第260話 里の一夜

「八重、佐紀様は厳しいなぁ~」

「何を言っているのですか、佐助さん、佐紀様はとても力を抑えて下さいました」

「まぁ、そうだがよぉ~、龍一郎様ならよ、皆が力の限界近くに留めて下さると思うね」

「そんな神業は龍一郎様だから出来る事よ、佐紀様も凄いけど龍一郎様の様にはいかないのよ」

「何度も問い掛けているんだけんど、なして、江戸者はあげに強いんだべ、大人になってからの修行で、其れも何年かだけだべ、儂らの里じゃ~よ、幼い頃から何年も修行している、そんな大人たちよりも強い、何故なんだべ」

年少組の一人が二人の話に割り込んで尋ねた。

「そうだ、第一よ、お前ら二人だけが何で強うなる、儂らと同じ修行をしている、なのに何でお前ら二人だけが強うなる」

「二人だけじゃねぇ~ぞ、近頃は巳之吉と朋吉も強うなった様に見える、あの修行嫌いの二人が何故だ」

「二人は龍一郎様に叱られてから変わった様に感じるが龍一郎様は何と言って叱ったんだ、佐助は知っているだろう」

「ああ、その場におった、だがよ、龍一郎様は何も言うて無い、眼さえ開けなんだ、只、二人の前に座っていただけだ」

「嘘だ、何も言わんで変わるか」

「嘘じゃ無い、八重も一緒だったから聞いてみろ」

「八重、龍一郎様は何と言ったんだ」

「佐助さんが言った通りよ、龍一郎様は無言で眼も開けなかった・・・でもね、龍一郎様が発する気は凄い物でした、里の組頭たちは汗が吹き出し、中には震えている人もいました」

「・・・それだけか・・・」

「それだけだ、次の日から二人の修行が変わった・・・嫌々だったのが一変した」

当の本人たち、巳之吉、朋吉も同じ部屋の隅にいて、何かをして居た。

「おい、巳之吉、朋吉、こっちへ来い」

年上の少年が二人を呼んだ。

巳之吉は振り向いたが動かなかった。

「こっちへ来い」

「儂らは忙しい、放っておいてくれ」

「何が忙しいものか、来いといったら来い」

巳之吉と朋吉は全く動く様子は無かった。

「相も変わらず、態度が悪い餓鬼だ」

「貴方がたが伸びない訳ね、二人が何をしているか、解らないんだから、ね~佐助さん」

「儂らも二人の処へ行こう」

「そうだね、こんな話は時間の無駄ね」

「何だと~」

「あの二人はな、あんたらの無駄話の間に仙花の練習をしているんだよ」

佐助は八重と共に巳之吉、朋吉に処へ行き、仙花の練習に加わった。


「統領、統領は儂らよりも年長だ、なのにどんどん技前も体力も強くなって行く、儂らは若く力も強くなっているのに統領に追い付けぬ、何故じゃ」

「さてなぁ~、儂にも解らん、儂は只、龍一郎様の言われる通りに鍛錬しておるだけじゃ」

「それじゃ~、儂らと同じじゃなぁ」

「ああ、何とも不思議な話だべ」

「なしてたべなぁ~」

「龍一郎様が言われた事がある・・・儂は父親が統領であった故に統領に成るべく幼き頃より運命付けられていた、己の意思では無い、欲求でも無い、望みでも無い・・・其方らも忍びの里に生まれ己の意思、望みに関わらず、幼き頃より修行をして来た・・・じゃが、江戸の方々は望んで龍一郎様の配下と成り、己の望みで強くなるべく修行している・・・とな、龍一郎様は言われた、強く成る為、力を付ける為の修行、鍛錬は定めでは無い、己の欲が強くするのだとな」

「儂も強う成りたいと思うておるが・・・」

「江戸の平四郎様、誠一郎様が言われた、鍛錬は辛くないのか、との問いにな、身体が辛い事は有っても心が辛いと思う事は無い、逆に身体が辛い鍛錬程に身になるとの思いが強く喜びを感じるとな・・・その言葉を聞くまでの儂は身体が辛い刻は心も辛かった、今でもまだ心が辛い刻がある、じゃが喜びを感じる事も増えて来た・・・心が辛い刻、忍びの里に生まれた運命を呪う刻もあった、じゃが今は己を強く出来る立場にある事に感謝しておる・・・まだまだ、心が挫ける刻もある・・・故に江戸の方々の様に強くは成れぬのかも知れぬ」

「・・・確かに儂は身体と心を分けて考えた事は無い、辛いは辛いと思っておる、そんな刻にふと忍びの里に生まれた己の運命を呪う事がある、確かにある」

「儂と其方らの違いがもう一つある事に今、気が付いた・・・龍一郎様への信頼じゃ、儂はあのお方を信頼しておる、技の凄さをこの眼で見ておるからかのぉ~、じゃが、其方らはあのお方の本当の凄さを知らぬ、故に信頼が足りぬ、疑いの眼で見ておるのやも知れぬ」

「そうか・・・甚八の統領が従うから儂らも従っているだけと言う思いがあるからか・・・」

「うむ~、良し儂から龍一郎様にお願いしてみよう、何か手を考えて下さるであろう」


「仙太郎殿、次郎太殿、律殿、幸殿、里の本物の山修行はいかがでしたかな」

集会所として使われている建屋で龍一郎が四人の新参者に尋ねた。

「はい、流石に本物です、丘屋敷の山とは違いました、凄く苦しかった、ですが終わった刻には満足でした、達成感とはあの様な物なのですね、遣り甲斐があります」

「苦しくて、辛くて、止めたいとは思いませんでしたか」

「飛んでもありません、強くなって行く実感がありましたから、三人はどうだった」

「私も息が上がって苦しかったですが辛いとは思いませんでした」

「私もです、辛いとは思いませんでした、苦しいとは思いましたが、幸さんはどうでしたか」

「私も苦しいとは思いましたが辛いとは思いませんでした、自分にこんな力があるんだと驚くだけでした」

「幸さんもですか、私も自分にこんな力がある事に驚き、嬉しいと思いました、自分には他にどんな力があるのか知りたい、試してみたい・・・そう思いました」

「良い心持ちじゃ、其方らには素養がある」

「素養とは何で御座いますか」

「達人になる見込みがあると言う事よ」

「我らも皆さまの様に成れるのですか」

「そうじゃ、此処にいる者たちには修行を辛いと思うが・・・思う程に喜びが沸くのじゃ、辛い修行ほど己を強くするからじゃ、じゃが気を付けねば成らぬ事がある、其れは行う修行が己の身体と心の何を鍛えるかを知っておる事じゃ、それを意識しているといないとでは得られる効果が何倍も違ったものになる、また、工夫も忘れては成らぬ、手足の重し、走りながらの仙花修練がそうじゃ、其方らも新たな工夫を考えてみるのも良かろう」

「はい、心掛けます」

「師匠、儂は修行を辛いなどと思うた事は無いぞ」

平太が三郎太に言った。

「まぁ、お前は馬鹿だからな、何も考えぬのだよ、それが良いのだ」

「師匠、誉められているのか、馬鹿にされているのか解らん」

それを聞いていた皆が苦笑いしていた。

「龍一郎様、お聞きしたいのですが、宜しいですか」

「何でしょう、話を聞かねば、良いも悪いもありませぬな」

「はい、では申し上げます、龍一郎様が仲間に入れる条件に修行を辛い、又は辛いと思うても止めぬ者と言う事は御座いますか」

「お花、いや揚羽であったな、良くぞ気が付いた、人には修行が辛いと止める者が殆どでな、稀に辛い修行を楽しいと感ずる者がおる・・・其方ら皆が、その稀な者達なのじゃ」

「龍一郎様はそれが解りますのですか」

「人は何気無い仕草に心の内を表すものじゃ、これはと思う者も一度修行すれば確実となる」

「言うまでも無く、父上は辛い剣の修行を長年されて居られた、お久殿、娘のお峰殿も然り、平四郎殿、妹のお有殿も然り、清吉殿は根気のいる長年の十手持ち、その妻女・お駒殿は長年の清吉殿の一癖も二癖もある配下の者たちを手なづけてまいった、その子の平太殿、舞殿は両親を見て来て素養があるのではと賭けてみたが儂の予想を超えておった、お高殿、揚羽殿は難癖も付ける者もおるであろう料亭を切り盛りして来た、双角殿、慈恩殿は己の願いで長年の修行を続けておった、だが、知り合った刻にはその修行の意義を見失って居られた様であったがな、与力の十兵衛殿、同心の鐘四郎殿については言うまでも無い、身体と心が高みを望んでおったからな、さて、葉月殿、弥生殿の姉妹、元柳生の鰐淵殿、井上殿の四人じゃ、姉妹は生きる為に工夫を凝らし己の意思で鍛錬をしておった、其方らの素養については言うまでも無い・・・後は我らに対する信頼のみじゃ、もし、我らに対し不信を感じ離れたいと思うた刻は遠慮のう去るが良い、許す、追う事などせぬと約定する、元柳生の二人の同じじゃ、今の其方らは我らの仲間との思いであろう、我らも仲間と思うて居る、じゃが、今後、元の仲間に会う機会があるに違いない、もしやすると敵対するやも知れぬ、そのおりに元の鞘に戻りたいと思うたならば遠慮のう戻るが良い、許す、追う事も戻る様に説得もせぬ・・・雪、儂は其方に会うと刻、我が妻女・佐紀に会うた刻を思い出した、其方の歩みの音は儂が初めて聞いた佐紀の歩みの音と同じであった、素養の溢れた足腰の強さを感じさせる足音であった・・・後は佐紀じゃ、其方は此れまでに己よりも強い者に会うた刻が無い、だが、世の中は広い必ずや其方よりも強い者に会うであろう、その刻に己の行いを思案して置く事じゃな」

「旦那様、御助言ありがとう御座います、私は既に考えて御座います、旦那様は昔、己より強い者に会うた刻、その方の弟子になったと申しました、私は私の師匠は旦那様以外に無いと決めております、故に敵わぬ相手に会うた刻には一目散に貴方様の元に参りたいと決めて居ります」

「うむ、それが良い、儂が守る、一つ付け加えて置く、千代田の城の結界を張りし者は其方が太刀打ち出来る者では無い・・・」

「承知しました、心に留め置きます」

佐紀が龍一郎の方に姿勢を変え、眼に薄っすらと涙を浮かべ暫く龍一郎の瞳を見詰めた後、平伏した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る