時みたいに笑って、ご馳走様っていってからなら。

 あいつのことだ。

 ふわりともう一度、笑ってくれるにちがいない。

 そうやってこの間のように、笑顔で飯を食ったら。

 今日、泣いたとしてもその悲しみは忘れてくれるだろう。


 絡まりそうな足と悪い考え。

 それを必死に振り払いながら、細い路地をヒイラギは走り続ける。


 そんな彼の目に見覚えのある後ろ姿が映った。

 五十メートル程前を、つぐみが操り人形のような動きでゆるゆると歩いていく。

 間に合ったことに安堵をしながら、彼はつぐみへと声を掛ける。


「おい! あんた!」


 叫びながら、手を伸ばしていく。

 あと二十メートル位だろうか。

 広まった場所に出たのこともあり、速度を上げる。

 つぐみはこちらへは振り返らない。


(まぁいい、あと少しだ)


 強く足に力を込めて、前に踏み出した。

 ……はずだった。


「え?」


 足が、進まない。

 先へと、進めないのだ。


「嘘だろ?」


 自身の体が前へと進めないことにヒイラギは酷く動揺する。

 何もないはずなのに、前に進めない。

 壁のようなものがあるわけでもなく、ただ足が一歩も動けなくなるのだ。

 後ろに下がってみる。

 足は動く。

 これは出来るのだ。

 そこから更に二歩進もうとする。

 一歩目は進むが、二歩目になると足がピタリと止まってしまう。


「そんな……」


 目の前にはよろよろとしながら、小さな扉のある家に向かって行くつぐみの姿。

 見た限り普通の家のようで、看板などは出ていない。


「駄目だ。戻って来い! おい!」


 ヒイラギは声の限り叫ぶ。

 なのに彼の願いは、彼女には届かない。


 つぐみが扉を開いていく。

 その扉のわずかに見える隙間から、確かに雑貨らしき商品があるのをヒイラギは目にする。


「行くな! おい!」


 ヒイラギは声の限りに叫ぶ。

 その思いは叶うことなく、彼女は店の中へと入っていく。


 だめだ、行っちゃだめなんだよ。

 だって、嫌なんだ。

 もう自分の手の届かないところに行ってしまうのは、嫌なんだよ。

 こみ上げる思いをヒイラギは言葉として叫ぶ。


「嫌だ、嫌だっ、……冬野ぉっ!」


 名前を呼んだ時、つぐみの動きが止まった。

 さび付いたロボットのような緩慢かんまんな動きで、彼女は首だけをヒイラギに向ける。


「ひい、ら……」


 ヒイラギの目にはそう口を動かすつぐみが見える。

 目が、合っていた気がする。

 とても苦しそうな顔をして。

 扉はどんどんつぐみの姿を隠すかのように閉まっていく。

 ついには扉は閉まり、つぐみはヒイラギの前から完全に姿を消した。


「ああ、あっ、……うわぁぁぁぁ!」


 声の限りヒイラギは叫ぶ。


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。こんなの嫌だ! 認めないっ!」


 自分の声がうるさい。

 それは自覚している。

 それなのに口から音が勝手に出てくるのだ。


 いま声を止めたら、きっと自分は頭がおかしくなってしまう。

 そんな気がして止まらない。

 止められない。

 助けて、誰か助けて。

 お願い。とても苦しいんだ。


「ヒイラギ!」


 遠くで誰かが自分を呼ぶ声がするのが耳には届いている。

 それなのに自分は声を止めることが出来ない。


「落ち着け! 落ち着くんだ!」


 自分を呼んだ誰かは、揺さぶりながら叫んでいる。

 相手の言っていることは、ヒイラギにもわかるのだ。

 その一方で、頭の中には違う感情が重ねられていく。


 落ち着くのは無理だ。

 だって、だってさ。

 あいつ、いなくなっちゃったもん。

 俺に助けて欲しかったのにね。

 俺が助けなきゃいけなかったのにね。

 俺が……!


 思考のさなか「ゴシャッ」という音が響き、その直後ヒイラギの頭に激痛が走る。

 本能的に手が頭へと動いていく。

 一番、痛い場所である額。

 そこに手が届き触れた途端、信じられない痛みが走り思わずヒイラギは叫ぶ。


「痛った! 痛い! 何だよこれっ!」


 それと共に意識が徐々に戻ってくる感覚。

 自分を取り戻したヒイラギの目に映ったのは、間近にある品子の顔。

 品子の両手はヒイラギの肩を強く掴んでおり、彼女の額は赤く腫れている。

 その様子にヒイラギは、品子が自分に頭突きをしたのだと気付いた。


「やっと落ち着いたか、馬鹿者が」

「あ、俺……」

「惟之が全部みてた。何も話さなくていい」


 ヒイラギを少し離れた道路の端に座らせ、品子は店の方へと歩いていく。

 先程のヒイラギが進めなかった場所まで行くと、彼女の足は止まる。


「……なるほどな。何かしらの障壁があるのか」


 品子はポケットからハンカチを出すと、店の方向へと投げつけた。

 ハンカチは、ぽとりと数十センチ先で落ちる。


「物質は通り抜けるのか。発動者のみが通れないということだろうな」


 品子は、ヒイラギの元に戻ると彼の手を引っ張り立ち上がらせる。


「一旦、車に戻るぞ」


 それだけ言うと、ヒイラギの手を握ったままで歩いていく。


「お前のせいじゃないとは言わない。でもお前が自分を責めるのは違う。それだけ覚えておけ。あと頭突きが痛いんだったら、今のうちに泣いとけ」

「……泣かねぇし」

「……そうか」


 ヒイラギの視界がじわりと歪む。

 空いている方の手で顔をゴシゴシと擦るたびに、品子はヒイラギの手を強く握ってくる。

 これでは、小さな頃と変わらない。

 ぼんやりとヒイラギは昔を思い出していく。


 幼い頃に周りに酷いことをされた日に必ず品子は、ヒイラギとシヤに会いに来てくれていた。

 そうして兄妹を連れて、散歩に出かけるのだ。


 品子を真ん中に、三人で手を繋いで。

 歩いている時にヒイラギやシヤが泣いていると、品子は必ず手を強く握ってくれる。

 そうしてそのまま歩いて、少し離れたところにあるお店でアイスを買う。

 チョコアイスが売り切れてると品子は、その度にお店のおばちゃんに怒っていたものだ。


『アイスを持ってると三人で手を繋げなくなるよ。だからすぐアイスを食べなさい!』


 いつも品子はそう言うものだから、ヒイラギとシヤは慌ててアイスを食べる。

 二人は一生懸命に食べてるうちに、泣くのを忘れていく。

 それを見届けると品子は『もう泣かないで良いものね』と言って手を二人へと差し出すのだ。

 

 帰りは泣かないで、また三人で手を繋いで帰る。

 その品子の手は、とても温かくて柔らかくて。

 その時の感触が重なり、ヒイラギの胸は苦しくなっていく。


 あぁ、この手に俺達はどれだけ救われてきたことだろう。

 大きくもない、力強くもないこの手に、どうしてこんなに力があるのだろう。


 守られていた、救われていたことを思い出し、ヒイラギは言葉を詰まらせながらも品子を呼ぶ。


「品子。俺は……」


 品子はヒイラギを見つめてくる。


『困っている人を助けてあげて』


 母から託された最期の思い。

 今なら母のこの言葉を少しながら理解できる。

 あいつは、冬野つぐみは親友のために、力も持たないのに必死に親友を救おうとしている。

 自分も救いたい、守りたい。

 今まで持つことのなかった、気づけなかったその思いの存在を。

 その思いが生まれてきたことを、ヒイラギは品子へと伝えていく。


「俺はあいつを、店から引っ張り出したい。手を貸してくれないか? どうしたらいいかもわからない。どうしたら助けられるかも。でも、助けたいんだ。このまま何もせずにいるのなんて、嫌なんだ」


 言葉が続かずヒイラギは、品子の手を強く握り締め願う。

 だからその手を。

 俺達に力をくれた、優しくて強いその手を……。


「私の協力賃は高いぞ」


 繋いでいた手をそっと外すと、くしゃりとヒイラギの頭を撫で品子は続ける。


「本部に協力要請を惟之が出してるはず。車に戻る頃には返事も来てるだろうよ」


 大きく伸びをした後、ヒイラギを見て品子は呟く。


「……さてと。お姫様救出大作戦といきますかね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る