第224話 大工の棟梁・健吉

ドン、ドン、ドン。

「御免なさいよ、健吉親方~、夜分すんません、駒清の清吉で~御座いま~す」

「全く、誰だい、夕餉が終わってのんびりしてるのにさ~」

「夜分すんません、駒清の清吉で御座います」

「おや、珍しいね」

臆病窓が開かれ顔を確かめられ引き戸が開けられた。

「十手持ちが困り事の相談でも無いだろうに、どうなさったね」

「へい、棟梁に仕事の依頼でさぁ」

「えぇ~、船宿を今度は何に変えようってんですね、さぁ上がった、上がった、見た事が無い連れだねぇ」

「しかし、女将さんよぉ、臆病窓から面を確かめる程の銭を持っていなさるかね」

清吉は女将の問いには答えず軽口で問うた。

「銭なんてないやね、が命有っての銭だからね」

「銭の無い処にゃ賊は来ませんぜ」

「有るか無いかは他人にゃ解らないじゃないか」

「違いねぇ~」

三人は大きな神棚を背に火鉢の前で茶を飲む棟梁のいる居間に入った。

「親方、御無沙汰しております、あっしらのお店(たな)じゃお世話になりやした、あれから挨拶もせず申し訳御座いやせんでした」

「な~に、そっちが客だ、申し訳がるこっちゃねいやね、儂も一度は顔を出さなきゃと思っちゃいたがよ、あの後直ぐに急ぎの仕事が入っちまってな、一段落着いたんで二、三日中に顔を出すつもりだったぜ」

「おや、仕事の目途が着いたんで~、次の仕事は決まってますかい」

「札差に首根っこを捕まれた武家がそうそう屋敷を建てるだ改築だなんてある訳がないや」

「そり~良かった」

「良いもんか、こちとら、おまんま(飯)が食えなくなら~」

「親方、そう言いなさんな、武家屋敷の仕事の話だ、それも新築だぜ、新築、そっくり土台からだ」

「嘘だろう、今時そんな武家がある訳がね~や、本当に銭があるんだろうな、建てた後に銭がありませんじゃないだろうな」

「健吉棟梁は橘と言ったら何を思い浮かぶね」

「橘って言ったらよ、そりゃ橘道場だろうなぁ、あの橘道場の依頼じゃあるまいな」

「それがそうなんだよ、親方」

「こりゃ本物だ~、で新築って何処にだ、大きさは??? 敷地は??? 見積金は???」

「親方、そう急くなよ、まずは銭だがよ、上限無しだ、どうだい」

「上限無しって幾らでも出すってか・・・う~ん、後ろに上様がいなさるか・・・いや違うな大きな声じゃ言えないが先の上覧試合も上様の冠はあったが勧進元は・・・そうか後ろにゃ~加賀屋、能登屋が付いているか」

「親方は事情通だね~」

「清吉親分、この人はねぇ~、お内儀のお佐紀様にぞっこんなんですよ、お佐紀様の読売は大事に大事に仕舞ってあるんですよ」

「へ~え、まぁ解らないでも無いなね、見慣れているあっしも毎回見ほれますんでね」

「何だと・・・おめえは会った事があるだけじゃ無く何度もとぬかしたな、本当か、てめい」

「嘘や冗談で言うこっちゃ無いですぜ、あっしは役目がら御府内の鍛錬所には顔が利きますんでね」

「真、お佐紀様に何度も会うたのか~・・・でやはり見目麗しいのだろうなぁ~」

「自分で確かめりゃ良いでしょう」

「何~会えるのか」

「だから言っているじゃないですか、今度の仕事は橘道場だってね、橘の若先生のお内儀ですよ、お内儀」

「屋敷を建てる事を承諾すれば会えるか、会えるのだな、うん、そうだよな、見に来られるよなぁ~」

「それで引き受けて下さるんで???」

「う~ん、まだ返事をせなんだか、したじゃろう、しとらんかったかな??? やる、やる、やるに決まってる、会えるよな、会えるよな、お内儀様によ~」

「そんなに会いたいのかい、親方」

「あぁ、遠目にしか見たこたぁ無いが、近場で見ない方が良いのかい」

「いいや、側で見た日にゃ~言葉もでねぇだろうよ」

「それ程見目麗しいかい」

「当たり前だ、もっと若い頃に大奥の偉いお方が町場で見かけて大奥へ招いた位だぜ、親方」

「何だ、若い頃の話か、今じゃ見る影も無しって奴かい」

「親方、見かけた刻は歳食ってたかい、そうじゃ無いだろう、俺は賭けるね、親方が会ったら言葉が出ないし見ほれるね、間違いなく、なぁ~富三郎さんよ」

「あぁ、毎日見ていても見ほれるな」

「毎日ってどう言う事何だい、富三郎さんとやら」

「私はね、橘の屋敷の奉公人なのですよ」

「何だって、毎日会うってか」

「残念ながら近頃は橘のご家族は道場が住まいでしてね、屋敷には滅多に来られません」

「しかし、良いのかい、親方、女将さんの前でそんな事を言ってよ」

「まぁ、私が役者に逆上せる(のぼせる)のと同じ様なもんさね」

「そんでよ、親方、屋敷を頼めるのかい、どうなんだよ、はっきりしてくれ」

「何度も言わせるな、二つも三つも受けるに決まってんだろう、但し、道場によ、挨拶に行かせろ」

「解った、お佐紀様に会わせると約定しよう、但し、今は江戸に居られぬ、戻られたら声を掛けるでどうだ」

「必ずだぞ、会わせるまでは始めねぇ~」

「そいつは困った、お佐紀様が江戸に戻られた刻に絵図面を見たら、さぞやお喜びと思うがねぇ~」

「お佐紀様は何時戻られる、敷地は何処で何時見に行けるね、建屋の条件はお前さん方が決めても良いのかい、どうなんだい」

「親方さえ良ければ明日でも良いぜ、場所は板橋だ、加賀藩前田家下屋敷の裏だ」

「善は急げだ、明朝、清吉さんのお店に顔を出すぜ、どうだ、それで良いかい」

「あっしのいや、私の仕事は夜が遅いや、五つにしちゃ~貰えまいか」

「ようがす、五つにお店に、船宿に伺います」

「親方は武家屋敷に詳しいとお聞きしておりますが、参考にと橘の屋敷の絵図面を持って参りましたが、親方には不要で御座いましたなぁ」

「富三郎さんが描きましたので」

「そうです、が絵図面は大事な物です、失礼とは存じますが盗賊に取っては宝物で御座います、保管は大丈夫で御座いますか」

「絵図面とはそんなに大事な物なのかい、富三郎さん、親方」

「私はお武家の屋敷や大店の改築で絵図面を持っております、盗賊にとっちゃ宝の山なんですよ、絵図面がありぁ~誰が何処に寝ているか金子は何処にあるかが大体解るものなんですよ、清吉さん、岡っ引きならご存じかと思いましたがな」

「それで女将が臆病窓を覗いた訳だ・・・それで、お宝の絵図面は何処に仕舞って有るんだい、何て野暮な問いは、まぁ~止しておくがねぇ」

「親方、これが橘屋敷の絵図面です」

富三郎が懐から絵図面出して開いた。

「どれどれ、うん、橘様は御家人とお聞きしておりましたが・・・こりゃ~御家人の屋敷じゃ無いや、旗本の、それも中流の物ですなぁ、どう言う事で」

「聞く処によると橘家は以前は領地がもうちっと広かったそうで御座いますよ」

「こりゃ立派なものだ、板橋に行くのは当然ですがな、橘の屋敷も見せて下さいな、無理でしょうかねぇ~」

「いいえ、私達家族が住まいしておりますので何時でも親方の都合の良い刻にお越し下さい」

「伺わせて貰います、屋敷への目印は御座いますかい」

「加賀屋、能登屋をご存じですか」

「そりゃ聞くまでも無いや江戸もんなら誰だって知ってますぜ」

「その裏ですよ、解り易いでしょう」

「で、正確にはどちらのお店の裏ですかい」

「丁度、二つの商家の裏ですよ」

「二つの商家全部の裏ですかい、加賀屋も能登屋も町屋としちゃ大きな敷地ですぜ」

「橘の屋敷の敷地は町屋の中にあって広大です、竹林が広くあります」

「そりゃ凄い、江戸の御府内に竹林とは信じられませんなぁ、是非にも見てみていや」

「よ~し、明日、板橋を見てよ、昼餉をあっしの店で食して橘へではどうだい、昼餉はちょいと遅くなろうが女将さんも店に来て一緒にどうだい、えぇ~」

「駒清で昼餉が頂けるのかい、お前さん、良いよね、何てったって江戸じゃあさ、料亭・揚羽、船宿・駒清ってくらいに評判が高いや、ねぇ~良いだろ、お前さん」

「解ったよ、但しだ、板橋がどれ位掛かるか解らなねぇ~ぜ、待ちぼうけも覚悟しとけよ」

「あいよ」

「良かった、良かった、親方、いやさ、健吉棟梁、ありがとうよ、お前さんに断られたんじゃ龍一郎様に言い訳も申し訳も無いやね」

「う~ん、今、龍一郎様と言いなさったね、お前さん、龍一郎様とも入魂(じっこん)なのかい」

「入魂て言うのはどの程度の付き合いを言うのか解らないが、数えられない位に会ったり話したりを言うのならそうだな」

「若先生は江都一、日乃本一の剣豪だぜ、怖かないのかい、若いしよ、血気盛んだろ」

「うんにゃ~、それがさ、俺は若先生の怒った処を見た事が無い、と言うか、言葉を荒げた処も汚い言葉も聞いた事が無い、それにさ、どんなに偉い人でもどんなに底辺の人が相手でも言葉使いが丁寧なんだ・・・あの方は凄いねぇ~、よっぽど育ちが良いんだねぇ~、どんな育ちかね~」

「そりゃ~偉ぇ~方だね~若いのによ~」

「俺、私はさ、龍一郎様が生き方の見本にしてるんだ、それ位の偉え~お方よ」

「会ってみていなぁ~、あぁ、そう言や~次席は館長とその奥方だったよな、その二人にも会った事があるかい」

「小兵衛様とお久様の事だね、何度も会ったし何度も話した、お久様とお佐紀様の手料理もご馳走になった」

「うぉ~、お佐紀様は料理もなさるのか・・・食べてみてぇ~、儂に作ってくれるかなぁ~」

「そりゃ~どうかなぁ~、お佐紀様の気に入られる屋敷を建てりゃ~ありかもなぁ、その前に出来の良い絵図面を見せりゃ~ありかもよ」

「うぉ~、こりゃ力をいれなきゃなぁ~」

「しかし、女将さん、棟梁のお佐紀様への思い入れは相当だね」

「そうだろう、私の事なんてお構い無しさね」

「女将さん、あっしが、この清吉が一つ占いをしとこうか・・・棟梁、女将さんの芝居通いも終わりが近いね」

「どう言う事だね、清吉っつあんよ、道場にそんな美形の男がいるのかい」

「まぁ楽しみは取って置いた方が良いや、只言えるのは何も美形ばかりが女の気を引く訳じゃねぇ~て事だな」

「そりゃ~心配な様な~此れでもよ、俺は女房を気に入っているからよ」

「安心しな、親方、その方はどうこう出来る人じゃ無いからさ」

「富三郎さんも知っていなさる人かい」

「ええ、良く知っていますよ、私の女房もぞっこんですよ、もう言いなりです」

「心配じゃ無いのかい」

「全然、全く、皆無ですね、まぁ楽しみにしていて下さい」

「そろそろ、お暇(いとま)しよう、富三郎さん、じゃ明朝待っていますぜ、親方、女将さんとは昼餉でね」


「お前さん、今の二人は町人らしく無いねぇ、確かに姿形、言葉も町人なんだけどさ、落ち着きと言うかさ、態度と言うかさ武家のような、それも達人のような雰囲気があったねぇ~、まぁ最も私は剣の達人に会った事は無いがね」

「あぁ、俺も何か感じたな、第一以前の清吉とは違うな・・・そうだ、世の中に怖いもの無し、何でも来いって感じかな」

「それじゃ二人は剣の達人て事かい」

「そんな訳無いか、何につけても明日が楽しみだ、お佐紀様が戻られるのが楽しみだ」

「それには良い絵図面、満足して貰える絵図面を仕上げる事だね」

「あぁ~最もだ」

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