第3話 龍一郎の素性

龍一郎の本名は、前田龍一郎吉徳と言う、当代、加賀藩前田家 領主の嫡男である。

幕府への跡目相続名義は、次男とされている、その仔細と橘姓を名乗るに至った経緯は八年前に遡る。その日、龍一郎のたっての願いにより、江戸上屋敷にて家族四人、加賀藩領主である父・綱紀、母・お栄の方、弟・富五郎だけの集まりがなされた。

先ず龍一郎が父に礼を述べた。

「父上、私の願いにより格別なる集まりにお礼申し上げます」

「そなたの願いとは簡単なものじゃの、だが集まりが願いではあるまい」

「はい、父上、早速本題に入らせて戴きます。近年、藩士の数が増えているのを御存知でしょうか」

「正確な数は知らぬが、存じておる、何じゃ話とは政(マツリゴト)の話か、そちにはまだ早いぞ」

「なぜ、増やさねば、成らぬとお思いしょうか」

龍一郎は父の言葉を無視し尚も問うた。

「藩の役務が、忙しいのであろう」

「何か、新たに事業を始められましたでしょうか」

「そのような、事は耳にしておらぬ、龍一郎、そちは、何が言いたいのじゃ」

「父上、何も新たな事業もなく、止めた者の補充でもなく、何故に増員が必要なのでございま しょうや。

年老いて隠居したものは、倅が家督を相続いたしておるはず。

倅がおらぬ者は、娘に婿を貰い、家督を相続いたします。

子おらぬものは、姻戚より、次男、三男を養子とし、家督を相続いたしております。

今まで、少人数で多忙に役務をこなし、あまりにも激務ゆえの増員でございましょうか。

たとえば、父上が何かの書付を所望し、持ってくるのが遅かったなど、ございましたでしょうか。

その他、何かを所望し、遅延がございましたでしょうか、その様な、ご記憶は、ござりましょうや」

「うむ・・・・無い、全く、無い、記憶にない。

そちも存じておろうが、わしは、のんきに見えて存外にせっかちじゃ。

所望した物に遅れなどあれば、怒っておる、そのような記憶はない」

「では、新たな事業でもなく、家督を相続でもなく、多忙ゆえでもなし。

・・となれば、何故でございましょうや・・・・」

「むぅー・・・・・・」

龍一郎は、父が考え込むのを、ただじっと見つめていたが暫くして龍一郎が続けた。

「一人の下役、下級武士を新たに召し抱えたとします。

江戸なれば、上、中、下、お蔵等の屋敷内の長屋に住まわせることになります。

国許なれば、市中のどこぞの長屋に住むことになります。

新たな者が中級武士なれば、それぞれが、上等なものになります。

上級武士なれば、更に上等なものと成ります。

又、それぞれの階級に応じた扶持米も当然必要となります。

これは、言うまでもなく、藩の蔵から出てゆくことになります。

又、実態はと申しますと、上級になればなるほど、江戸でも、国許でも別邸と称して、個人の家を持っており、その費用も掛かります」

「待て、その別邸とは、なんじゃ、わしは、知らぬぞ、ましてや、それも藩から金が出ておると申すか」

「父上、別邸と申すのは、世情の噂を避ける為てす。

実態は、側室・・・まあー、庶民が言う妾を住まわせる家で御座います」

「何、側室・・・妾とな、そのようなものに藩が金を出しておるはずがなかろう」と怒り気味である。

「父上、大変、失礼ながら、父上は、世間知らずの、お坊ちゃまでございますな・・・・・」

と倅に言われ

「何ーーー」

と今度は、怒りを新たにした。

龍一郎は少しも慌てることなく、頭を下げ言葉を続けた。

「父上、恐れ多くも、東照神君家康公が、平和な徳川の御世を築かれて、いか程の年月が過ぎ去ったか、もちろん、ご存知でこざりましょう」

この言葉に、虚を衝かれたように、父親である殿が、又、静かに聴く側へと回った。

「もちろんじゃ、百数十年経っておる」

「はい、このように、長きに渡り平和が続きますと、平和ぼけと申しますか、武士の本分を忘れる族(やから)も増えてまいります。

大変、大変、失礼と存じますが、戦国の世の大将は、武術に優れた者にございました、父上の剣技の程は、・・・」

「うぬー」

と新たな怒りを一瞬表したが、考え込み、暫くして

「そちの言う通りじゃ、今、武士の本分たる戦が始まってみよ、わしなど足でまといにしかなるまいな。

剣が立つ訳でなし、力持ちでなし、戦略に長けておる訳でもない・・・」

「父上、父上だけだはございませぬ、各大名や江戸におる、上様直属の直参旗本ですら、武士の本分を忘れ、遊興に耽っておる者が多数おります。

農民は田畑を耕し、米、野菜、果物を作りそれを売り生活の糧としており、銭を得ております。

人足は己が体で物を運び、道、橋、家を作り、銭を得ております。

商人はいろいろな物産を仕入れ売りその差益を得ております。

父上、武士は何をして糧としておるのでございましょう」と問うた。

「うぬー、他国からの侵略があった時、領民を守るのじゃ」

「父上、徳川のこの御世、他国を武力で攻める者などおりましょうや」

「うぬー、おるはずもないの~」

「父上、用心棒と言う職業をご存知ですか」

「知らぬ、今度は何じゃ」

話の主導権を完全に龍一郎が握っており母・お栄の方は龍一郎を感慨の目で見つめていた。

「大店の商家では、品物もいっぱいあり、金も貯まります。

これを狙い、盗賊が押し入ったり、強請り、集りと申しまして、ようは商売の邪魔をする族がおります。

其の為剣技に優れた浪人が雇われこの者どもを退治するのです」

「浪人とは申せ、武士であろう、その者が商家に仕えておるのか」

「はい、・・・父上」

「なんじゃ」

「やくざ・・・と言う職業をご存知ですか」

「知らぬ、また今度は何じゃ」

「今暫くお付き合い下さい。

やくざとは定められた区画の商家、民家から何がしかの銭を集めるものたちです」

「その、やくざとやらは、商家、民家に何をしてやるのじゃ」

「何も、・・・良いことは何もいたしませぬ」

「何やら、含みのある言い方じゃな」

「はい、やくざが集める銭をみか締め料と申しまして、先ほどの商家のように悪人が来た時に退治すると申して銭を集めます」

「仕事をしておるではないか」

ふふふと龍一郎が笑った。

「悪人など来るのは稀でございます、が、銭を払わぬと、毎日、毎日、酷い時には日に何度も参ります。

お分かりで御座いましょう、やくざ自身が銭を払うと言うまで、悪さを繰り返します。

商売にならず、払うことになるので御座います」

「惨いのぉー」

「惨うございます」

「まさか、我が城下には、おるまいのぉ」

「残念ながら、越前、越後、能登を見比べましても、加賀金沢の城下が一番です。

人数も、集める銭も、多うございます。

それも、桁が違います、一年ですと、一つのやくざの組で数千両になります」

「なんと」

殿様である父が絶句し横で聞いている母も弟も同じ様に驚いていた。

「こんな事で驚いていけません。

先ほど、父上が申されました、武士の務めは、他国からの防御との事でした。

この点から申せば、領民内部のことですから務めの外になります。

今一つ武士の勤めがございます」

ここで、父親がしゃべりそうになったので、手で止し、

「失礼ながら、今暫くお聞きください」

と言い続けて話し出した。

「父上は、その為に、町奉行所が設置されていると申されたいと存じます。

ですが当藩だけに限らず全藩の町の奉行所はその任を果たしておりませぬ。

なぜならば、やくざの組から奉行所に金が配られておるからです。

その金額は、役職の上下によって異なります。

又、先ほど申しました、やくざの定められた区画と申しましたが、この区画のことを縄張りと申します。

別に法や何かで決まっているわけではありませぬ、

隣の地区に別のやくざがいて敵対関係にあり縄張りを広げられないのです。

又、この縄張りに遊興地、遊郭、飲み屋などが多く存在すれば、集まる金も多くなります。

集める金を上がりと申しますが、この上がりの良い組からは、奉行所に配られる金子も多くなります。

下は月々2両、5両、中間で20、30両、上位職で50両くらいでしょうか。

もし、加賀の町奉行がこの賂(マイナイ)を受けるとすれば、一組でなく市中全てとしますと、一月500両は超えるでしょう」

ここで、又、父親がしゃべりそうになったので、又も手で止した。

「父上は、その為に、目付けがいると申されたいのでございましょう。

ですが藩によっては、目付けも仲間にございます、酷い藩は家老までに及んでおります。

当藩がどこまでかは残念ながら存じませぬが、必ずや誰かが受け取っております。

そこで父上にお願いがございます・・・・・。

今の話でご立腹と存じますが、今暫く家老などを通しての詮索、探索、取り締まりは、お控え下さい。

何故と申されれば、もし主席家老や七家が受け取る最高位におります時お命にかかわります。

詮索する父上より虚けで通っております私の方が操り易いと考えれば、どうなりましょうや」

その言葉に父、母、弟も絶句し、

「よもや・・・」と父が言い、暫し考え

「有るやも知れぬ、其方の言う通りじゃ」と言った、次いで、

「それで、儂にどうしろと言うのじゃ、又、其方は何をするつもりじゃ」と問うた。

「父上、母上、富五郎は今まで通りでいて下さい。

もし、おやと思う事がありましても、軽い極々軽い問いに留めて下さい。

特に今の私の話で、これまでとは全てが違って見えましょう。

そこを是非にも堪え見えぬ、聞こえぬ、知らぬでお願いいたします。」

「うむー・・・解った、奥、富五郎、良いな」

二人は神妙に肯いた。

「して、そちは、何を致す」

「それにつきまして、父上、母上にお願いが幾つかございます」

「言うてみよ」

「はい、まず、一つ目の前に、私の話を最後まで、お聞きの上、ご判断下さい。と、お願い申し上げます」

「うむ」

「家督は、弟、富五郎に継がせて下さい、 世子は富五郎にお願いします」

この言葉に、父は「何ーー」、母は「なんとー」、弟は「兄上ー」とそれぞれに驚きの声を発した。

龍一郎は、ゆっくり左手を上げ、手の平を広げ、それ以上の話、文句、質問を止めた。

だが、母・お栄の方の言葉を止めることは、できなかった。

「龍一郎殿、確かに、貴方は、私の実の子ではありません、富五郎が実の子です。

しかし、私は龍一郎殿が家督を相続する事に何も不満はございません。

富五郎もありません、富五郎、どうですな」

「はい、その通りです、兄上には、兄上には、何においても、適いませぬ。

悔しく思った事もございませぬ、ただ、ただ、尊敬するばかりです。

もし、兄上が隣の藩を攻めよ、と申されれば多分、いえ、必ず、従います。

これが私の嘘偽りなき言葉にございます。」

「龍一郎殿、富五郎も、この様に申しております、私もそなたを実の子と思うております」

「母上、ありがたいお言葉にございます、富五郎、ありがたいぞ。

しかし、これは加賀藩百ニ万石の今後百年の為の策にございます」

「我藩の今後百年とな」

「はい、加賀藩前田家の百年の安泰を確かとする秘策にございます」

「・・・・・うむ~、続けよ」

「はい、二つ目の願いもお聞き下さい」

父はもう、肯くだけだった。

「二名の藩士と二名の領民を借受けとうございます、その者たちには、既に了解を取ってございます」

「藩士とは、誰と誰じゃ」

「私めの爺と富五郎の爺にございます」

「何、 総左衛門と庄右衛門と申すか」

「はい」

「二人は承諾したと申したな」

「はい、既に了承しております、他に領民・・・商人でございますが二名もございます」

ここで龍一郎は嘘を付いた、他に所領地加賀の藩士二名も仲間に引き入れていたが、あえて伏せた。

「商人なれば、そなたの思い通り、如何様にも致せ」

「有りがたき幸せにございます」

「その四名を如何に致す」

「その事につき、父上になんとしても、これだけは意を通して戴きたいのでございます」

「誰ぞ、異を唱えると申すか、その様な事か」

「はい、お話申し上げます事に絡んでおます」

と龍一郎は年貢米の収集・管理、加賀友禅の収集・管理、輪島塗りの集積・管理について語った。

「龍一郎、お前の危惧は理解した、して頼みとは・・・」

「米の集積・管理を幕府の様に米問屋に集中させます、これを総左衛門殿に任せます、又、友禅と輪島塗りとを庄右衛門殿に任せます、必ずや七家の何れ(イズレ)かが反意を申します、ぜひとも父上には、この儀だけは、意を通して戴きたい」

「・・・・解った、努力しよう」

「努力ではなく実現して戴かなければなりません、商いの当初は賂の要求も当然ございます、これについては両主に意を唱えてはならぬと申し付けてございます」

「断固、拒否したら、いかがいたすな」

「何としても承知させて下さい、商いが始まり利が以前よりも多ければ意を唱えた者も協力者に変貌致します、まぁそれにても、父上に背信している者も解ります、が・・・決して咎めてはなりません、気付いた素振りも見せてはなりません、馬鹿を通して下さい」

「気付いた素振りを見せれば・・・これか」と首に手をやった。

「はい、その通りにございます、母上も馬鹿で、お通し下さい、富五郎もな」

「解りました」と 富五郎 が答え母が頷いた。

「しかし、伜(そち)は世情に詳しいのぉー。

うむ、そうか屋敷を抜け出し若輩にして遊興に耽っておると思うておったが・・・。

済まぬ、そうとは知らず座敷牢に入れた事もあった。

今更ながら許してくれーい・・・。

して其方にこのような決断をさせた言われがあろう・・・話してくれぬか。」

龍一郎は父をじっと見つめ視線を母、弟と移し頷いた。

「では、私の企てだけではなく決意した経緯(イキサツ)もお話します」と話出した。

龍一郎の話は要点だけで四半刻程で終わった。


「うむ・・・・」と父が唸れば

「なんと・・の」と母が絶句し

「・・・」富五郎は驚きに言葉も無かった。

「この先、家族一丸と成り馬鹿を演じて戴きます。

この様に真実の姿をお見せになる事がございません様に、お願い致します。

三人だけと思うても、影に忍びが居るやも知れませぬ」

「何~忍びとな、今はどうじゃ居らぬのか」

「日々、忍んでおります、が、今は、この集まりの前に仕掛けをしてございます。

故に近づく者が居れば私に解ります、しかし、それも私がこの場を離れれば破られます。

故に今後如何なる刻も忍びが居ると思い真実の姿をお隠し下さい」

「・・・・うむ、太平の世に忍びがのぉ~」

「正直申しまして当家も忍びを飼うております」

「何~」

「何と」

「兄上~」

「忍びは、幕府より抱える事を禁じられておる。

もし当家に抱えし事が真でお上に知れれば只では済まぬぞ」

「父上、お上も既に知っておりますし、忍びを抱えるのは当藩だけではございません。

但し、忍びを抱える何れ(イズレ)の藩も藩主がその存在を知っております。

当家はご存知無き様で、そこが問題にございます」

「・・・・そちの申す事、良く解った、奥、富五郎、我らこれより龍一郎が戻るまで何年掛かろうと馬鹿を通すぞ、良いな」

「はい、殿」

「畏まりました」

「申し訳ございませぬ」

「何を申す、儂の方こそ、そなたに苦労を掛ける、すまぬ」

加賀百万石の殿様が倅に頭を下げ、はっと気が付いた様に言った。

「おぉそうじゃ、そなたの守護を祈願して、当家家宝、三池典太光世を授ける。

そなた一人に、当家の危難を託す、その侘びと思うてくれい」

「大典太にございますか」

「そうじゃ、そなたが密かに剣にて修行しておる事は知っておる。

当家秘宝そなたの身に有るが一番安全じゃ、ぜひにも、持参致せ」

「ありがとう存じます、これに勝る道行はございません」

「これからの危難を思えば、儂にはこれ位しか出来ぬ、許せ」

「幕府よりの宝物謁見は如何に(イカニ)」

「心配致すな、馬鹿でも雄藩百二万石の藩主じゃ如何様(イカヨウ)にもなる、早々に持ち去るが良い」

「有難き幸せに存じまする」

こうして、三池典太光世、大典太が龍一郎の愛剣となった。

時は宝永4年(1707年)龍一郎が十六歳の元服を迎える僅か前の事で有った。

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