第372話 十鳥巧は嘲る
自分の周囲の壁と床にあるのは、幾筋ものえぐられた跡。
「どうしますか? そろそろ、投降するという判断がよろしいのではないかと。あぁ、それとも」
彼女にされたようにくすくすと笑いながら、顔を伏せしゃがみ込んでいる清乃へと尋ねてみせる。
「自分の攻撃が当たらない。その驚きで声すら出ないといったところですかね?
さぞ彼女は悔しいことだろう。
人出清乃の媒体は『虎』。
高い攻撃力と能力を持ち合わせ、
兄である
そのおかげで、現場に出ることはほとんどなく、あっさりと彼女は長の座へと就任している。
さらには優秀な部下に恵まれたこともあり、清乃本人の性格や資質が不適格であること。
これが
だが、ふたを開けてみればこの通り。
上級発動者でもない自分に、散々に痛めつけられているではないか。
「ここまで追い込まれるなんて、今までのあなたにはなかったでしょう。本当に、……お可哀想に」
十鳥に切り裂かれた左肩を押さえ、清乃はうつむいたままだ。
「せっかくのその鋭い爪も、その華奢な腕からとは思えない強い力も。全て、私の前では無駄なんです」
虎は茂みなどに身を隠す際に、自らの模様によって体の輪郭をぼやかすことが出来るという。
当初はその媒体特性により、攻撃を当てるのに苦労した。
だが十鳥は高辺から、自分の媒体以外の能力を
その力とは、模倣と順応性。
自分へと向けられた攻撃を即座に模倣、それを相手に打ち返し、相殺させる。
同時に相手には、攻撃を途中で止めてしまった状態へ。
つまりは『軽度の反動』を起こさせるのだ。
これにより、相手はしばらくの間、行動不能となる。
あとは身動きの取れない相手に、攻撃を加えていくだけ。
自分の攻撃が当たらないことで、焦りを見せる清乃の表情を楽しみながら、彼女を追い詰めていく。
何と愉快なことか。
多くの傷を負った彼女と、まったく攻撃を受けていない自分。
歴然とした力の差に、優越感に浸りながら十鳥は声を掛ける。
「もう決着はつきましたね。大人しく……」
「お断りいたします」
十鳥の言葉を待たず、清乃は答えてくる。
「自分自身ではなく、力ある人物の姿と能力を借りなければ行動できない。そんな人に、私が従うなどありえません」
どうしてこの女は、こうも自分をいらだたせるのか。
「人出様、発言には気を付けた方がよろしいのでは。今のこの状況に置いて、立場や上下関係などは、意味のないものなのですよ」
「あらあら。ご自身がお立場を忘れ、随分と勘違いなさっている発言をしてきているというのにですか?」
乱れた髪をかき上げながら、見上げてくる清乃に十鳥は言葉をぶつけていく。
「ならばあなたこそがそうではないか! 兄の力に甘え、自らは動こうとしない!」
彼女の兄、
だが十鳥が正式に一条に入る前に、清春は亡くなっており、その能力を目の当たりにすることはなかった。
清春は戦闘もさることながら、人心掌握術に優れた人物であったと聞いている。
しかしながら、妹であるこの女からはそれは全く感じられない。
おおかた兄の評判も、彼ら兄妹の箔をつけるために作られた話なのではなかろうか。
大した力も持ち合わせず、だがそれでも上に立っている。
そんな彼女に対し、芽生えた怒りを十鳥はぶつけていく。
「動くだけ無能の方が、マシというものですよ。……あぁ。動く無能と言えば、あなたのお嬢さんでしょうかね」
清乃の表情がこわばるのを見届け、十鳥は
「『虎の威を借る狐』。あなたたち母娘を文字通りに表した、なんともよくできた言葉ではありませんか。低能な狐がいきがって行動し、愚かにも捕まってしまう」
清乃の目に強い光が宿ると、右手が大きく振りかぶられる。
わずかに遅れながら、同じ動きを十鳥は彼女へと行ってみせた。
清乃の腕は、十鳥の発動により、振り下ろされる半ばで突然に動きを止める。
余裕の表情でそれを見届ながら、彼女の腕をつかめば、いらだった表情が自分へと向けられた。
返事とばかりに笑顔を見せ、左手の指先で彼女の腕をゆっくりとなぞってみせる。
「その結果、母親をこうして危機にさらしているのですから」
ゆるやかに滑らせるだけでも、吉晴の発動であれば、人の皮膚など容易く切り裂けているはず。
だがその攻撃ですら、こうして彼女には血が滲む程度の傷しかつけることが出来ない。
「虎の皮には『そうはいかない』という意味合いもおありだとか。攻撃を通さぬ厄介な発動ですよ。まぁ、それでもこちらが優位ということに何ら変わりはありませんが」
とはいえ、いつまでもここで時間を費やす必要はない。
さっさとこの女を、黙らせることにしよう。
「さて、清乃様。そろそろ投降していただけないでしょうか? 断るというのであれば、不本意ではありますが少々、手荒い方法で眠っていただくことになります」
また忌々しい言葉を吐いてくるだろうか。
だが、清乃はゆっくりと腕を下ろすと、消え入りそうな声で十鳥へと問うてくるのだ。
「抵抗せずあなたに着いていけば、……私は、娘に会えるのですか?」
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